納戸町の老叔母・於紀乃(4)
「銕(てつ)どのは、いまどきの若者じゃゆえ、、現金(げんぎん)とは存じていたが、京へ旅立つときに餞別をねだりにきてから、今日までそれきりとは、あまりにも現金すぎないかの」
銕三郎(てつさぶろう 28歳)が、
〔納戸町の老叔母〕
と、そのふところをあてにしてきた、4070石の長谷川家の老後家・於紀乃(きの 74歳)は、1年前よりさらに縮み、歯も下の左右に1本ずつを鬼婆の牙のようにのこしたきりなので声が抜け、意味がたどりにくい。
「叔母上。お達者なのが、なにより重畳。しかし、お言葉ではありますが、大権現(家康)さまも、ご当家の初代・讃岐さまに、いまどきの若者は現金じゃ---とのたまったそうですぞ」
「久三郎どの。まことかの? 紀乃は、亡き殿_(正誠 まさざね 享年69歳=10年前)からは、さようなことは聞いておりませぬぞ」
「銕の口まかせですよ」
「さもあろう。正妻の紀乃におもらしにならないことを、銕(てつ)ごとき道化におっしゃるはずはないわの。は、ははは」
男のように笑う齢になっているらしい。
久三郎正脩(まさひろ 63歳 小普請支配)は、隠居の養母の相手はしておれぬとばかりに、
「夕餉は半刻(はんとき 1時間)あとだから---」
早々に立ち去った。
それを見すました於紀乃は、、
「のう、銕どの。あの、甲斐の軒猿(のきざる 忍びの者)のむすめごは、その後、どうなったかの」
「あ、中畑(なかばたけ)村のお竜(りょう)でございますか?」
【参照】2008年9月7日[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜](1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
「さよう、さよう。お竜と申したかの---いやな、この齢になると、食い物も歯ごたえがなくなっての、本も目がきかなくなってすぐに疲れるし、男衆はちやほやしてくれないし---つまるところは、面白い話をきくだけが楽しみになってしもうてな」
「そういえば、こ本家すじの八木丹波守補道(みつもち 60歳 4000石)さまは、まだ、甲府勤番支配のままで?」
「まる3年も山流しというのに、お上はお忘れになっているのかもな---さ、それより、軒猿のことよ」
銕三郎は、お竜の死をどう告げたものか、おもい迷った末に、真実を話さないことに決めた。
親類に話が洩れることより、真実をあらためて自分にいいきかせることがつらかった。
とっさに、〔千歳(せんざい)〕のお豊(とよ 25歳)とすり替えことにした。
齢を33歳にした。
御所へ毎朝、つくりたての粽を奉供している〔道喜〕の財産を、お豊の一味が狙ってさぐりをいれているらしいことを、銕三郎が察知したふうに話した。
お紀乃には、禁裏が理解できなかった。
それでつい、政権をご公儀に依頼なさっているお方だと解説し、お豊が、
をみなへし 佐紀(さき)沢のへ辺(へ)の 真葛ヶ原
いつかも繰りて 我が衣(ころも)がに着む
などという和歌を〔道喜〕の10代目当主に贈って気を惹いたりしているというと、
「どういう意味の和歌かの?」
「あなたの樹皮を剥いて、糸につくり、織って、自分の身にまといたい、という恋の和歌です」
「銕どのは、京で和歌も修行なさったか。えらいな。しかし、甲斐の軒猿にしては学があるの」
「御所出入の粽司をたぶらかすためには、学も身につけます」
「それで---?」
京都町奉行所の配下の者が、お豊---ではなかった、お竜の茶店に打ちこんだものの、抜け穴からまんまと逃げられたというと、お紀乃は不謹慎に、歯のない口を大きくあけ、
「は、ははは」
笑い転げた。
そして、訊いた。
「その、〔道喜}とやらの粽はおいしいのかな?」
(食い気もなくなったといったくせに---)
その笑い方から、本所ニッ目通り、弥勒寺門前の茶店〔笹や〕の女主人・お熊(くま)を連想してしまった、
(そういえば、お熊どのもそろそろ、50歳のはず---)
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コメント
於紀乃叔母が男のように笑った---うちの祖母そっくりなので、笑ってしまいました。
投稿: tsuuko | 2009.12.07 05:45
>tsuuko さん
稀には、そういうおばあちゃんもいらっしゃるということです。
暴言多謝。
投稿: ちゅうすけ | 2009.12.08 10:29