奈々(なな)と月魄(つきしろ) (4)
仙台堀が大川へつながるところに架かっている上(かみ)ノ橋から大川ぞいに永代橋東詰までは、佐賀町を4丁(430m)ほどだが、あたりの子どもたちが10人も月魄(つきしろ) の後ろをつけ、がやがや騒いだから、月魄はよけいに気張った。
奈々も武家の妻女のように背筋を伸ばして気負ってはいたが、裸の月魄に乗るための練習のつもりで膝頭でしめつづけていたので、内股が熱くなりかけていた。
(永代橋 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
先夜もそうであったが、膝をしめると局部の筋肉もつられて締まる感じをうけた。
いつだったか、躋寿館(せいじゅかん)の多紀安長元簡(もとやす 31歳)若先生の妻で、鉄漿親(おはぐろおや)の奈保(なほ 22歳)が、若先生仕込みの〔好女(こうじょ)〕---いわゆる床上手(とこじょうず)なおんなに変わるには締まりをよくすることもその一つ---とすすめてくれた秘法とはちがうが、
(うちは、月魄仕込みでいけそう)
【参照】2010年12月22日~[医師・多紀(たき)元簡(もとやす)] (5) (6)
2011年9月5日~[平蔵、西丸徒頭に昇進] (4) (5)
しかし、いますぐ、蔵(くら)さんに抱かれたくなったのには困った。
奈々の思いが月魄に伝わったらしく、永代橋の手前であゆみを止め、考えこんでしまった。
(この馬(こ)は、勘がよすぎぃ)
「あんたの裸の脊にまたがって、肌と肌をじかに触れあわせたいん」
口にだして首をたたいてやると、わかったらしくて一声嘶(いなな)いた。
が、奈々の野袴の裾からもれてくる性器の匂いに首をかしげてもいた。
(この馬(こ)は、騙(だま)せへん)
平蔵たちが追いついた。
「奈々。永代橋西詰すぐの左手、豊海(とよみ)橋をわたった、新川ぞいの〔池田屋〕だ」
「あい」
屋号からも察しがつくとおり、南新堀2丁目の〔池田屋〕利右衛門方は、上方・伊丹の下り酒問屋で、茶寮{季四〕の仕入れ先であった。
霊厳島を堀割った新川の両岸には下り酒問屋が軒をつらねた、堀まで酒の匂いを立ちのほらせている。
賑わう店頭で平蔵と奈々をみとめた手代から、用意の伊丹村の銘酒〔富貴嵐〕の角樽(つのだる)を受け取り、松造へ手渡す。
(新川酒問屋 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
「女将さんがお乗りで---?」
門口まで見送りにでた手代のお愛想は、まわりの客たちへの見得もあったろう。
「この馬(こ)に、乗せてもらっとるん」
月魄は前足で土をかいて喜びを表現した。
多くの目があるので、奈々の尻を押しあげるわけにはいかない。
奈々に片足を鐙(あぶみ)にかけさせ、のこりの足を掌で押しあげた。
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