建部甚右衛門広殷、免任(2)
おんなを抱くのも、おなごから逃げるのも、若いうちは経験だ---と笑いとばした建部(たけべ)甚右衛門広殷(ひろかず 56歳 1000石)に、平蔵(へいぞう 27歳)は、古武士の豪放だけではない、抒情を感じとった。
【参照】2011年4月5日~[火盗改メ・堀 帯刀秀隆] (2) (3) (4)
2011年41月18日~[火盗改メ増役・部甚右衛門広殷] (1) (2)
平蔵が建部広殷に会い、言葉を交わすのはきょうが3度目であったが、なんとなく気があいそうというか、ちょっと甘えてみたい感じになっていた。
平蔵が同年配の仲間よりも齢かさの仁に引き立てられたのは、そういう、甘えというか、よりかかる気性をもっていたからであろうか。
いまの場合もそうであった。
「建部組頭さま。後学のためにお教えいただきたいのでございますが、おなごから逃げるのも経験のうちといって許されるのは、幾歳まででございましょう?」
訊かれた甚右衛門広殷は笑いをおさめ、それが特徴でもあるぎょろ目で深ぶかと平蔵を瞶(みつ)めていたが、首をニ、三度ふると、
「長谷川うじ。もう手おくれであろうよ。若いうちといってすまされるのは、家禄を継ぐまでのこと---」
断定しおえると、また、からからと笑った。
「と申されますと、いまの拙の10年前---たしかに手おくれでございますな」
平蔵も笑いでごまかした。
---が、ごまかしきれなかったようであった。
「10年前というと---?」
「28歳でありました」
「ふむ。われの遺跡相続は17歳であった---いや、かような微妙な話題は、組下の前ではしてはならぬ。いずれ、席をあらためてな---はっ、ははは」
亡夫・宣雄からの年長者でない心の友をも、一人得た感触があったが、そのおもいを断ちきった平蔵は、さぐりを入れてみた。
「三宅(重兵衛 じゅうべえ 42歳)どの。嶋田陣屋の手代の祐助(ゆうすけ 45歳)から、なにか目新しいことでも申してきましたか?」
三宅同心は、上役・原田り研太郎( けんたろう38歳)与力が軽くうなずくのをたしかめた上で、
「十手持ちの宇三(うぞう 38歳)と申した男、お覚えでしょうか?」
平蔵が合点すると、膝をすすめてきた。
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