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2007.12.04

多可の嫁入り(2)

夜、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵)が自分の部屋へ引きとってから、宣雄(のぶお)は、内室(妻)同様の(たえ)に、書院へ、茶を運ばせた。

は、幕府に届けている室ではない。
正式の室は、11年前に病死している。
いや、あれは妻というには、あまりに縁の薄い女であった。
婚儀の日も病床にいた。宣雄の養子願いを、小普請組頭(くみがしら)を通して、幕府へ提出しておしまい。
だから、宴ももうけていない。親戚へは、宣雄が巡回して内祝いの品を届けてまわった。

は、その前から長谷川家に住みこんでいた。銕三郎の実母だったからである。
は、長谷川家の知行地の一つ、上総(かずさ)国武射郡(むしゃこうり)寺崎村の名主・戸村家のむすめだったときに、宣雄の子・銕三郎を身籠ったと推察している。

長谷川家の当主だった従兄の宣尹(のぶただ)が病死(35歳)したとき、未婚だったために継嗣がいず、急遽、居候(いそうろう)身分の宣雄(30歳)が宣尹の実妹の婿養子となった経緯は、これまでに幾度も紹介した。
小説と史実は、いささか異なる。

は、ずっと、長谷川家の家政をみてきた。
そう、籍のうえでは内室の波津(小説の中での名)が祝言(?)の3年後に、いちども病床を離れることなく歿するまでも、その後も。

「このたびの、多可(たか)のことでは、いろいろと気くばりをしてくれて、ありがたくおもっている」
多可は、当家のむすめでございますから、母親として、とうぜんのことです」
三木家では、養女に出したことで、縁がほとんど切れたとおもっているらしい」
三木さまは、お後妻(のちぞえ)をお迎えになっておりますから、多可のことは、こちらへお任せになったおつもりでございましょう」
「何分ともに、よろしく頼む」

16歳の多可が、後妻として嫁ぐ相手は40歳、役にめぐまれずに小普請入りしている水原(みはら)善次郎保明(やすあきら)だが、じつは、この仁は養子で、実家は幸田(こうだ 廩米150俵)家。
善次郎の3歳上の実兄・善太郎(43歳)は、宣雄の小十人組・5番手の組頭代理役をつとめている。そんな縁故で、水原家へ養子に入っている善次郎の後妻にと、多可を乞われた。

宣雄とすれば、多可を、もっと家禄の高い幕臣のところへ嫁がせたかったが、嫁入りをいそいだのは、多可がむすめとしての躰つきになるとともに、銕三郎のことを慕いはじめたからである。
このままにしておくと、どんな拍子に、銕三郎とできてしまうかもしれない雰囲気だった。
そのことはが先に気がついた。
自分と宣雄とのなれ染めのことを考えれば、危険はすぐそばまで来ているようにおもえた。
は、2年前に、銕三郎が三島宿で、若後家・芙沙(ふさ)から、濃厚な初体験を与えられたことは知らない。
宣雄は、男同士の秘密として、おくびにも出していない。

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(歌麿『若後家の睦』部分 芸術新潮2002年1月号)

銕三郎のほうは、女躰といえば、すでに夫の巧緻のかぎりをつくして開発された芙沙の性戯と、豊かだがしっとりなめらかな肌の記憶が、いまだに鮮明である。くり返しおもいだすこでよけいに美化されてもいる。

参考銕三郎の初体験】
2007年7月24日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(1)
(2)

多可の、来たときよりも丸みがついたとはいえ、あいかわらず細い躰には、銕三郎は魅力を感じていない。
一人っ子で育った銕三郎にしてみれば、多可は妹であった。
井上立泉(りゅうせん)医師から教えられた、太ももの付け根の割れ目をはさんで、左右にそよいでいるむすめの芝生探索のことは、すでに放念している。

鉄三郎が間違いをしでかす前に、多可を遠ざけるにしくはない」
「間違いがお好きなのは、殿さまの血筋でございますれば---」
「ばか。どこやらの名主のおなごの誘いがはげしかったから、つい---」
「つい---どうなさいました? 着物を着たままだったのに---」
「もう、よしなさい。昔のことではないか」
「いいえ。おなごにとっては、初めてのときのことは、いつまでも、つい、昨日のことでございます」
ふだんはきわめて控えめなだが、あのときのことになると、がぜん、多弁になる。
「わかった、わかった。それより、多可のことだが---」

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(水原家譜)
_360_3
(赤○=水原保明 緑○=多可 黄○=多可が産んだ保興)

【参考】
2007年10月28日~[多可が来た](1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)

2007年12月5日[多可の嫁入り] (1)

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