長(おとな)・千田聡兵衛からの封翰(4)
夜明けも、四ッ半(午前5時)前には雨戸のむこうが白ずんでくる時候であったが、2人は浜にうちあげられた魚のように眠りこけていた。
お染(そめ 26歳)が求めてやまなかったのである。
「ひと月近く水をかぶってばっかり---やったもん」
もちろん、松造(よしぞう 34歳)もむさぼったが、
(お粂(くめ 44歳)。お前とは、安んじて楽しめとるということが、ようわかった--)
相手の内心など忖度せずに昂(たか)まるお染は、、
「男はんは30代が一番。かゆいところを間違えんと掻いてくれはる。それに、新しとこも---」
出立は五ッ半(9時)だったから、朝餉(あさげ)を運んだ中年の女中はふくれ面であった。
お染がこころづけをつかませ、汁椀を熱(あたた)めなおすようにいいつけた。
落川(おちかわ)村の長(おとな)・千田聡兵衛(そうべえ 60がらみ)の屋敷に顔を出せたのは昼前であった。
卯作(ぼうさく 6歳)は怖いものでも見ているように立ち尽くしていたが、母親が呼びかけると、むしゃぶりついて泣いた。
庭に面した部屋へ松造を通してから眼鏡をかけ、平蔵(へいぞう 40歳)の書簡を読みおえた聡兵衛が、折りなおし、
「松造さん。長谷川さまは洞察してござる---」
「は---」
「あのおなごの誘惑にのるだろうが、お前さまはお上(かみ)さんに惚れなおすと、お見とおしでござった」
「そんなことが---」
「いや。そうはあからさまにお書きになってはおらぬ。半日遅れるであろうがご心配なく---とだけ述べておいでじゃ。お染のために、真宗の寺をさがしてやってくれとお頼みでのう」
口のなかで、松蓮寺の古手(ふるて)のおなごを堀の内の永照寺の住持が大黒にすえるかのう、とつぶやいたあと、
「いや、わしとどっこいどっこいの齢の坊主どので、お染が我慢できるかと問うが先かもな」
平蔵への返便を認(したた)めるために聡兵衛が奥へ引っこむのをうかがっていたお染が庭へあらわれ、
「松はん。今夜はどこで泊りはる? うち、見送りにいこか---?」
松造が宿をとったのは布田五ヶ宿であったが、宿帳にお染の名は記されていなかった。
それよりも江戸へ帰った夜、お粂が動きをとめ、あけた目でじっと瞶(みつめ)られた時、全身に鳥肌がたった。
「お前さん、どうかした?」
「からす山で、ついでにお袋の墓に詣でたら、彼岸にはお粂といっしょにこい、といわれたような気がしてな」
「いこ。いこ------いく」
そのころ。
平蔵は奈々(なな 18歳)の家をでて三ッ目通りの屋敷へ帰りながら、聡兵衛の返書にあった、
「お申しこしのとおり、松造さんには釘をさしておきました」
おもいだすと独り笑いをもらし、つぶやいた。
「松よ。われもずいぶん勝手な男だが、おぬしもお粂も、われには大事な者だからこそ、やったことだ」
つぶやきを吹きとばした夜風は、春の終わりを告げるようななま暖かさだった。
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