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2010.01.23

ちゅうすけのひとり言(51)

京・禁裏の地下官人の不正をめぐる項について、asou さんから、かなり専門的なご教示のコメントをいただいた。

参照】2009年7月15日~[小川町の石谷備後守邸] () (
2009年8月10日~[ちゅうすけのひとり言] (36) (37) (38) (39) (40)
2009年9月19日[命婦(みょうぶ)、越中さん
2009年9月20日~[御所役人にはた働きかける女スパイ] () () ()
2009年9月23日[幕末の宮廷』因幡薬師』
2009年9月24日[『翁草』 鳶魚翁のネタ本?

asou さんがおすすめの『続史愚抄』(吉川弘文館)は、昨日、近くの図書館が取り寄せてくれた。
同じくご推薦の『御仕置類例集』と『よしの冊子』は書棚にある。
続史愚抄』とともに、再吟味にとりかかるつもりでいる。

その後、一橋北詰の火除け地の角に茶寮〔貴志〕が建ち、女将・里貴(りき 30がらみ)と若いころの長谷川平蔵(28歳)が、tsuuko さんがご杞憂のように、少々おかしな気配になってきた。

あわてて、かねて企画していた、8代将軍となった紀州侯・吉宗が江戸城へ入るときに、赤坂の藩邸から伴っていった紀州藩士の『寛政重修l諸家譜』の一覧性化((A3化)を、この年末年始からこのごろにかけて約150家分、整備した。

というのは、

参照】2008年613日[ちゅうすけのひとり言] (14

に予告しておいたように、


人生の残り時間が少なくなってはいるが、目標の家譜の再構成は、

今川方から徳川へ移った家
・武田方から徳川へ移った家
吉宗とともに紀州から幕臣となった家


この3目標にかかわる『寛政譜』の一覧性化を、折にふれて、少しずつすすめてきていたので、その補充をいそいだのである。

・紀州藩から幕臣となり、300石(俵もふくむ)以上の家禄をあたえられた90家、
・おなじく、299石(俵)以下が45家、
・御薬込方から御庭番が17家、
で、計152家。

里貴のかかわる元紀州藩士は、300石(俵)の家柄の中にいるにちがいない。

List_360
(左=300石以上の家。右=299石以下の家)


 

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