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2011.02.14

ちゅうすけのひとり言(66)

長谷川平蔵宣以(のぶため 36歳=天明元年 1781)のころ---田沼主殿頭意次(おきつぐ 64歳 相良藩主 3万7000石 豊千代養君の功で同年7月15日に1万石加増)が権力をかなり振るっていた時代を理解する一端として、辻 達也さん『一橋徳川家文書摘録考註百選』からの引用をつづけている。

四一
天明元年(1781)閏五月中十八日、一橋治済(はるさだ 31歳)長男豊千代(とよちよ 9歳))将軍家家治(いえはる 45歳)継嗣として江戸城西丸へ移るにつき、関係者へ贈り物書付

   十八日の方

縮   五反」   鯛  一折   田沼主殿頭殿 
縮   三反」   鯛  一折   水野出羽守殿

縮   三反」   鯛  一折ツゝ 稲葉越中守殿
                     横田筑後守殿
 
縮   弐反              依田豊前守殿 
縮   一反」晒 一反ツゝ     奥之番 弐人
    
            高岡との」花園しとの」飛鳥井との」
縮   三反ツゝ  御ふしの方」滝川との」野むらとの」
             砂野との」大崎との」高橋との 

            御客応答   三人」同格 三人
            御中﨟     七人」御錠口 五人 
金五百疋ツゝ    表使      五人」栄受
          新御殿附  上﨟  弐人」御年寄 弐人
          一ノ御殿附 上﨟  壱」人」 玉沢」いわを」
                            青羽」小倉」

          御本家附 御右筆 七人」御切手 三人」
                 御次頭 壱人」御次 十弐人」
                 御錠口助壱人」御坊主 四人」
金三百疋ツゝ         呉服之間頭 三人」呉服之間 拾三人」
                 御広敷頭 壱人」御三之間頭 壱人」
          新御殿附 若年寄 弐人」御中﨟 六人」
                          御小姓 弐人」
          一ノ御殿附若年寄 弐人」御中﨟 六人」
                 御小姓 弐人」表使  六人」

金弐疋ツゝ   御本家附 御広敷 拾人」御三之間 拾人

銀三拾枚ツゝ        惣中

右(上)之通、大奥取扱ニ而被贈候積りニ御座候。


三反ツゝ     高岡との」滝川との
弐反        富野
右(上)は初より取扱ニ付、別ニ反物被贈候積りニ御座候。

弐反        民野
目録        御右筆」御使番 ニ人
右(上)は西丸え罷越、伝達等御座候ニ付、追而披キ候節、反物ニ而も被贈候筈ニ御座候。


【註(原書)】
田沼主殿頭-----田沼意次、老中
水野出羽守-----水野忠友、側用人
稲葉越中守-----稲葉正明、側衆、御用取次
横田筑後守-----横田準松、側衆、御用取次
依田豊前守-----依田政次、留守居
御本家---------将軍附きの女中(ゴホンカと読む)


それぞれの職掌が具体的にどのようなもので、継嗣・豊千代にどうかかわりあうのかの詳細はしらない。
とにかく、儀礼と音物(贈答)の時代であったことは察しがつく。

ちゅうすけ註】金銭の単位としての「疋」は、1疋=10文、百疋=1000文。1両=4000文。
当ブログでは、いまのところは、1両=16万円に換算している。

         
  
 

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コメント

徳川幕府にかぎらないのでしょうが、権力側が儀礼づくめで体制の維持をはかっていることが、この史料でよっくのみこめました。

投稿: 左兵衛佐 | 2011.02.14 06:07

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