西丸・徒(かち)3の組(2)
「これはひどいな---」
つぶやいた平蔵(へいぞう 40歳)は、黄ばんだ藁半紙に記された身上書を、与(くみ 組とも書く)頭の一人である真野半兵衛(はんべえ 45歳)へわたした。
「おぬしの班の者であろう?」
{あ---飯野六平太(32歳)---このあいだの集りに不参だった徒士(もの)の一人です」
「身上書を届けてきただけでも、えらいッ!」
「はッ---」
「いや、われが手落ちであった」
「は---?」
「未提出は何人かの?」
「3人です」
「たぶん、認(したた)めるべき紙がないのであろう。表祐筆のところで貰い、今宵にでも自宅へ届けてやれ。祐筆のお頭にはわれが話を通しておく」
「はッ」
徒士・飯野六平太の家庭は、老父母、当人夫妻、長男(11歳)をあたまに男子2人に女子1人、奉公人なし。
内職は、老父が刀の柄の糸巻き、当人と妻が提灯づくりに、広くもない組屋敷をあてていた。
(徒士衆の内職・提灯張り 『風俗画報』 塗り絵師:ちゅうすけ)
借金は寝こんでいる老母のためで、蔵宿の〔伊勢屋〕次郎兵衛のところに38両(608j万円)、その上この夏(5月)、秋(9月)の切り米札まで抵当に入れていた。
(またも、〔伊勢屋〕次郎兵衛の奥印金(おくいんきん)にひっかかったな。長野佐左(さざ)のところの分は証文を書き換えたと聴いておるが、われの組の3家は頬かむりするつもりらしい。これは懲らしめないと---)
提出された27通の身上書のうちで、〔伊勢屋〕次郎兵衛の札旦那で、金を借りている家が、飯野六平太のほかに2人いた。
22両(352万円)と18両(288万円)、3家あわせると78両(1,248万円)になった。
(こいつは、荒療治になるな)
もちろん、ほかの蔵宿にわかれて10家ばかりが前借りをしていたが、夏の給米で清算できるほどの少額で、きまりどおりの利率(年利1割5分)で借りているらしかった。
下城の時、松造(よしぞう 33歳)を新大橋の西詰で解放し、家へたどりつく前にちょっと足をのばし、諏訪町の蔵宿〔東金(とうがね)屋〕清兵衛(せえべえ 40歳前)のところへ言伝(ことづて)させた。
松造の住いは、蔵前通りから西へ入った榧(かや)寺(正覚寺)裏であった。
翌くる朝の出仕のおり、〔東金屋〕清兵衛の返事がきけた。
「お待ち申しております」
平蔵が〔東金屋〕へ持ちかけた相談ごとは2つあった。
西丸・徒の3の組30家の蔵宿を一手に引きうけてくれないか。
そのときには、夏の給米を担保の形で前借している10人の借金を肩代わりしてもらいたい。
難儀なのは、〔伊勢屋〕次郎兵衛から借りている3人の78両(1,248万円)だが、次郎兵衛に、もういちど、奥印金をはずし、お上がきめた利率に証文を書きなおすように忠告してもらいたい。
「もし、拒んだら、次の手で懲らしめるが---」
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