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2007.12.22

与詩(よし)を迎えに(2)

翌日。
銕三郎(てつさぶろう 諱(いみな)は宣以 のぶため)は、老僕・太作(たさく 57歳)を呼んだ。
「牛込ご門まで、使いをしてくれぬか」
「牛込ご門といいますと---」
「ご書物奉行の中根伝左衛門正雅 まさちか 76歳 廩米300俵)さまのところだ。いつだったかの夜、拙がお送りした。逢坂横町あたりだ」
「昼間ですから、あたりの店屋か自身番所で訊けば、たやすくわかるとおもいます」
「書状をとどけ、家僕にいちばん近い非番の日を教えてもらってきてくれ」
銕三郎は、昨夜のうちにしたためた書状を手渡した。

「若---」
「む。なにか、分からぬことでも---」
「さようではありませぬ。このたびの駿府行きにお供がかないませず、申しわけありませぬ」
「なんだ、もう、太作たちのあいだにまで知れているのか」
「このたびのお供は、殿さまから藤六(とうろく 45歳)が申しつかっております。あれはまだ若いし、しっかり者ですから、お供は大丈夫、勤まりましょう」
「そうか、藤六か」

太作は、にじりよって声をひそめた。
「若。三島宿で、大社の裏へいらっしゃってはなりませぬ」
「なにを申すかと思えば---」
「いいえ。若は、大社の裏をお訪ねになろうとお考えのはずです。しかし、それだけは、なさってはなりませぬ」
「なにゆえ、だ?」
「若。あれから、5年近く経っております」
「うむ---」
「女性(にしょう)にとって、20代の5年は、ふつうの齢の倍にも3倍にもあたるほど、変化がございます」
「3倍も、な」
「はい。その女性(にょしょう)の方は、いま、若さまと顔をあわせたら、ひどくお困りになるやもしれませぬ」
「そうときまったものでもなかろうが?」
「いえ。女性(にょしょう)の過去に立ち入るようなことはしないのが、まことの男というものでございます」
太作の忠告、しかと分かったから、安心していてよい」
「男と男の約束でこざいますぞ」
「うむ。男同士の約定だ」

しかし、銕三郎のこころのうちは、太作の言葉で逆に火がついていた。
(5年か。お芙沙(ふさ)も30歳近い。どんなおんなになっていることか)。

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(歌麿『後家の睦』部分 芸術新潮2003年1月号)

A_360_2
(歌麿『歌撰恋之部 物思恋』

(お芙沙は、ときどきは、おれのことを思いだしていてはくれないのだろうか)。
(おなごは、処女(むすめ)のしるしをささげた男と、初穂を食わせてくれた男は忘れぬ---ものと、黄鶴塾の大久保が言っていたがなあ。お芙沙はおれの初穂を食った)。

【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・芙沙(ふさ)]
2007年7月24日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(2)]

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