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2008.07.10

ちゅうすけのひとり言(19)

7月6日(日曜日)の午後は、5年ごし続いている、静岡のSBS学苑パルシェの[鬼平講座]の勉強日であった。

_8この日のテキストは、『鬼平犯科帳』文庫巻8[あきれた奴]。

主題は、「信頼」。

孔子は『論語』で、最高としてあげている「仁」につぐ徳が、「信」としている。
信用、信頼、信義、信憑(しんぴょう)性---などという熟語が示すとおり、うそをつかない、約束は守る、などの意味をもつ。

[あきれた奴]も、同心・小柳安五郎が〔鹿留(しかどめ)〕の又八という元盗賊を信頼して共犯者を逮捕させるストーリーだが、この篇の感動性が高いのは、3組の「信頼」が組み合わさっているから---と発表した。

いまあげた、
・同心の小柳安五郎と元盗賊の〔鹿留〕の又八の信頼関係。
に加えて、
・長官の長谷川平蔵がかけている小柳安五郎への信頼。
・〔鹿留〕の又八と先輩の〔八町山(はっちょうやま)〕の清五郎との信頼できる間柄。

それはともかく、登場している3人の盗賊の〔呼び名(通り名とも)〕は、すべて山梨県の地名である。
鹿留(しかどめ)〕の又八
 鹿留は、山梨県都留市鹿留から。
雨畑(あまばた)〕の紋三郎
 山梨県南巨摩郡早川町雨畑から。
八町山(はっちょうやま)〕の清五郎
 山梨県南巨摩郡鰍沢町十谷の八町山から
つまり、3人は甲州つながり---。

で、クラスに配布する地図---江戸期にもっとも近い、明治20年(1887)ごろの20万分の1にドットを貼っていて気づいたのは、八町山の近くに秋山があったこと。

_360
(この20万分の1には、青ドット=源氏山の東隣の八町山の記名がなく、鹿留も雨畑も圏外なので、平凡社版『日本大地図長帳』から広範囲に示す。ただし、後者には秋山の表示がない)

_360_2
(平凡社版『日本大地図長帳』 秋山は赤線囲みの甲西町内に編入。
青ドット=左下から雨畑、八町山、鹿留)

そうか、池波さんは、『剣客商売』の主人公・秋山小兵衛の出生地を調べるために、秋山あたりを取材、資料集めをしていて、八町山にも気づいたのか---と、どうでもいいようなことを発見!

剣客商売』の連載は、1973年新年号『小説新潮』から。
[あきれた奴]の掲載号は1972年4月号の『オール讀物』。
つまり、1年も前から『剣客』のノートづくりりをはじめていたんだなと、納得。

池波さんが、小兵の秋山小兵衛をおもいついたのは、もっと前---『寛政重修諸家譜』で、武田方から徳川の家臣となった秋山一門の家譜に、

秋山太郎光朝(みつとも)が後胤。光朝よりはじめて秋山を称す。

とあるのを見て、秋山郷の所在を探し、南巨摩(こま)郡甲西町秋山へたどりついた。
たわごとを一つ加えると、光朝秋山を称する前の姓は、加賀美であったそうな。NHKの加賀美アナが『剣客商売』を朗読しているところを想像して楽しんだりして。

秋山といえば、2008年7月4日[ちゅうすけのひとり言](17)に引用した『夜の戦士 下』p128 に、遠江攻めに参加した武田方の武将として、秋山信友が顔を見せている。

話をもどす。

池波さんは、10年以上もあたためていた『鬼平犯科帳』の構想を、1年か2年で終えるつもりで、ノートもほとんどつけていなかったらしい。
長谷川平蔵 基ノート』と表書きされた大学ノートの、2枚目以後は真っ白---と、ある担当編集者に聞いたことがある。
それに懲りたか、『剣客商売 基ノート』の十分に取材し、小兵衛・おはるの隠宅の間取り図まで描いている。好事家には、まことに都合がいい。

