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2010.05.10

盗人(つとめにん)の生地をめぐる駿・遠の旅

6年このかたつづいているSBS学苑パルシェ(JR静岡駅ビル)の[鬼平クラス]の5月8日(土)のウォーキンクは、マイクロ・バスによると遠出で、駿河国と遠州国を縦横に走るツァーであった。

いま、池波正太郎さん歿後20周年というので、各出版社やマスコミがいろんな企画を実らせている。
しかし、企画は似たりよったり---とりわけ20年だからという企画は少ないようにみえた。

それなら、こちらは、これまで誰も試みたことのない、盗人(つとめにん)の生誕地をめぐり---ということは、池波さんの取材ぶりを追体験する---旅の第1弾といこう!

第1弾は、33人の盗人を産んだ県下33ヶ所のうち、とりあえず、8ヶ所8人を。


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朝9時、静岡駅南口スルガ銀行前出発ということで、ちゅうすけは東京駅発06:56の〔こだま〕に。
GW直後の早朝なので、さすがに乗客はまばら。

新富士駅近くで仰ぎ見る霊峰も日本晴れ。

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幸先き、よし!

最初の下車スポットは、徳川軍と武田軍が激闘をくりかえした高天神城跡。

Photo

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(高天神城復元図)

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(健脚組は本丸まで登山。頂上に天神社があるから高天神)


文庫巻11に収録の、とぼけた秀作[]のサブ・キャラは〔馬伏まぶせ)〕の茂兵衛

遠江国山名郡浅羽村馬伏塚(現・袋井市浅羽)
地元では〔まむし〕と読んでいる。

一望、堀を埋め立てた田の中の小高い丘の上からは、「遠州灘まで見渡せるから見はらし台として貴重な砦だったのだ」と、グルーブの中の軍師格のつぶせやき。
丘地の高みの諏訪神社は、武田軍が勧請としたものか?

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礼拝。

横須賀市へ向かう途中、左手はるか向こう、〔彦島ひこじま)〕の彦兵衛の生地をのぞむ。
文庫巻12[二人女房] 遠江国山名郡彦島村(現・袋井市祖彦島)

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(厚手の袋入り。手前=抹茶羊羹)

横須賀で、予約しておいた銘菓〔愛宕下羊羹〕ひきとる。小豆羊羹と抹茶羊羹。
強すぎない甘みがほんのりと口中にのこり、余韻がたおやか。さすが銘品。
〒437-1301 掛川市横須賀1515-1
   ㈲愛宕下羊羹
    ℡&Fax 0537-48-2296

見付市での昼食は、旧東海道筋の蕎麦処〔三友屋〕。
女将が『剣客商売』のファンらしいが、こちらは、文庫巻2[盗法指南]で、鬼平に盗みてつだわせた〔伊砂いすが)〕の善八が忍びこんだ、その奥に多門寺がある多門小路(たもんこうじ)の酒造所〔枡屋〕がお目当てである。

蕎麦処〔三友屋〕から1丁もいかない南側の歩道Iに銘板が埋め込まれていた。

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(八木忠由さん撮影)

大満足。


一路、天竜の船明(ふなぎら)ダムをめざす。
そこは、文庫11[男色一本饂飩]の〔船明ふなぎら)〕の鳥平と、巻11[二人女房]の〔天竜てんりゅう)〕の岩五郎の生地である。

このあいだまでの天竜市は、大・浜松市のうち。
遠江国豊田郡天竜村は浜松市天竜・鹿島
船明はダムの名として有名だが、豊田郡船明村は、現・浜松市船明。

この船明ダムの中ほどにに架けられているが伊砂橋。
伊砂部落は200戸あるかどうか。

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(〔鬼平クラス〕のほとんどは駿河国地方に在住だから、船明ダムを目にするのは初めてと、大喜び)

二股城跡へ登る。勝頼軍も攻めあぐねたとおり、かなり堅城で、本丸の位置まて登るのはかなりきつい。
が、みんな、がんばった。

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文庫巻3[駿州・宇津谷峠]の〔二股(ふたまた)〕の音五郎を書くとき、池波さんは、この城で切腹させられた家康の嫡男・信康のことをおもっただろうか。
いたましい事件であった。

三方ヶ原へ戻った。
本乗寺(浜松市三方原町687)では、住職の山本恵達師が出迎えてくださった。

当寺へ安置された、三方ヶ原合戦での戦死者の霊を鎮魂する石碑に線香と花を捧げた。
鬼平こと、長谷川平蔵の祖---紀伊守正長(37歳)と弟・藤九郎(19歳)がここで戦死しているからでもある。

精鎮塚は、維新後、禄を失った幕臣300家が、人が住んでいなかった三方ヶ原を開墾に入ったとき、見つかった石碑を大乗寺が引きとって祀った。
というのも、初代の住職・青島師の夫人が、長谷川家の娘であったからと。

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(全員、用意の線香を1本ずつ回向)

そのあと、本堂で焼香し、師の講和を拝聴。
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帰りの東名で、駿州豊田のあたりで左手を遠望---文庫巻6の〔狐火〕に登場している〔岡津(おかつ)〕の与平の生誕地、岡津をすぎた。

長い1日は終わり、いつものように懇親会食は静岡へ帰って。

このような、盗人'(つとめにん)を生誕地をめく゜るツァーは、長く鬼平クラスをつづけたが、この日が初めてであった。

早くから準備をととのえてくださった、クラスの安池欣一さん、村越一彦さん、事務局の片野さんに感謝。

 


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コメント

東京駅発06:56で、懇親会にも出席していただき、ご帰宅は何時になったのでしょうか。ハード過ぎました。申し訳ありませんでした。最後の三方原の本乗寺(記事は大乗寺となっていますが訂正させてください)さんでは、本当に手厚いおもてなしをいただきまして感激いたしました。有難うございました。

投稿: 安池欣一 | 2010.05.10 09:13

>安池 さん
早速のご指摘、ありがとうございました。
本乗寺に訂正しました。
相変わらずのそそっかしさ、直りませんね。
しかし、参加のみなさんはもちろん、全国の鬼平ファンの方々には、盗賊の生誕地めぐりという楽しみ(要するに、池波さんの取材地めぐり)という新しい『犯科帳』の楽しみ方、そして、地方自治体の方々には、とんでもない観光資源の存在を知っていただけると思います。

投稿: ちゅうすけ | 2010.05.10 12:32

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