先手・弓の2番手(3)
「館(たち)さま。御蔵片町のほうの放火犯人も、この〔鳩屋〕を襲った賊の手の者です。その者の名前も所在も、ここで捉えた者たちをしめあげれば、わかりましょう」
銕三郎(てつさぶろう 25歳)が、夜廻りをしていて行きあった先手・弓の2番手の筆頭与力・館伊蔵(いぞう 53歳)にささやく。
「こちらの賊たちは、舟できて、駒形堂のあたりから陸(おか)へあがったはずです。駒形堂の河岸には、船頭が1人か2人、賊たちの戻りを待っています」
銕三郎は、自分が太刀の柄頭で気絶をさせた賊に活をいれ、縛られているのに気づいて泣き顔になっているまだ20歳前に見える男に、
「獄門になりたくなければ、火盗改メに協力しろ。お前のお頭をはじめ、一味は全員、獄門になるから、お前が火盗改メに口を割ったことは、だれにもしれはしないが、どうだ?」
獄門といわれた若い男は、かんたんにうなずいた。
腰縄だけにして、その男を大川岸まで連れて行き、
「おーい。こっちだ」
と呼ばせた。
金で雇われた船頭が、舟からあがってきたところを、銕三郎が太刀の鞘で首筋を打って倒すと、2番手組の小者がすばやく縛りあげた。
見張りをしていた若い者(の)は、〔越巻(こしまき)〕の定次(さだじ 17歳)と名乗った。
「〔腰巻〕とは、ずいぶん、艶っぽい〔通り名〕をつけたものだな」
「屁(へ)をこく尻に巻く腰巻じゃねえんで---越後の{越す〕って字の〔越巻〕ですだ。おらが生まれた村の名だで」
「その越巻村というのは、どこにあるのだ?」
「綾瀬川ぞいだで---」
「綾瀬川って、長いぞ」
「埼玉郡(さいたまこおり)の越谷宿から横手へへえった越巻村(現・埼玉県越谷市新川町)だで」
「最初(はな)からそういえばいいんだ。要するに、高台のふもとなんだ」
「すんません。〔浮塚(うきつか)〕の甚兵衛(じんべえ 30歳)お頭(おかしら)が、みんなに可愛いがられる名だから、つけておけって---」
「なんだ、〔浮塚〕の甚兵衛のところにいたのか?」
「へえ。見張りをしていて、お頭やみんなが捕まったので、逃げただど、銭がつきたで、口合人さんとこさ行ったら、〔釘無(くぎなし)の角兵衛(かくべえ 40歳)お頭につないでもらったで---」
「中へはいったのは、〔釘無〕一味なんだな」
「なんでも、比企郡(ひきこおり)にそういう名前の村があるだと」
【ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻16[見張りの糸]に〔稲荷(いなり)〕の金太郎という盗賊が登場する。稲荷なんて、日本中に、わかっているだけでも12万社あるが、彼の兄が〔狢(むじな)〕の豊蔵(とよぞう)というから、武蔵国比企郡(ひきこおり)上か下の狢村(現・埼玉県比企郡川島町)出身と特定できた。隣が釘無村である。
定次を捕り方へわたして、銕三郎が館筆頭与力に頼んだ。
「あれは、まだ、盗みの道へはいったばかりで、足を洗う見込みがあります。ご温情を---」
「こころえた。わが方も、お馬先召し捕りを容認いただいておるのでな」
【参照】お馬先召し取りについては、2006年6月12日[現代語訳『徳川時代制度の研究」] (1)
「では、定次だけは、今夜のうちに、目白台へ引きたてください」
連れられていく定次の耳に、銕三郎がささやいた。
「困ったら、永代橋東詰の居酒屋〔須賀〕の亭主、権七(ごんしち 37歳)さんを訪ねるんだぞ」
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