ちゅうすけのひとり言(42)
きのうのつづき。
どうせ、史料とするなら、時日を要しても、安永2年(1773)だけでもきちんとリスト化しておきたい。
まず、安永2年は、2月11日の『徳川実紀』からはじまる。
家をつぐ御家人一人。
と、まことにそっけない。家名すら無視。
しかし、超スピードで処理。どこかで細工をしているのでは?、
兄 :青木巳之助義芳(よしふさ 400石)
安2年2月8日卒 27歳
伯父: 主税利盈(としみつ)
(跡目) 31歳
天明2年(1782)5月14日小姓組出仕
3月7日の『徳川実紀』---
火消役板倉主税勝延が子甚太郎勝宦をはじめ。父死して。家をつくもの十二人。
『寛政譜』で抽出できたのは、9人。
父 :板倉主税勝延(かつのぶ 8000石)
安永元年12月21日卒 37歳
子 : 主税助勝宦(かつひろ)
(跡目) 6歳
養父:小田切十兵衛昌興(まさおき 700俵)
安永元年12月24日二条城で卒
養子:(三宅)千次郎昌応(まさたか)
(跡目) 18歳
養父:渡辺伝六郎盛(さかる)
安永元年12月24日卒 40歳
養子:(金田)鎌五郎信(のぶる)
(跡目) 17歳
安永9年(1780)5月11日西丸書院番
兄 :本間孫十郎李致(すえむね 300俵)
安永元年12月25日卒 37歳
弟 : 舎人李珍(すえよし)
(跡目) 25歳
安永3年(1774)6月7日書院番出仕
養父:遠山権八良直(よしなお 300俵)
安永元年12月16日卒 38歳
養子:(水野)次郎吉良緩(よしとを)
(跡目) 20歳
天明3年(1783)8月12日大番出仕
父 ::小幡小兵衛正豊(まさとよ 280石)
安永元年12月22日卒 83歳
子 : 主膳正孝(まさたか)
(跡目) 43歳
安永2年12月20日大番
父 :大草左兵衛忠政(ただまさ 245石5俵)
安永元年12月25日卒 30歳
子 : 栄之丞忠孝(ただたか)
(跡目) 7歳
父 ::西山八兵衛昌長(まさなが 125石80俵)
安永元年12月25日卒 66歳
子 : 靭負昌寿(まさなが)
(跡目) 22歳
父 :岩堀権右衛門房利(ふさとし 90俵5人扶持)
安永元年12月28日卒 58歳
子 : 市太郎良翰(よしもと)
(跡目) 22歳
世継ぎ前に勘定
ご覧のとおり、1000以上がひとりきりでは判断の資とはいいがたい。
『実紀』k3月16日の項---。
家をつぐ御家人一人。またも家名なしなので、『寛政譜』でみつけた。
甥 :河野弥市郎通員(みちかず 230石)
安永2年3月12日卒 28歳
叔父: 吉次郎通亮(みちあきら)
(跡目) 19歳
閏3月5日の『実紀』---。
寄合藤枝千次郎貞雄が養子安十郎教行をはじめ。父死して。家をつぐ御家人9人。
『寛政譜』でひろえたのは、藤枝家をふくめて5人。
養父:藤枝千次郎貞雄(さだお 4000石)
安永2年正月11日卒 24歳
養子:(徳山)安十郎教行(のりゆき)
(跡目) 16歳
天明5年(1785)遊女ょを殺して自殺下ので家禄を収められる。
養父:岩瀬左京忠英(ただふさ 800石)
安永2年正月20日卒 39歳
養子:(小栗)平之丞忠福(ただよし)
(跡目) 16歳
天明8年(1788)5月9日書院番出仕
兄 :中山三郎兵衛巣勝親(かつちか 400石)
安永2年正月22日卒 34歳
弟 : 橘三郎勝将(かつまさ)
(跡目) 28歳
天明2年(1782)2月4日大番
祖父:東(とう)宗雲貞胤(さだたね 300俵)
安永2年正月12日卒 78歳
孫 : 宗庵邦喜(くによし)
(跡目) 28歳
天明7年(1787)9月29日番医
養父:丸山昌貞ス英真(ふさざね 200俵)
安永2年正月22日卒 50歳
養子:(曾谷)昌倫英積(ふさつむ)
(跡目) 25歳
安永4年(1775)6月3日番医
☆ ☆ ☆
2週間ほど前に、朝日新聞出版部から『週刊 池波正太郎の世界』第1号を贈っていただいたことしるしました。
先週の土曜、江東区の古石場文化センターで、区内解説員養成講座で『時代小説と江東区』と題するレクチャーをしたたとき、来年は池波さん没後20年だから、区の池波関連スポットへの来訪者も多くなろうと、『第1号』を推薦しておいた。
すでに購入していたメンバーも少なくなかったのだが。
一昨日、第2号『剣客商売一』をいただいた。
ブログの『剣客商売』は、迷惑コメントのために開店休業状態なので、こちらで紹介します。
12月27日号とあるから、発売は24日の木曜日か、その前の17日かな。
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コメント
昨日のといい、今日のといい、ご苦労さまとお礼をもうしあげます。
おかげさまで、相続の実態に触れることができました。
研究者の方々にも、お役に立つとおもいますよ。
投稿: 文くばり丈太 | 2009.12.19 06:11
>文くばり丈太 さん
お励まし、ありがとうございます。
こういったデータは、これまで目にしたことがなかったので、つくってみました。
でも、基礎データのために、『寛政重修(ちょうしゅう)諸家譜』22巻8000ページをさらえるのは、老顔の目には苦痛でもありました。また、こんなことをやって、認めてくれる方がいるのかなと、やりながら疑問にとらわれたことも作業を遅らせました。
まったくお金にならない作業なので、研究者がこれまでやらなかったんだな、とも思いました。
平蔵かかわりの安永2年2005家をやりとげて、これだけではデータとして不足だ、10年前、20年前、50年前のデータと比較しなければ研究にならないと思いいたり、また、あの苦業を3回もやるのか---と、ぞっとしているところです。
投稿: ちゅうすけ | 2009.12.19 08:57