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2008.02.08

ちゅうすけのひとり言(5)

2008年2月7日---つまり、昨日だが---の[ちゅうすけのひとり言](4)で、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)の末妹・阿佐(あさ 仮の名)が嫁(とつ)いだのは、明和8年(1771)前後ではないかと推定した。
相手は、大久保忠平左衛門忠屋(ただいへ 22歳。750石)、両番の家柄。屋敷は北本所・竹蔵東。

翌明和9年2月29日、西南の風の強い日。目黒の行人坂・大円寺から、放火による大火災が発生し、江戸の大名屋敷や幕臣の家々、町屋の半分以上が焼け落ちたが、南本所・菊川に移っていた長谷川家は焼をまぬがれた。
番町の長谷川本家、納戸町の分家の長谷川家はどうだったであろう。記載がないからまぬがれたのかもしれない。
阿佐の嫁ぎ先・北本所の大久保家も無事であったようだ。

このとき、平蔵宣雄は火盗改メの助役をしており、大火の放火犯を逮捕するという大手柄を立てたことは、このブログにすでに書いた。

【参考】目黒・行人坂の放火犯人逮捕2007年4月14日[寛政重修諸家譜](10)
2008年1月17日[ちゅうすけのひとり言](1)

阿佐の婚姻のことから、銕三郎の上の妹(多可 たか 養女)と次妹(与詩 よし 養女)の年代に疑問がでた。

再検討するのに便利なように、該当記事を、降順に並べてみよう。
ブログの読み手の方も、暇を見て諸史料を再読・ご検討いただき、整合方をご教示いただけると、うれしい。

降順に並べるといっても、リンク先(リスト)だけである。1日分読んだら、上左のツールバーの[戻る]をクリックしてリンク先(リスト)へ戻り、次を呼び出し---のくり返し。

多可が来た]  (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 

[多可の嫁入り]  (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) 

[与詩を迎えに] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (17) (18) (19) (21) (22) (23) (24) (25) (26) (27) (28) (29) (30) (31) (32) (33) (34) (35) (36) (37) (38) (39) (40) (41) (番外)

*(16) (20)は、ちゅうすけの手違いで欠番です。叩頭陳謝。

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