ちゅうすけのひとり言(51)
京・禁裏の地下官人の不正をめぐる項について、asou さんから、かなり専門的なご教示のコメントをいただいた。
【参照】2009年7月15日~[小川町の石谷備後守邸] (1) (2)
2009年8月10日~[ちゅうすけのひとり言] (36) (37) (38) (39) (40)
2009年9月19日[命婦(みょうぶ)、越中さん]
2009年9月20日~[御所役人にはた働きかける女スパイ] (1) (2) (3)
2009年9月23日[『幕末の宮廷』因幡薬師』]
2009年9月24日[『翁草』 鳶魚翁のネタ本?]
asou さんがおすすめの『続史愚抄』(吉川弘文館)は、昨日、近くの図書館が取り寄せてくれた。
同じくご推薦の『御仕置類例集』と『よしの冊子』は書棚にある。
『続史愚抄』とともに、再吟味にとりかかるつもりでいる。
その後、一橋北詰の火除け地の角に茶寮〔貴志〕が建ち、女将・里貴(りき 30がらみ)と若いころの長谷川平蔵(28歳)が、tsuuko さんがご杞憂のように、少々おかしな気配になってきた。
あわてて、かねて企画していた、8代将軍となった紀州侯・吉宗が江戸城へ入るときに、赤坂の藩邸から伴っていった紀州藩士の『寛政重修l諸家譜』の一覧性化((A3化)を、この年末年始からこのごろにかけて約150家分、整備した。
というのは、
【参照】2008年613日[ちゅうすけのひとり言] (14)
に予告しておいたように、
人生の残り時間が少なくなってはいるが、目標の家譜の再構成は、
・今川方から徳川へ移った家
・武田方から徳川へ移った家
・吉宗とともに紀州から幕臣となった家
この3目標にかかわる『寛政譜』の一覧性化を、折にふれて、少しずつすすめてきていたので、その補充をいそいだのである。
・紀州藩から幕臣となり、300石(俵もふくむ)以上の家禄をあたえられた90家、
・おなじく、299石(俵)以下が45家、
・御薬込方から御庭番が17家、
で、計152家。
里貴のかかわる元紀州藩士は、300石(俵)の家柄の中にいるにちがいない。
(左=300石以上の家。右=299石以下の家)
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