« 〔稲谷(いなたに)〕の仙右衛門 | トップページ | 〔市野(いちの)〕の馬七 »

2005.07.04

〔江嶋(えじま)〕の由五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻18に入っている[草雲雀]で、目黒の小間物屋〔かぎや〕の亭主・友次郎と、権之助坂上、白金10丁目で行きあったのが〔鳥羽(とば)〕の彦蔵(37,8歳)で、この男が属していたのが〔江島(えじま)〕の由五郎一味。

218

年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:出雲(いずも)国意宇郡(いうごうり)江島(えしま)村(現・島根県松江市八束町)。
〔鳥羽〕の彦蔵の地縁で、三重県鈴鹿と愛知県宝飯(ほい)郡一宮町の江島(えじま)も考慮に入れた。池波さんはとりわけ、鈴鹿市へ足を運んでいる。
が、松江市八束町の地図をみて、咄嗟に、迷いを一掃した。中海(なかのうみ)に浮かんでいる江島のすぐ東に鳥取県の西端の境港(さかいみなと)市が接していた。池波さんはここの美保(みほ)海軍飛行場に終戦まで駐屯していたのである。夕陽が江島の向こうの中海を染めながら落ちるのを眺めていたはず、と決めこんだ。
辛気くさい生国調べをしていて、胸のつかえがパッと晴れる瞬間である。地元の読みは(えしま)と濁らない。江島小麦が有名と資料にあった。

探索の発端:記述されていない。
試算では、この篇は寛政10年(1798)の事件になる。しかし、長谷川平蔵は寛政7年(1795)5月10日薨じてしまっている。それでも読者の熱望で連載はつづけられた。
〔江島(えじま)〕の由五郎とその一味8名の逮捕は一昨年とある。

つぶやき:池波さんが23歳、美保海軍航空隊での句。
 青麦の畑のそよぎに分け入りぬ
 砂浜の海の極(きわ)まで麦実り
(『完本池波正太郎大成』 別巻 講談社 「泥麦集」より)

|

« 〔稲谷(いなたに)〕の仙右衛門 | トップページ | 〔市野(いちの)〕の馬七 »

131島根県 」カテゴリの記事

コメント

中海に江島を見つけられたときの西尾先生の興奮、こちらにも伝わってきます。

池波先生のお若い時の俳句までお手持ちとは! 恐れ入りました。

それを、さりげなく、江島小麦とあわせてお出しになる手際も、おみごと、です。

投稿: 文くばり丈太 | 2005.07.04 09:20

>文くばり丈太さん

ええ、池波さんの俳句は、かねてから、『完本池波承知郎大成』で承知していました。

それと、ぼくは鳥取市の生まれで、境港には、大坂陸軍幼年学校時代の寝室戦友だったH君がいます。
彼は、同窓会で東京へ来、わが家の飯を食べ「こんなまずい米をくっているのか」と嘆き、境港の米を送ってくれました。ほんとうにおいしい米でした。

それで、懐かしく、親しんでいたのです。

しかし、江島が、小麦の名産地とは、資料をひもとくまで知りませんでした。

投稿: ちゅうすけ | 2005.07.04 19:49

中海に江島を見つけられ、池波さんの青春の俳句から、西尾先生の生国鳥取の友と、想いでは次々と懐かしく展開していきますね。

現在は池波さんが句を読まれた情景は、一変していると思われます。

2004年10月16日江島大橋が開通したのです
島根県八束町江島地区と鳥取県境港の渡地区を結ぶ全長1,704mの東洋一を誇るPCラーメン構法による橋です。

この橋のデザインテーマは「風」、写真で見ますと長い巨大橋でありながら美しい姿です。

夕陽に染まる巨大橋をながめながら、池波さんはどんな句を読まれることでしょう。

投稿: みやこのお豊 | 2005.07.04 20:32

あぁ!タイミングが!だから私のところにコメントを残してくださったんですね。
帰りの空港バスにて江島を通過したような気が・・・
あまりの豪雨で記憶が霞んでいます。

みやこのお豊さんの言うとおり、江島大橋が開通してかなり便利になったそうです。

投稿: 豊島のお幾 | 2005.07.04 22:09

〔江島}の由五郎を拝見しました。
島根県をおとりあげいただき、ありがとうございます。
ところで、江島の属している八束郡八束町は、今年の3月31日、いくつかの町村とともに松江市に合併し、松江市八束町となっています。

表記をご訂正いただけるとうれしいです。

投稿: 松江の衛 | 2005.07.05 12:37

>松江の衛さん

さすがに、地元の方。
さっそく、訂正・書き替えしました。

情報、ありがとうございました。
市町村の合併が、去年から今年にかけて、どんどん進んでいます。

地元の自治体や鬼平ファンの方、お気づきになったら、ぜひ、ご一報くださいますよう、お願いいたします。

投稿: ちゅうすけ | 2005.07.05 12:43

 江島の由五郎見ました。
松江などに行くとき必ず江島を通ります。
 今度そこを通るときから、そこらにいる人がその盗賊ゆかりの人の末裔に見えそうです。
 20年も前のことを憶えていて頂き恐縮。  ただし、私が不満だったのはホテル グランドーパレスの食事でした。

投稿: 境港のH | 2005.07.05 16:18

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 〔稲谷(いなたに)〕の仙右衛門 | トップページ | 〔市野(いちの)〕の馬七 »