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2011.09.09

ちゅうすけのひとり言(76)

2011年7月20日[ちゅうすけのひとりごと(75)]に、長谷川平蔵宣以(のぶため 享年50歳)の次男・銕五郎正以(まさため 18歳)が養子にはいった長谷川一族の支家4070石の采地が上州甘楽・碓氷2郡から、遠州城東、山名の2郡へ移されたことを記した。

長谷川久三郎を[旧高旧領取調帳データベース
の検索にかけてみた結果は、

遠江国山名郡 太馬郎新田     62石391 
    豊田郡 船明(ふなぎら)村 378石545

3000石ほどが行方不明のままで終った---とも。

参照】〔船明(ふなぎら)〕の鳥平

Photo3月11日の地震で書斎の本棚が倒壊したままで行方不明だった『旧高旧領取調帳 中部編』(近藤出版社 1977)が無事にみつかったので、遠州城東、山名の2郡を検(あらた)めてみた。

[旧高旧領取調帳データベース]での検索どおり、

山名郡 
 太馬郎新田 長谷川久三郎分     62石391

豊田郡
 船明村    長谷川久三郎分    378石545

は確かに記載されていた。

別に、城東、山名、豊田郡に長谷川源一郎名義の知行地が見つかった。

城東郡
 西芳村    長谷川源一郎分    110石085999
 予隣村    長谷川源一郎分    238石810
 新野村    長谷川源一郎分    151石0424
 今村北組   長谷川源一郎分    82石084
 下土方村中組森組
         長谷川源一郎分    582石499023
 下土方村下組
         長谷川源一郎分    431石220001

山名郡
 西貝塚村   長谷川源一郎分    953石828
 東脇村    長谷川源一郎分    114石456
 彦島村    長谷川源一郎分    107石682
 
豊田郡
 下万能村   長谷川源一郎分    431石220
 立野村    長谷川源一郎分    369石303

この長谷川源一郎なる人物の遠江国における采地を合算してみる。
3170石前後。

Photo_2寛政譜』には、長谷川源一郎なる幕臣はいない。
寛政以後に加増されて3000石台になったのであろうとも考え、小川恭一さん編『江戸幕府旗本人名事典 三』(原書店 1989)から、長谷川氏姓で3000石以上の人物を探した。

長谷川久三郎(4071石)と長谷川利十郎(3115余石)で、源一郎はいない。

そこで、『旧高旧領取調帳 中部編』を求めてから初めて、この資料の成り立ちに目を通してみた。

明治政府ができ、地方の役場から書き上げを求めたものとわかった。
とすると、明治になる直前のデータということになる。
寛政から70年ほどあとのものだから、つなごうとするほうがおかしいともいえる。

とりあえず、あきらめることにした。

平蔵の次男が相続した長谷川一族の、これから以後も探索がつづくといいデータの一つとして、書き留めておく。

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コメント

長谷川紀伊守の3人の遺児のうち、末弟の4050石の家はほとんど無視されてきています。
養子にはいった平蔵の次男・正以はどうなったのか、維新後はどう生きたのか、たしかにしらべられると面白い。知行地は上野国から遠江国へ移った分のリサーチも静岡県在住の鬼平ファンの課題ですな。

投稿: 左衛門佐 | 2011.09.09 04:52

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