ちゅうすけのひとり言(45)
長谷川平蔵宣以(のぶため 28歳)が跡目を相続した安永2年(1773)年に、同じように相続をゆるされたお目見以上の幕臣の調査リポートをつづけている。
幕府の諸式の一端がのぞけるとおもったからである。
6月6日の『徳川実紀』---
この日、書院番組頭宮崎三郎左衛門仲武が子小姓組与十郎安澄。寄合水野源右衛門忠香が子兵庫忠候をはじめ、父死して。家をつぐ者七人。
『寛政重修諸家譜』でひろえたのは、5人。
父 :水野源右衛門忠香(ただか 2800石)
安永2年閏3月10日卒 53歳
子 : 兵庫忠候(ただもり)
(跡目) 24歳
天明4年(1784)10月2日西丸小姓組出仕
父 :宮崎三郎左衛門仲武(なかたけ 600俵)
安永2年閏3月22日卒 53歳
子 : 与十郎安澄(やすずみ)
(跡目)37歳
宝暦13年(1763)12月18日小姓組出仕
兄 :井沢平三郎正芳(ただよし 500俵)
安永2年3月2日卒 28歳
弟 : 十三郎正長(まさなが)
(遺跡) 19歳
兄 :難波田善左衛門憲道(のりみち 280俵)
安永2年閏3月11日卒 30歳
弟 : 喜久蔵:憲輝(のりてる)
(跡目) 26歳
安永6年(1777)5月18日御納戸
養父:設楽助蔵惟精(これきよ 300俵)
安永2年閏3月29日卒 35歳
養子:(嶋村)信五郎能次(よしつぐ)
(跡目)
天明4年9月26日逐電 家たゆ
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