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2005.10.15

〔千代ヶ崎(ちよがさき)〕の源吉

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収められている[消えた男]で、鬼平の前任の堀帯刀組の同心だった高松繁太郎(当時27,8歳)と駆け落ちした女賊お杉(30歳)の父親が〔千代ヶ崎(ちよがさき)〕の源吉である。
(参照: 女賊お杉の項)
(参照: 元同心・高松繁太郎の項)
独りばたらきの盗賊であったが、3ヶ条の掟てを守りきって病死。中目黒の権之助坂をくだり、目黒川を渡った先の松久寺の墓地に眠っている。
〔蛇骨(じゃこつ)]の半九郎一味の非道な畜生ばたらきに愛想がつき、一味の盗人宿を高松同心に洩らすかわりに、身の安全を保証してくれるようにとの交換条件を飲めなかった堀組に、逆に高橋同心が火盗改メに見切りをつけ、佐嶋与力あての置手紙を残して出奔、お杉との暮らしを立てた。
そのお杉が信州・上田で病死するとき、遺骨は父親の傍らに葬ってほしいと懇願、繁太郎は江戸へ帰ってきた。

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年齢・容姿:生きていれば56,7歳か。容姿の記述はないが、お杉が盤台面だったというから、顔は平べったく大きかったろう。
生国:武蔵野(むさし)国荏原郡(えばらこうり)千代ヶ崎村(現・東京都目黒区三田2丁目)
「千代ヶ崎」という地名は、福岡市八幡西区にもあるが、「目黒は源吉・お杉の故郷---」とあるから、ここで間違いあるまい。
池波さんは、『江戸名所図会』の「千代ヶ崎衣掛松」の魅(ひ)かれて、源吉に〔千代ヶ崎〕を名乗らせたと推察している。
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千代ヶ崎衣掛松 i新田義興の室(千代御前)、義興矢口の渡しにての最期のことを聞き、かなしみに耐えず、この池に身を那投ぐるといへり。(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

探索の発端と結末:〔千代ヶ崎〕の源吉については、記載することはない。

つぶやき:『江戸名所図会』には、絵師・長谷川雪旦の筆になる700景近い絵が収録されている。1日に1度はこれを眺めて江戸の町並みや人びとの着ているものや動きを類推していた池波さんは、うち、200景ほどを『鬼平犯科帳』へ借用におよんでいる。
したがつて、『鬼平犯科帳』の世界をより深く共感するには、『江戸名所図会』はかかせない。そして、「あ、この景色は、この絵だ」との発見のたびに、読む喜び・楽しさが倍加する。

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