_100その、十分に書き込まれた『剣客商売 基ノート』をふまえて、秋山小兵衛の32歳前後の剣客ぶりの『黒白』(新潮文庫 1987.5.25)が、上掲『剣客商売』の連載開始から8年後、『週刊新潮』に連載された。

その『黒白 上』p163に、

秋山小兵衛は、甲斐(山梨県)・南巨摩郡(みなみこまぐん)・秋山の、郷士の家の三男に生まれた。
家は、長兄が継いでいる。
次兄は若くして病没いた。
小兵衛の祖先は、平氏に仕えた秋山太郎光朝である。

101_100拙著『剣客商売101の謎』(新潮文庫 2003.3.1 絶版)では、この南巨摩郡を中巨摩郡の誤記、とやらずもがなのお節介をやいている。こまった性格だ。

つぶやき】この2,3年、体調不良に悩まされたため、10年つづけた、朝日カルチャーセンターと江東区森下文化センター、5年余やった学習院大学生涯学習センターにもっていた[鬼平クラス]を閉鎖させていただいた。
静岡の静岡新聞と同テレビ局によるSBS学苑の[鬼平クラス]は、長谷川家関連の史料を県立図書館で読ませてもらう便利もあって、つづけている。
体調不良は相変わらずだが、甲斐も池波さんの関心が高かった地区なので、ここから話がきたら、やってもいいかなと思っている。
あ、書きたかったのは、そういう身勝手なことではなく、静岡での[鬼平クラス]でのレクチャーと配布シートの一部を、[ちゅうすけのひとり言]:に、このような形で、毎月発表するのはどうかな---と、アクセスしたくださっている鬼平ファンに問いかけてみたかったのだ。

【これまでの、ちゅうすけのひとり言へのリンク】
(リンクの仕方 各項の頭のオレンジ色の番号をクリック)
[18 三方ヶ原の戦死者---夏目]次郎左衛門吉信]2008.7.4
17 三方ヶ原の戦死者---中根平左衛門正照]2008.7.3
16 武田軍の二股城攻め]2008.7.2
15 平蔵宣雄の跡目相続と権九郎宣尹の命日]2008.6.27
14 三方ヶ原の戦死者リストの区分け]2008.6.13
13 三方ヶ原の戦死者---細井喜三郎勝宗]2008.6.12
12 新田を開発した代官の取り分---古郡孫大夫年庸]2008.5.9
11 鬼平=長谷川平蔵の年譜と〔舟形〕の宗平の疑問]2008.4.28
10 吉宗の江戸城入りに従った紀州藩士たち---深井雅海さんの紀要への論文]2008.4.5
 長谷川平蔵調べと『寛政重修諸家譜』]2008.3.17
 吉宗の江戸城入りに従った紀州藩士の重鎮たち]2008.2.15
7 長谷川平蔵と田沼意次の関係]2008.2.14
 長谷川家と田中藩主・本多伯耆守正珍の関係]2008.2.13
 長谷川平蔵の妹たち---多可、与詩、阿佐の嫁入り時期]2008.2.8
 長谷川平蔵の妹たちの嫁ぎ先]2008.2.7
 長谷川平蔵の次妹・与詩の離縁]2008.2.6
 煙管師・後藤兵左衛門の実の姿]2008.1.29
 辰蔵が亡祖父・宣雄の火盗改メの記録を消した]2008.1.17

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コメント

静岡県立図書館に長谷川家関連の史料があってよかったです。今後もSBS学苑の[鬼平クラス]が長く継続されますように。甲斐地区に鬼平クラスが始まると、また、新しい資料が発見されるかもなんて無責任に期待したりして。

投稿: パルシェの枯木 | 2008.07.10 22:15

>パルシェの枯木さん
SBS学苑のみなさんは、ともに学ぶのにとてもいい方々なので、体調のゆるすかぎり、つづけたいと願っています。県立図書館にも、まだまだ、目を通したい史料がありますし。
それと、郷土史家のお方に教えていただきたいし。
こんごとも、よろしくお願いいたします。

投稿: ちゅうすけ | 2008.07.11 08:07

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