〔常念寺(じょうねんじ)〕の久兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻16に入っている[霜夜]で、〔須の浦(すのうら)〕の徳松一味として、鬼平のかつての同門の池田又四郎を脅す僧形の盗人。
(参照: 〔須の浦〕の徳松の項)
年齢・容姿:40がらみ。僧形(そうぎょう)。
生国:伊勢(いせ)国飯南郡(はんなんこおり)松坂・常念寺小路(現・三重県松坂市中町)
池波さんが訪れたこともある山形県山形市三日町の常念寺も考えたが、〔須の浦〕一味のテリトリーが上方から北陸道へかけて、とあるので、松坂をとった。荒木又右衛門のことで取材した地でもある。
探索の発端:京橋・大根河岸の兎料理が名代の〔万七〕で、高杉道場でのかつての弟弟子・池田又四郎を見かけた鬼平は、南飯田町の船宿〔なだや〕まで後をつけた。
又四郎は、この船宿で、〔常念寺(じょうねんじ)〕の久兵衛と〔栗原(くりはら)〕の重吉から、義妹のお吉に引きこみをさせるようにせかされた。お吉は〔須の浦〕一味を勝手に抜け、本湊町の薬種問屋〔大和屋〕で女中をとして信頼を得ていたのである。又四郎の妻お米は、夫が妹のお吉とも通じていることを気に病みながら女賊として病死していた。
同じ夜、池田又四郎が役宅へ、「明日の午後2時に、砂村の元八幡の境内へ、一人で来てほしい」と置手紙していた。
砂村元八幡宮(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)
結末:池田又四郎は、きのうまで同類だった〔須の浦〕一味の者8名を斬り殺したが、自分も瀕死の重傷を負い、鬼平の手の中でこときれた。
江戸での盗めのために設けられた〔須の浦〕一味の盗人宿は、又四郎が打ち明けたので、残っていた者はことごとく逮捕。死罪であろう。
つぶやき:高杉道場から池田又四郎が消えたのは、銕三郎(長谷川平蔵の家督前の名)に冷たくされたからだという。又四郎は銕三郎の色子になりたかったのだ。ストレート派の銕三郎は、そのことに気づかない。
『鬼平犯科帳』にも『剣客商売』にもそのほかの短篇にも、池波作品には衆道をあつかった物語が意外な頻度で登場するのは、なぜなんだろう。それだけの比率で世に存在しているということの反映なのか。
又四郎は妻帯、さらに義妹とも関係したのは、衆道から立ち戻ったのか、それとも二刀流?
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