ちゅうすけのひとり言(43)
これで3日つづきの、ちょっと見には、データの羅列としかおもえない記録(採集)で、ふつうの鬼平ファンには、無味乾燥な事実のつみかさねとしか思えないであろうことは、百も承知である。
史実に目を凝らす人なら、いろんなことを読みとるはず。
一例をあげると、致仕と家督に同日が多いのはなぜ? とか。
それにしても高齢致仕が多すぎるのは、やはり、人間、権力を離したくないからか、とか。
いや、戦争がなくなり、武士は体力よりも口説の徒になりつつあるのか、とか。
たとえば、銕三郎(てつさぶろう)が23歳の、明和5年(1768)の初見(おめみえ)は、年に2回しかなかったが、安永2年(1773)の相続は、16回も小きざみに行われているのは、幕臣にとって収入は重大事だから、長く待たせるわけにはいかなかった儀式であったと、納得できる。
そう、初見は、旗本としての資格を認可される通過儀礼の一種だが、相続にはじかに生活がかかっているのである。遅らせるわけにはいくまい。
というわけで、3日めの今回でとりあえず中断し、残りは、多くの人がアクセスするよりも年末年始の行事を優先させる12月27日から正月3が日までの1週間に、ひっそりとアップし、記録として残しておくことにしたい。
さて、安永2年4月6日の『徳川実紀』----。
けふ寄合岡部熊三郎盛真養子千之助盛美をはじめ。父死して。その子家をつぐもの十人。
『寛政重修諸家譜』からひろう。
兄 :岡部熊三郎盛真(もりざね 1500石)
安永2年2月26日卒 28歳
弟 : 千之助盛美(もりよし)
(跡目) 15歳
安永4年(1775)駿府城守衛出仕
養父:市川勝兵衛忠盈(ただみつ 300俵)
安永2月晦日卒 25歳
養子:(広戸)亀次郎忠延(ただのぶ)
(跡目) 17歳
父 :武井源蔵忠良(ただよし 300俵)
安永2年2月14日卒 44歳
子 : 源次郎義泰(よしやす)
(跡目) 16歳
養父:吉田三弥苗孫(みつよし 250俵)
安永2年正月17日卒 26歳
養子:(三宅)銕五郎正長(まさなが)
(跡目) 24歳
安永6年(1777)5月17日御納戸出仕
父 :石原伊5右衛門政志(まつゆき 200石)
安永2年2月晦日卒 56歳
子 : 半弥政能(まさよし)
(跡目) 23歳
父 :飯島八郎右衛門国武(くにたけ 200俵)
安永2年2月晦日卒 56歳
子 : 次平国方(くにかた)
(跡目) 17歳
天明2年(1782)8月126日西丸小十人組出仕
養父:大久保次5右衛門忠暁(ただあき 60俵2人扶持)
安永2年2月20日卒 39歳
養子:(岩下)銕五郎勝忠(かつただ)
(跡目) 19歳
寛政9年(1797)6月17日表火番
4月8日の『実紀』---。
高家前田出羽守房長が子式部清長。寄合土屋丹後守応直が子富三郎業直。多賀大和守高但が子左近高当。佐野兵庫頭徳行が養子三蔵義行、堀甚五兵衛信明が子書院番帯刀知秀はじめ。父致仕して。其子家をつぐもの廿一人。
『寛政譜』で16人がみつかった。
養父:佐野兵庫頭徳行(とくゆき 3500石)
安永2年4月20日致仕
養子:(植村)三弥義行(よしゆき)
(家督) 17歳
天明元年(1780)小納戸出仕
父 :土屋丹後守応直(まさなお 3000石)
安永2年4月8日致仕
子 : 富三郎業直(かきなお)
(家督) 22歳
天明元年(1780)11月28日中奥の小姓出仕
父 :多賀大和守高但(たかただ 2000石)
安永2年4月8日致仕 54歳
子 : 左近高当(たかまさ)
(家督) 26歳
安永3年6月7日書院番出仕
父 :前田出羽守房長(ふさなが 1400石)
安永2年4月8日致仕 65歳
子 : 式部清長(きよなが)
(家督) 40歳
安永5年(1776)高家となる
父 :堀 甚五兵衛信明(のぶあき 72歳 1000石)
安永2年4月8日致仕
子 : 帯刀知秀(ともあき)
(家督) 36歳
宝暦12年(1762)9月28日より書院番士
養父:曾我権之丞彭助(ちかすけ 800石)
安永2年4月8日致仕 44歳
養子:(森) 幸之助助義(すけよし)
(家督) 23歳
安永2年6月7日書院番出仕
父 :本多弥五右衛門安秀(やすひで 600石)
安永2年4月8日致仕 52歳
子 : 金次安積(やすつむ)
(家督) 22歳
安永3年(1774)9月5西丸小姓組 出仕
父 :小河甚左衛門益親(ますちか 500石)
安永2年4月8日致仕 45歳
子 : 栄之助益利(ますのり)
(家督) 27歳
寛政2年(1790)12月8日書院番出仕
養父:筧 源左衛門保寿(やすとし 450俵)
安永2年4月8日致仕 66歳
養子:(岡野)幸次郎保規(やすのり)
(家督) 36歳
安永2年12月大晦日大番出仕
父 :大道道孫十郎直正(なおまさ 300石)
安永2年4月8日致仕 55歳
子 : 小膳直道(なおみち)
(家督) 31歳
父 :鈴木久四郎茂信邦(のぶくに 300石)
安永2年4月8日致仕 46歳
子 : 主水政積(まさつむ)
(家督) 17歳
天明4年(1784)9月5日大番出仕
父 :町田伊左衛門恒光(つねみつ 200俵)
安永2年4月8日致仕 58歳
子 : 金次郎重嶠(しげたか)
(家督) 20歳
安永3年(1774)6月18日小十人組
父 :加藤清吉郎景信(かげのぶ 200俵)
安永2年4月8日致仕 52歳
子 : 富三郎景昇(かげたか)
(家督) 27歳
天明2年(1782)9月4日大番出仕
父 :平野甚右衛門幸友(たかとも 150俵)
安永2年4月8日致仕 53歳
子 : 為之助幸祥(たかよし)
(家督) 28歳
天明2年(1782)9月4日大番出仕
父 :川原清兵衛正知(まさとも 150俵)
安永2年4月8日致仕 57歳
子 : 九助正長(まさたけ)
(家督) 25歳
天明3年(1782)9月19日小十人出仕
父 :石川佐十郎総恒(ふさつね 100俵2人扶持)
安永2年4月8日致仕 74歳
子 : 大三郎総武(ふさたけ)
(家督) 26歳
一家ごとに、致仕の年齢やつづいての没年、養子の場合はその前後の事情を類推していると、よくできた短篇時代小説を読んでいるような気分になってくる。
【ちゅうすけからのお願い】このつづきは、12月27日~1月4日にアップしておきままから、こ゜興味のある方は、年があけてから、アクセスしてくださいますよう。
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