ちゅうすけのひとり言(44)
安永2年(1773)年に相続をゆるされたお目見以上の幕臣の調査リポートをつづけている。
おもいたったのは、徳川の正史ともいえる『徳川実紀』iには、氏名が1割もあかさられていないため、その選択はどんな基準によっていそうなのかも推測できればとおもったからである。
(この満5年間、自分の都合では1日として休まないで更新をつづけてきたが、年末年始はアクセス数が極端に落ちるので、いますぐ見なくても、将来、思いついたときに参考になさればいい---と腹をくくり、これまでアップしたつづきを1月4日までに入力する)
既アップ分
[ちゅうすけのひとり言](41) 9月8日 跡目13人中10人
(平蔵宣以を含む)
[ちゅうすけのひとり言](42)
2月11日 跡目 1 人
3月 7日 跡目12人中9人
3月 16日 跡目 1人
閏3月 5日 跡目 9人中5人
[ちゅうすけのひとり言](43)
4月 6日 跡目10人中7人
4月 8日 家督21人中15人
きょうからアップするのは、このつづき---
5月6日の『徳川実紀』---
美濃衆高木内膳貞往が子大炊貞歳。船手頭板橋左五兵衛盛祥が養子豊次郎盛隆。寄合田中左膳貞宜が養子七郎兵衛貞幹をはじめ。父の家つぐ者六人。
『寛政重修(ちょうしゅう)諸家譜』からひろえたのは以下の5家だけである。
兄 :岡部熊三郎盛真(もりざね 1500石)
安永2年2月26日卒 28歳
弟 : 千之助盛美(もりよし)
(跡目) 15歳
安永4年(1775)駿府城の守衛
父 :高木内膳貞往(さだゆき 1000石)
安永2年3月11日 多羅郷で卒 72歳
子 : 大炊貞歳(さだとし)
(跡目) 50歳
養父:板橋左五郎兵衛盛祥(もりよし 500石)
安永2年3月23日卒 59歳
養子:(疋田)豊次郎盛種(もりたね)
(跡目) 36歳
安永3年2月25日小姓組
養父:田中左膳貞宣(さだのぶ 250俵)
安永2年3月17日卒 62歳
養子:(山村)七郎兵衛貞幹(さだもと)
(跡目) 33歳
兄 :石川内馬法暁(のりあきら 200俵)
安永2年3月5日卒
弟 : 弥市郎忠方(ただまさ)
(跡目) 26歳
安永3年8月18日大番
ここで疑問は、田中家である。
『実紀』には「寄合」とあるから載せられたとおもうが、家禄はわずか250俵。
ほかにも、このように少禄の「寄合」の家があるのであろうか。
| 固定リンク
「200ちゅうすけのひとり言」カテゴリの記事
- ちゅうすけのひとり言(95)(2012.06.17)
- ちゅうすけのひとり言(94)(2012.05.08)
- ちゅうすけのひとり言(88)(2012.03.27)
- ちゅうすけのひとり言(90)(2012.03.29)
- ちゅうすけのひとり言(91) (2012.03.30)
コメント
このデータのお陰で、平蔵宣以の出仕が遅くもなく、とりわけ早くもなかったことがわかりました。ちゅうすけさんらしい綿密リサーチのたまものです。ありがとうございました。
投稿: tsuuko | 2009.12.29 13:20
>tsuuko さん
入念に視ていただくと、いろんなことが読めてきますでしょう?
投稿: ちゅうすけ | 2009.12.31 09:02