ちゅうすけのひとり言(47)
明けまして、おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
正月早々から、年末から引きつづきの[ちゅうすけのひとり言]---安永2年の相続お許しの後半---とにかく片をつけないと、平蔵宣以が幕臣として門出ができません。
おつきあいください。
8月6日の『徳川実紀』----
広敷用人建部和泉守広高が子徒頭駿河守広通。先手頭石野藤七郎唯義が養子大助唯従。船手頭小幡市郎左衛門直政が養子千次郎直武をはじめ。父死して。その子家をつぐもの十七人。
『寛政重修諸家譜』でひろったのは、11人にすぎなかった。
兄 :安部伊織正実(まさざね 2000石)
安永2年5月11日卒 46歳
弟 : 金平正恭(まさゆき)
(跡目) 30歳
安永4年(1775)7月晦日書院番出仕
養父:宇都野弥十郎正季(まさすえ 500石)
安永2年5月3日卒 49歳
養子:(野一色)京三郎正尚(まさなお)
(跡目) 22歳
安永4年(1775)6月10日大番出仕
兄 :石川銕三郎政英(まさひで 500石)
安永2年5月23日卒 32歳
弟 : 造酒助政平(まさひら)
(跡目) 17歳
安永3年(1774)4月13日西城書院番出仕
兄 :五味乙十郎豊長(とよなが 200石200俵)
安永2年5月6日卒 57歳
弟 : 帯刀至豊(よしとよ)
(跡目) 20歳
安永3年(1774)12月14日大番出仕
父 :建部和泉守広高(ひろたか 300石)
安永2年5月9日卒 59歳
子 : 駿河守広通(ひろみち)
(跡目) 32歳
宝暦元年(1750)すでにお伽で出仕
養父:石野藤七郎唯義(ただよし 500俵)
安永2年5月27日卒 67歳
養子:(永井)大助唯従(ただとも)
(跡目) 29歳
安永4年(1775)10月5日死 31歳
【参照】2009年6月8日[からす山の松造] (1)
2009年1月2日[明和6年(1769)の銕三郎] (2) (3)
2009年6月15日[宣雄、火盗改メ拝命] (2)
養父:加藤太郎右衛門景張(かげはる 230石)
安永2年5月29日卒 39歳
養子:(広戸)千之助正知(まさとも)
(跡目) 20歳
天明6年(1786)5月26日大番出仕
父 :鳥居小左衛門季包(すえかね 200俵)
安永2年5月19日卒 72歳
子 : 半十郎佳逹(よしみち)
(跡目) 29歳
安永3年(1774)6月18日西丸小十人出仕
養父:三枝長次郎守明(もりあきら 150俵)
安永2年5月28日卒 64歳
養子:(宮城)左京守寿(もりとし)
(跡目) 38歳
安永3年(1774)9月19日小十人出仕
祖父:比企市十郎勝郷(かつさと 150俵月5口)
安永2年5月22日卒 75歳
孫 : 徳次郎勝美(かつよし)
(跡目) 25歳
寛政3年(17691)12月22日死 44歳
養父:高木弥十郎政温(まさあつ 90石5斗余)
安永2年5月11日卒 22歳
養子:(松下)門蔵正利(まさとし)
(跡目) 15歳
寛政3年(17691)8月26日死 22歳
8月22日の『実紀』----
寄合鈴木市左衛門之房が養子鉄五郎之武。南部彦九郎利起が養子幸吉利正をはじめ。父の家をつぐもの九人。
『寛政譜』からさがせたのは、4人。
養父:南部彦九郎信起(のぶおき 3000石)
安永2年8月22日致仕 54歳
養子:(南部)幸吉信由(のぶより)
(家督) 21歳
安永3年(1774)12月16日実家を相続
父 :佐野伝右衛門政豊(まさとよ 500俵)
安永2年8月22日致仕 61歳
子 : 源之助政言(まさこと)
(家督) 18歳
【参照】2007年11月26日[『田沼意次◎その虚実』] (3)
養父:鈴木市左衛門之房(ゆきふさ 450石)
安永2年8月22日致仕 78歳
養子:(安藤)銕五郎之武(ゆきたけ)
(家督) 32歳
父 :安藤盛右衛門定煕(さだひろ 200俵)
安永2年8月22日致仕 52歳
子 : 甚之丞定香(さだか)
(家督) 23歳
安永2年12月晦日大番出仕
偶然とはいえ、田沼意知(おきとも)を斬った佐野政言が入っていたのは、なんだか憑いている感じ。
「こいつぁ、春から縁起がいいわい」かな。
| 固定リンク
「200ちゅうすけのひとり言」カテゴリの記事
- ちゅうすけのひとり言(95)(2012.06.17)
- ちゅうすけのひとり言(94)(2012.05.08)
- ちゅうすけのひとり言(88)(2012.03.27)
- ちゅうすけのひとり言(90)(2012.03.29)
- ちゅうすけのひとり言(91) (2012.03.30)
コメント