ちゅうすけのひとり言(48)
きのう、安永2年(1773)8月分をアップした。
9月分は、去年の12月18日[ちゅうすけのひとり言] (41)にあげているので、きょうは、10月分。
10月7日の『徳川実紀』----
御側白須甲斐守正賢が養子幾之丞正雍。西城小納戸酒井清次郎実方が養子乙五郎実右。寄合河野主馬通英が孫当太郎通弘を始め。家をつぐもの十六人。
『寛政重修(ちょうしゅう)諸家譜』で見つけた者、14人。
養父:白須甲斐守政賢(まさかた 2050石)
安永2年7月12日卒 52歳
養子:(増山)幾之助正雍(まさちか)
(跡目) 20歳
安永2年7月24日小納戸出仕
父 :大岡権之助直賢(なおかた 1000石)
安永2年7月16日卒 38歳
子 : 城之助直孝(なおたか)
(跡目) 17歳
安永5年(1776)7月3日西城小姓組出仕
養父:窪田辰之助忠公(ただかね 700石)
安永2年7月12日卒 30歳
子 : 亀次郎忠可(ただきく)
(跡目) 18歳
安永3年(1774)6月7日西城書院番士出仕
父 :佐野帯刀為英(ためひで 540石)
安永2年7月8日卒 46歳
子 : 八郎為辰(ためとき)
(跡目) 21歳
父 :数原清庵宗信(むねのぶ 500石)
安永2年7月2日卒 55歳
子 : 政之助宗善(むねよし)
(跡目) 9歳
寛政7年(1795)6月7日番医
父 :団 安左衛門景保(かげやす 400俵)
安永2年7月14日卒 55歳
子 : 平八郎景定(かげさだ)
(跡目) 21歳
安永3年(1774)6月18日小十人出仕
父 :久保右膳勝本(かつもと 300石)
安永2年7月29日卒 52歳
子 : 繁三郎勝之(かつゆき)
(跡目) 27歳
天明元年(1781)7月6日御腰物方出仕
養父:酒井清次郎実方(さねかた 200石)
安永2年7月4日卒 39歳
養子:(大久保)乙五郎実右(さねすけ)
(跡目) 17歳
兄 :牛奥太郎八昌興(まさおき 200俵)
安永2年7月11日卒 37歳
弟 : 徳三郎昌純(まさずみ)
(跡目) 22歳
安永5年(1776)4月10日大番出仕
祖父:河野主馬通英(みちふさ 200俵)
安永2年6月11日卒 78歳
孫 : 当太郎通弘(みちひろ)
(跡目) 19歳
寛政元年(1789)6月7日小姓組出仕
父 :建部岩之助賢省(かたあき 100知俵10口)
安永2年7月2日失心自殺 51歳
子 : 伊織文貞(ぶんさだ)
(跡目) 17歳
安永6年(1777)5月3日死 21歳
父 :桜井林右衛門貴氐(たかもと 60俵2人扶持)
安永2年6月11日卒 79歳
子 : 貞之進貴帷(たかかた)
(跡目) 59歳
すでに鷹匠から小十人
父 :細川桃庵(とうあん 300俵15口)
安永2年6月25日卒 47歳
子 : 宗仙(そうせん)
(跡目)
安永5年博打により流罪
【ちゅうすけ注】 少禄にもかかわらず『実紀』に酒井清次郎と河野主馬の名があげられているのは、布衣を許されていたからか。
自裁者(建部岩之助)と、博打により遠流(細川宗仙)があるのも、興味をそそられるし、当時の下流幕臣の生き方がうかがえておもしろい。
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