医師・多紀(たき)元簡(もとやす)(4)
「医家の平井(ひらい)うじ---?」
聞きなれない姓氏だったので、平蔵(へいぞう 35歳)が訊きかえした。
多紀(たき)元簡(もとやす 25歳)が経緯(ゆくたて)を話した。
平井家は、山城(やましろ)の京都の出である。
本家筋にあたる半井(なからい)瑞策(ずいさく)は声名が高く、天皇家の脈もとったことから、宮中につたわっていた『医心方』30巻を下賜されていた。
医家としてたった庶流は、そのうちの数巻ずつをひそかに写本することを許された。
幕府に番医として仕えていた平井家(300俵)も、そうした一軒であった。
写本のうちに、世の数奇者たちが読みたがる[房内篇]がふくまれていたことが、ここへきて幸いした。
というのは、元簡と同学であった平井由庵正好(まさよし 22歳)の実父・省庵正興(まさふさ 43歳)は、小石川養生所の番医の森専益正元(まさもと 享年52歳=寛保3年)のニ男で、21歳のときに平井家へ養子にはいったが、病身でいちども幕府の役に就けなかった。
本所の幕府材木蔵の裏で、頼まれると患者をみていた。
そういう家計(たつき)であったから、[房内篇]をはじめとする[産科治療篇][五臓六腑気脈骨皮篇]などを同業者へ貸し出しては余禄としていた。
「わかった。このことは秘して洩らさない」
確約したことで、平蔵は、のちの奥医・由軒(ゆうけん)を生涯の友とすることをえた。
「そういうことだと、盗賊たちが盗んだ[房内篇]は、原本ではなく、写本のまた写本なわけだ」
「さようです。売ったとしても、2朱(2万円)程度でしょう」
「では、この件は、火盗改メの役宅で話しあったとおりに町奉行所の扱いとして、奥女中のお杉(すぎ 40歳すぎ)が、お父上かそなたか、またはご舎弟のいずれかに、色事をもちかけたことは---?」
「手前にはありませぬ。すぐ下の2歳ちがいの弟・安貞(やすさだ 23歳)は、17歳のときに奥医・湯川家へ養子にだされていますから、お杉とそうなる機会はありませんでした。その下の弟・安道(やすみち)は、まだ10歳ですから---」
家譜をみると、安道の下に3男2女が記録されていいる。
生母は記述されていないが、学頭・元悳(もとのり 50歳=安永9年)が[房内篇]を服膺(ふくよう)していたことはこれでわかる。
お杉の誘いにのったかって?
[房内篇]には、30歳以上の女性とまぐわってはならないとあり、大奥の30歳でのお褥(しとね)すべりは これによっているともいわれている。
アラフォーの現代女性にはぜったいに認めがたい文言である。
もっとも、元悳が鼻の先でその禁令を笑いとばしていれば、40歳を越えてなお妖艶さを保っていたお杉の誘い応じていたかもしれない。
「元簡どの、奥方は---?」
「機を失していまして---」
医家であった湯川家へ養子にいった舎弟・泰道の妻となった女性をひそかにおもっていた---などと考えるのは、小説の読みすぎであろう。
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