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2010.05.26

ちゅうすけのひとり言(57)

物語の進行中の時制(安永4年)から1年後---安永5年(1776)4月13日に首途(かどで)した将軍・家治(いえはる 39歳)の壮挙である日光参詣に供奉(ぐぶ)の選抜をめぐる、幕臣のあいだの一喜一憂のはしばしを報告している。

とりあえず、長谷川家の本家・太郎兵衛正直(まさなお 67歳 1450石)がからんでいる、先手30組の選抜のリストを公開しよう。
(このリストは、本邦初出のはず)

弓組10組の組頭
 (○選抜。 年齢は安永4年。1番組から順)

平岡与右衛門近敬(ちかよし 74歳 300俵) 
  菅沼藤十郎定亨(さだゆき 46歳 2024石)
長田甚左衛門繁走尭しげたけ 55歳 1300石)
 蒔(まい)田八郎左衛門定賢(さだかた 39歳 1800石)
能勢助十郎頼寿よりひさ 72歳 300俵)
  遠山源兵衛景俊(かげとし 68歳 400石)
長谷川太郎兵衛正直まさなお 67歳 14350石)
嶋田弾正政弥(まさはる 39歳 2500石)
  橋本阿波守忠正(ただまさ 65歳 500俵)
  篠山吉之助光官(みつのり 60歳 500石)


鉄砲(つつ)20組の組頭(同上)

  三浦五郎左衛門義如(よしゆき 57歳 500俵)
  大岡忠四郎忠居(ただおき 45歳 1430石)
  杉浦長門守忠興(ただおき 55歳 620石)
大久保弥三郎忠厚(ただあつ 55歳 550石)
倉橋三左衛門久雄(ひさお 66歳 1000石)
小笠原兵庫住甫(すみやす 38歳 300石)
  荒木十右衛門政為(まさため 52歳 1500石)
安部兵部信盈のぶみつ 52歳 1500石)
遠藤源五郎常住つねずみ 59歳 1000石)
松田善右衛門勝易かつやす 53歳 1230石)
○浅井小右衛門元武(もとたけ 66歳 540石)
山本備前守義詔(よしみち 59歳 300俵)
  松本仁右衛門近富(ちかとみ 75歳 1,500石)
  牧野内匠資成(すけしげ 1500石) 
○織田図書信方(のぶかた 58歳 1500石)
  戸田五助勝房(かつふさ 52歳 1500石)
  市岡左兵衛正軌(まつのり 82歳 400石)
熊倉兵庫頭茂政(しげまさ 47歳 300石)
松下隠岐守照永(あきなが 52歳 700石)

こうしてリスト化してみると、選抜の基準はあってなきがごとし---ともいえる。
このさい、高齢者に華をもたせてもいないし、永続勤務を賞しているわけでもなさそうである。

基準がないところには、情実がはびこるともいえる。
さらに調査・考察を要する。


このリストが、以上の30名の後裔の方々のお目にとまり、ご先祖さまの日光随伴についてのエピソードが伝わっていたら、お聞かせいただきたいもの。
 
 

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コメント

そうでしょう、あの膨大な『寛政譜』から30人もの組頭の一人ひとりの経歴をあたり、日光へ供奉したかどうかを調べるだけでも大変なのに、組潤や年齢、禄高まで添えるというのは、なみたいていのことではないとおもいました。頭がさがりました。

投稿: 左衛門左 | 2010.05.29 06:11

>左衛門佐 さん
『寛政重修諸家譜』はすぐに繰れるように、本棚からおろして、椅子の上ら重ねていますから、それほど、面倒ではありません。
『柳営補任』も手近のところに置いていますから、組の番手を見たりすのはラクなのですが、氏名の誤記がときどきあるので、その確認に手間どります。
まあ、誰かがやっておかないと、鬼平学がすすみませんから、やっているようなものです。
すぐには、お役にたたないことばっかり、やっていると、自分でもあきれています。

投稿: ちゅうすけ | 2010.05.29 07:59

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