ちゅうすけのひとりごと(78)
「こんな本が出ました」
安池欣一さんからカバーを取り去った赤い表紙の本を預かった。
当ブログに親しんでいらっしゃる鬼平ファンの方は、安池さんのお名前と研究発表を幾度もお目になさっているはずである。
そう、SBS学園の静岡駅ビル・パルシェの[鬼平クラス]でともに長谷川平蔵まわりの史実を学んでいる方である。
書名は『【緊急提案】徳川家治の政治に学べ --近代的手法を駆使し成功させた--景気浮揚・地方分権・財政健全化・税制改革』(㈱テーミス 2011.05.31刊)と、副題もふくめた入念で長いもの。
著者の後藤晃一さんは、静岡銀行の調査役を経て退職、静岡銀行協会事務局長。
後藤さんのご父君は、同じ静銀の要職にありながら、県下の相良藩主で老中までのぼりつめた田沼意次の事跡を研究なさった故・一朗さんである。
その研究の成果の一端である『田沼意次◎その虚実』(清水新書)は、たびたび引用・紹介してきた。
【参照】2007年11T月24日~[田沼意次その虚実] (1) (2) (3) (4) (5)
2007年11月28日[一橋治済] (2)
その嫡子である晃一さんは、亡父・一朗さんの遺志と史料を引き継ぐととも、田沼意次とそのグルーブに才能を発揮させた10代将軍・家治に照明をあてた。
亡父より1ランク上の地位にいた家治に目をつけたあたり、みごとであるとともに、直(じか)の史料が乏しいくて苦労されたろうとおもう。
じつは、ぼくも将軍としての家治の人柄を、当ブログで書いたことがあった。
直(じ)かの史料によるというより、西丸で帝王教育をうけている竹千代(のちの家治)の伽衆の一人として主君を見ていた贄(にえ) 安芸守正寿(まさとし 享年55歳)の口をとおし、帝王学を語らせた。
【参照】2010年12月4日~[先手・弓の2番手組頭・贄(にえ)安芸守正寿] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
直(じ)かに将軍の言動に光りを当てることには困難がある。
将軍は、幾重ものヴェールというか、作為に包まれているからである。
それと、史料にのこっている政策が将軍の直(じ)かの発案・指令になるものか、下からの提案を承認したものかを見分けるのはきわめて困難であるし、その見分けは苦労ばかり多くて、学問的な価値はそれほど大きくはない。
あえて挑戦した著者の意欲と成果には、驚嘆するばかりである。
著者をそれに駆り立て経緯は、同著の前書きに記されているので、長くなるが引用する。
はじめに 政治改革のヒント
昨今、政治家を悩ませている難題が数多くあります。
本書の副題に挙げた「景気浮揚」、「地方分権」、「財政健全化」、「税制改革」などがその最たるものではないでしょうか。
江戸時代、こうした難題と真正面から取り組み、見事に解決した政治家がいました。
それが本書の主人公、十代将軍徳川家治であります。
その政治手法は非常に斬新で、興味深いものであります。詳しくは本文で記しますが、ここでその、さわりの部分だけお示しいたします。
「景気浮揚」 家治以外にも江戸時代に景気を良くした人は何人もいます。その人たちの手法は、金をぱらまくという、ごく単純なものでありました。
その後をみると、決まって財政赤字、あるいは手持ちの金を激減させています。
それにひきかえ家治の手法は、手持ちの金を増やしながら景気を良くする、というものです。
金をぱらまくどころか、大倹約をしているのです。
しかも景気の良さは半端でなく、どの歴史書にも「百花瞭乱の世」と記されている程でした。(中略)
「景気浮揚」、「地方分権」、「財政健全化」、「税制改革」の簡単なサムアップにつづいて自負が述べられる。
家治は将軍になるや、このような政策を次々に打っていったのです。
ところで皆様方はここまでの記述をご覧になって、歴史家でもない私の記事を、素直に信じていただけたでしょうか。
たぶん半信半疑でおられることと思います。
なぜなら従来の歴史の本に、このような記述がないからです。
では私が何を根拠に書いたか、また上記疑問点などが今までの歴史の本になぜ記されてこなかったかを、私の推理を交えここで述べておくことにいたします。
本書の原典は、主として「徳川実紀」「寛政重修諸家譜」や当時来日したツンベルグの記述、および当時の長崎商館長チチングの著(この二人は当時の日本を調査し、客観的に記述している)です。
私は今までの歴史家の言を鵜呑みにせず、極力こうした原資料を基にして記しました。
なぜ従来の歴史家の書を避けたかといえば、その人達の多くが武士出身または現役武士であり、武士側に立って物事を見つめ、書いていたからです。
そのため国民にとって良い政治であっても、武士にとって都合の悪い政治であれば悪い政治とされ、中には埋もれてしまったものもあります。
結論から言うと、当時の歴史家による歴史書で、庶民側から見て書かれたものはなかったということです。
本書は、当時を庶民側に立って俯瞰し、記したのです。
それまで悪い政治と定説化されていることや、消されとしまった記述であっても原点に返って調べ、必要と思われるものは丹念に拾い出しました。
いわゆる視点を変えて見たわけです。
すると国のため国民ために、先頭に立って采配を振る将軍家治が見えてきました。
「乱れた世」それは武士側からみた表現で、庶民側からみた場合「自由と平等の世」となるです。(後略)
読後感をいえば、時代は記述によるところが多いとして、家治の時代だからといいきっていいかな、との疑問ものこる、といったところであろうか。
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