長谷川銕五郎の誕生(3)
母・妙(たえ 58歳)へ帰着のあいさつとともに紅花染めの肌着を贈り、
「松造(よしぞう 30歳)に商っている店を教えられましたゆえ、いつにても買い足せます」
「ぜいたくは、なりませぬぞ」
亡夫・備中守宣雄(享年55歳)の口移しの家訓であった。
平蔵(へいぞう 36歳)は承った態(てい)で退去した。
着替え、松造を供に、和泉橋通りの大橋家へ久栄(ひさえ 29歳)を見舞った。
門前で、松造を返した。
松造・お粂(くめ 40歳)の住いは大橋家から東へ6丁(650m)ばかりであった。
陽の暮れが早くなっていたから、御厩河岸の渡し仕舞い舟もそれにあわせてい、お粂とお通(つう 13歳)がやっている〔三文(さんもん)茶房〕は、仕舞い舟の客が絶えると店を閉めていた。
「殿のお帰りをお迎えせず、申しわけございませぬでした。道中、恙(つつが)のう---?」
「うむ」
「お用命のほうも、ご無事に---?」
「万端---な。それより、辰蔵(たつぞう 12歳)が、弟ができたと喜んでいた」
「私も、男のお子で、安堵いたしました。4人目なので軽くてすみました」
紅花染めりの肌着を見せ、
「お婆どのに、ぜいたくは、ならぬ---と叱られた」
苦しげに微笑した久栄の手をにぎり返し、脇の赤ん坊の頬を指でつつき、辞去したが、和泉橋詰の船宿で、仙台堀の亀久橋へ向かわせた。
藤ノ棚の家の戸を、それが合図になっている、2叩きずつ3度打つと、驚き顔の里貴(りき 37歳)が戸をあけた。
すでに寝着で、半纏をひっかけているだけであった。
「抱きたりないのでな」
「うれしい---でも、奥方さまは?」
「実家へ帰っておる」
「私のことが---?」
「そうではない」
「はい」
それ以上のことは訊かないのが里貴の賢いところであった。
訊いたところで、立場がどうかなるものではない。
平蔵も、産まれた銕五郎(てつごろう)のことは話さなかった。
話せば、里貴が苦しむだけである。
里貴は、亡夫との6年間に身籠らなかったし、平蔵との5年のあいだにもその気配はなかった。
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コメント
「武士は武具のほかは自分で買い物をしてはいけない」
そういえば、武家の夫人も、見立てはしても、とどけさせるのでしたね。
こんな簡単なしきたりも忘れているいまの私たちでした。
投稿: tomo | 2011.03.26 06:39
>tomo さん
切絵図の近江屋板の創案も、番町の入口近くで荒物屋をやっていた近江屋五平が、引きもきらない届け物先を尋ねられるのに業を煮やし、番町の武家の各戸の氏名を記入した地図をつくって売ったことから波及したと伝わっております。
投稿: ちゅうすけ | 2011.03.26 19:07