〔八町山(はっちょうやま)〕の清五郎
『鬼平犯科帳』文庫巻8に収録の[あきれた奴]で、堅気になって数珠師をしている〔鹿留(しかどめ)〕の又八(42歳)に、、〔八町山(はっちょうやま)〕の清五郎は甥の〔雨畑(あまばた)〕の紋三郎(30がらみ)を引きあわせた。
(参照: 〔鹿留〕の又八の項)
(参照: 〔雨畑〕の紋三郎の項)
又八が〔蓑火(みのひ)〕の喜之助の下で、盗めの3ヶ条をきっちりと仕込まれてひとりばたらきになったのを、助(す)け合ったのが、これも本格派の〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門の下からひとりだちした〔八町山〕の清五郎だ。いまは足をあらい、品川台町で小さな煙草屋をやっている。
(参照: 〔蓑火〕の喜之助の項)
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)
又八と紋三郎は、谷中の正林寺へ押し入り、紋三郎が寺僧2人を刺殺、158両を奪っての逃走時、同心・小柳安五郎に又八が捕まった。
年齢・容姿:60すぎ。小男。しわがれた声。
生国:甲斐(かい)国南巨摩郡(みなみこまこおり)鰍沢(かじかざわ)村(現・山梨県南巨摩郡鰍沢町十谷)。
「八町山」は、巨摩山地のほぼ中央部、鰍沢町と増穂町の境にある標高1,521mの山。
探索の発端:又八の女房は、大川へ身投げしようとしているところを、小柳安五郎に止められた。又八は小柳同心に捕縛されたが、牢をだされ、紋三郎をつかまえようと御油の宿場を見張った。
清五郎も自分なりに紋三郎を追ったのだが---。
結末:紋三郎の生地は南巨摩郡の雨畑村(現・早川町雨畑)である。清五郎はまずそこへ行き、帰ってきていないとわかると、老いの躰であちこち訪ねあるき、又八の推測では「どこかの旅の空で行き倒れ」たろうと。
つぶやき:八町山に行きあたるのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。
又八は南都留郡鹿留村(現・都留市鹿留)だし、甥の紋三郎も甲斐国生まれなのだから、まず、山梨県をあたるべきなのに、下記を探しまくっていたのである。
武蔵国賀美郡八町河原(現・埼玉県児玉郡上里町八町)
岩代国大沼郡八町村(現・福島県大沼郡金山町八町)
常陸国真壁郡八町村(現・茨城県結城郡八千代町八町)
三河郡額田郡八町]村(現・愛知県豊橋市八町通)
信濃国高井郡八町村(現・長野県須坂市下八町、上八町))
で、八町山というくらいだから山の多いところで、(須坂市の観光課からはかつてリポートをいただいているから---)などと、あやうく電話をいれる寸前に甲斐国に気づき、赤面をのがれることができた。
鰍沢町は、『剣客商売』の秋山小兵衛の生地・甲南町から南西にわずか2キロの地。秋山村(現・南アルプス市秋山)を取材に訪れた池波さんが、鰍沢という風流な地名を目にとめ、聳える山姿が印象に残ったのであろうか。
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コメント
山梨県南巨摩郡鰍沢町十谷と山梨県南巨摩郡早川町雨畑を地図で確認しました。
叔父甥の関係でこの距離なら近いですよね。
大川に飛び込んだのは又八で清五郎ではないですが、円朝の「鰍沢」の富士川へ飛び込むシーンと重なるような気がします。
全く関係ないですが、近くの十谷温泉はいい湯だと聞いたことがあります。
投稿: 豊島のお幾 | 2006.01.18 15:21
十谷温泉、地誌でも読みました。
雪が消え、暖かくなったら、行ってみたいですね。
投稿: ちゅうすけ | 2006.01.18 16:34