« ちゅうすけのひとり言(55) | トップページ | 盗人(つとめにん)の生地をめぐる駿・遠の旅 »

2010.05.09

ちゅうすけのひとり言(56)

時の将軍あるいは世嗣(せいし)の放鷹の供をし、飛び立った獲物を鳥射し仕めた近臣を賞するのは、徳川幕府の慣例であった。

また、賞された側は、そのことをあたかも叙勲にも似た名誉として『寛政重修諸家譜』に記している。
あるいは編纂側が補記して称揚事の一としても励ます。

ところが、長谷川家の2代の平蔵の項には、その記述が見当たらない。

参照】2010年5月6日[ちゅうすけのひとり言] (54

それで、そのことがそれほど稀有の手柄なのかを検証している。
きょうは、安永2年(1773)9月8日に遺跡相続をゆるされた者で、『寛政譜』に名が載っている9名をあたってみた。
(『徳川実紀』には13名とあるが、2名は『寛政譜』で目にとまらなかった。
なお、残りの1名が長谷川平蔵宣以であることいいうまでもない)


禄高順にならべる(年齢=安永2年時)

嶋田吉十郎氏馬(うじうま 19歳 1800石)
・記載なし ○的を射て時服をたまう
  天明2年(1782)5月14日小姓組出仕

安部助九郎信尹(のぶただ 35歳 1000石)
・記載なし
 安永3年(1774)2月25日書院番出仕

永井主水尚喜(なおよし 46歳 500石)
・記載なし。    
  天明6年(1786)3月16日西丸御膳奉行出仕  

松倉彦五郎高住(たかすみ 22歳 300石)
・記載なし ○的を射て時服をたまう 
  安永8年(1779)10月22日書院番出仕

夏目虎之助信栄(のぶひさ 22歳 300俵)
・将軍の放鷹で鳥を射て時服をたまう
  安永3年(1774)2月25日小姓組出仕
  のち小納戸。

参照】2009年12月21日~[夏目虎之助信栄(のぶひさ)] () () () (

山田甚之丞尚陽(なおはる 17歳 200俵)
・記載なし
  安永5年(1776)4月10日大番出仕


山本直吉長孝(ながたか 25歳 200俵)
・記載なし


中村藤三郎徳基(のりもと 24歳 200俵)
・記載なし
  無役

笠原岩之丞武嘉(たけよし 27歳 100俵10口)
・記載なし
  寛政6年(1794)小石河川養生所見習

鳥射したのは、遺跡相続の日に、平蔵(へいぞう 28=安永2年)を茶寮〔貴志〕に誘い、女将・里貴(りき 29=安永2年)に引きあわせた夏目虎之助である。
もちろん、虎之助は、平蔵里貴がそういう関係になったことはしらないし、疑ってもいない。

その後、的を射て褒償されたのは、小姓組の嶋田氏馬、書院番士の松倉高住。
われらが平蔵にも、止まっている標的ぐらい射ぬいてもらいたいものである。

平蔵の勤務先は西丸で、主・家基の放鷹の回数は将軍の3分の1ぼとであるから、褒償の機会は少ない。

平蔵が西丸へ出仕してからの 家基の放鷹の記録を『実紀』から写してみる。


安永3年(家基12歳)
 4月18日  浅草のほとりで放鷹。
 5月2日  羅漢寺(東深川)のほとりで放鷹。

安永4年(家基13歳)
 5月15日 羅漢寺のほとりで放鷹。
 11月23日 浅草のほとりで放鷹。

安永5年(家基14歳)
 3月7日  王子のほとりで放鷹。
 11月23日 木下川のほとりで放鷹。
 11月19日 小松川のほとりで放鷹。

安永6年(家基15歳)
 1月21日  千住のほとりで放鷹。
 2月2日  目黒のほとりで放鷹。
 3月9日   雑司ヶ谷のほとりで放鷹。
   27日  志村のほとりで放鷹。
 4月9日  目黒のほとりで放鷹。
 5月2日  小菅のほとりで放鷹。
 10月11日 高田のほとりで放鷹。

安永7年(家基16歳)
 1月21日  千住のほとりで放鷹。
 3月5日  浅草のほとりで放鷹。
 4月23日  落合のほとりで放鷹。
 5月2日  浅草のほとりで放鷹。
 10月2日  中野のほとりで放鷹。
 11月13日 亀有のほとりで放鷹。
 12月9日  西葛西のほとりで放鷹。
 12月21日 千住のほとりで
安永7年(家基17歳)
 1月21日  千住のほとりで放鷹。
 5月1日  浅草のほとりで放鷹。
   13日  亀有村のほとりで放鷹。
  28日   深川のほしりで放鷹。
 10月2日 中野のほとりで放鷹。
  27日  浅草のほとりで放鷹。
 11月13日 亀有のほとりで放鷹。
 12月21日 千住のほとりで放鷹。

安永8年(家基18歳)
  不予を覚えた放鷹まで
 1月9日  小松川のほとりで放鷹。
  21日    ニ之江(葛飾)のほとりで放鷹。
 2月4日  目黒のほとりで放鷹。
  21日   新井宿のほとりで放鷹。
 
平蔵宣以は、いくど扈従したろうか?
鳥射したろうか?
記録はない。


       ★     ★     ★

重金敦行さんから、またまた、献呈をいただいた。

_330

池波さんと重金さんのコラボともいえる出来である。
『池波正太郎と歩く京都』(とんぼの本編集部編)

2010年4月25日 新潮社 1400円

「”江戸の達人"で"旅する小説家"は京都になにをさがそしていのだろうか」が帯の惹句。
編集者(『週刊朝日』)として池波さんの{食]についてのこころねを発掘した人だけに、ご当人の味へのこだわり、作法、つくり人へのいたわりが沁みでている。京都がますます味が深く、ふくよかになった。


|

« ちゅうすけのひとり言(55) | トップページ | 盗人(つとめにん)の生地をめぐる駿・遠の旅 »

200ちゅうすけのひとり言」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ちゅうすけのひとり言(55) | トップページ | 盗人(つとめにん)の生地をめぐる駿・遠の旅 »