長(おとな)・千田聡兵衛からの封翰(3)
「松造(よしぞう 34歳)。ご苦労だが、この手紙をとどけがてら、お染(そめ 26歳)を連れ、日野宿の先の落川(おちかわ)村の長(おとな)・千田聡兵衛(そうべえ 60がらみ)どののところへ行ってくれないか?」
iにやりとほころばしかけた表情をひきしめ、
「殿。お粂(くめ 44歳)の勘気はお見とおしの上でございますか?」
逆に、平蔵(へいぞう 40歳)が笑い、
「一夜をともにしてやれとは頼んではおらぬ。江戸を早発(はやだ)ちすれば、このごろのことだ、日の暮れ前に着こう。もっとも、お染のことゆえ、府中の手前あたりで足を痛めるやもしれぬがな」
「その夜、別々の部屋をとったことを証(あか)ししてくれる者がおりません」
「同部屋であっても、同衾をするとはかぎるまい?」
「ご無体をおっしゃられます」
「じつは、お染は大金を持っておる。道中師を見抜けるのは、おぬししかおらぬ」
「そのこと、殿からお粂に、とくといいきかせてくだされませ」
主従のやりとりがあった末の、松造とお染の甲州道中であった。
お染は、上方で10代の末に宇治の黄檗(おうばく)宗の本山・万福寺の大和尚・竺川(ちくせん 35歳=当時)の子を宿した。
そのことが本山に露見し、竺川は多摩の百草(もぐさ)村の伽藍・松蓮(しょうれん)寺へ飛ばされた。
真相がもみ消されたのは、出自がかなりの地位の公卿の5男だったからである。
お染も男児を伴って落水村へくだり住み、竺川の密訪を待ちながら暮らした。
秘事はいつしか寺社奉行のしるところとなり、縁切り話がもちあがり、お染は躰の求めをこらえきれず、盗人・〔染屋(そめや)〕の利七(りしち 34歳)ともつるんだ。
もともと出事(でごと 交合)が嫌いな質(たち)ではなかったし、竺川にみっちりと耕やされてもいた。
〔箱根屋〕の権七(ごんしち 53歳)の家へ泊まっていたお染を六ッ半(午前7時)に迎えにいった松造は、新宿で馬を雇った。
「足が痛い」
訴えられるのをふせぐためであった。
下高井戸で昼飯にし、馬を替えた。
八ッ半(午後3時)に布田五ヶ宿で馬を替えようとすると、
「下腹が痛む」
しゃがみこんだ。
「府中まで1里半(6m)ほどの辛抱だから」
なだめ、やっと馬に乗せた。
府中では、もう辛抱できないと、旅籠の前でへたりこんだ。
さっさと女中に風呂をいいつけ、胸元をおおきく開いた浴衣のままあがってきた。
見ないふりをしていると、
「松はん、うちなあ、乳の下に愛嬌ぼくろがあんの。ほら、ここ---男はん、みんな、吸ってくれはる」
臍(へそ)の下まで開き、口の前へつきつけ、ゆっくりと腰紐をほどいた。
「湯をあびてくる」
立ちかけた松造の頭をかかえ、顔を茂みに押しつけた。
「なにをするッ」
その声をふさぐと、倒れた。
手で松造の硬直したものをまさぐり、
「ほら、欲しがっとる。こらえたら、体に毒や---」
松造が口を吸おうとすると、
〔湯ゥにいっき。ほこり臭い」
松造のものは風呂場でも萎(な)えず、張りきったままであった。
部屋には、酒つきのお膳がきてい、そのむこうに布団がのべられていた。
松造が初めて抱いたときのお粂は35歳の大年増であった。
2人の子どもにふくませた太った乳首、たっぷりした肉置(ししお)きの臀部(でんぶ)、太い二の腕---10年來なじんできた。
【参照】2010627~[〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂
] (1) (2) (3) (4)
いま抱いたばかりおんなは、まるで違う。
体は細いのに、骨がないみたいに柔らかで、脇の下の汗の匂いまで芳(かぐ)しい。
家の米飯と料理屋の大釜で炊いたしゃきっとしているのになんともいえないあまみのある米飯との違いのようだ。
(いま、このおんながかかえている180l両を奪って逃げれば、しばらくはあまみのある飯が毎日でも口にできる。が、その途端に、長谷川さまの信頼を永遠に失うことになる。とんでもねえことだ)
お染の指が、松造のものをねだりにきた。
松造のものはそれに応えていた。
(おれは、まだ、若えってことだ)
(北斎「ついの雛形」部分 イメージ)
お染の気持ちは違っていた。
(この男、不思議。淡々としてて、うちのつぼをこころえ、応えてる。くせになりそう)
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コメント
一つ部屋に宿泊し、お染がその気十分であれば、松造がいかにお粂に操を立てようとしても、まずは無理。
とはいえ、主人・平蔵の命令であれば断るわけにはいくまい。人に話せば「お前がしっかりしていれば、なんてこともおきまい」といわれてしまうケースだ。
おきてしまったことは、互いに口に封をし、そしらぬ顔でいることがこの道の作法というもの。
男にも女にも股ぐらに聖人君子は宿らないと、昔から言われているではないか。
投稿: 与太郎 | 2011.10.27 05:31
>与太郎 さん
一つ部屋に宿泊し、するがしないか、漱石でなくても思案しますよね。しかし、女性のほうから求めてこられて、矜持を保ちつづけられる男もきわめて少ないとおもすます。平蔵は女性に恥かすおもいをさせない男でした。
投稿: ちゅうすけ | 2011.10.27 20:23