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2011.04.06

火盗改メ・堀 帯刀秀隆(3)

しばらく料理に専念してい、静かであった空気を破るように突然、建部(たけべ)甚右衛門広殷(ひろかず 54歳 1000石)が、堀 帯刀秀隆(ひでたか 45歳 1500石)に声をかけた。

どの。お手前の前任の水野清六忠郷 たださと 48歳 2500石)どのな---」
水野どのは、前々任ですが---}
秀隆は不審げな面持ちで、それでも箸を置き、首をかしげた。

秀隆のいうとおり、水野忠郷は西丸の先手組頭から先手・鉄砲(つつ)の第16の組頭iとして安永9年(1780)10月7日に組替えとなって転じてき、即日、火盗改メの助役(すけやく)を命じられた。
しかし7ヶ月後の今年---つまり天明元年(1781)閏T5月1日には小普請支配に栄転していった。
後任には、佐渡奉行の宇田川平七定円(さだみつ 200俵 68歳)が発令されたが、3ヶ月後に卒した。

家柄を誇りとしている建部とすれば、桜田の館に召された宇田川平七など眼中にないのであろう。

「で、水野どのがなにか---?」
堀 帯刀がうながすと、
「このことは、(にえ)越前 (守正寿 まさとし 41歳 300石)本役どのもご承知のことなれど---」

水野清六忠郷が火盗改メ・助役を勤めていたとき、建部広殷も増役(ましやく)に就いていた。
ところが、彼が組頭として預かっている組そのものは、この20何年というもの、火盗改メを役していず、みていてまどろかしい。
しかも、他の組の多くは与力が10騎揃っているのに、建部の組---鉄砲の第12組は6騎であった。

「これでは、せっかくのご奉公も手薄になろうというもの。そこで、相役の水野清六どのに、気のきいた同心を3人ほど交換してほしいと申しいれたのでござるよ。もちろん、 本役どのにもご相談しての上でござった」

組頭の交代はあたりまえのことだが、与力や同心は組についているのが定石で、もちろん後継ぎがいなければ小普請組の軽輩から調達することはあるが、ほとんじは養子を迎えて継がせている。
30俵2人扶持の微禄でも、安定したあてがい扶持を希望する者は少なくない。

そんなこんなで、前例のない組同心の交換についての手続きなどをあたっているうちに、
「水野どのが栄転されてしまったのでござる。これは、ぜひとも、 助役どのに無理をお願いいたしたい」

「しかし、組子の交換となりますと、組屋敷も転宅となりますゆえ、本人が承知いたすかどうか---」
堀 帯刀秀隆は、決まりきった仕事をすすめていくのは苦にはならないようだが、前例のない事態は手がけたくない性格らしいと平蔵(へいぞう 26歳)はみた。

まあ、徳川体制を維持するためには、新しいことはしないにかぎる---時代の趨勢に応じて対策をたてていく田沼主殿頭意次 おきつぐ 64歳 4万7000石)が門閥派から嫌われる原因も、そのあたりにもあると、平蔵(へいぞう 36歳)は贄 越前守の表情をうかがった。

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