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2006.02.07

浪人剣客(けんかく)・下氏九兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収録されている[追跡]で、雑司ヶ谷の鬼子母神に詣でた鬼平が、火盗改メのかつての目明しで盗賊とぐるになっていた〔藪の内〕の甚五郎を見かけ、宿坂、姿見橋(面影橋)から高田馬場へ出る坂まで尾行(つ)けたところ、堂々たる体躯で髭面の浪人に試合を懇望された。
男は、彦根藩の浪人・下氏九兵衛と名乗った。
(参照: 〔藪の内〕の甚五郎の項)
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姿見橋(面影橋)(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:40歳前後。高い頬骨に髭面。堂々たる体躯。
生国:近江(おうみ)国彦根城下(現・滋賀県彦根市内)。
50石とりの彦根藩士の3男。早くから剣を学ぶが、鬱積しているので乱暴狼藉者としてもてあまされていたが、新しい師・林久米蔵門下となってからは神妙になったが、林師の縁者〔日野屋〕の後妻と通じてしまい、師弟ともに諸国を放浪する破目となった。

事件の経緯:剣に自信はあるものの、精神に異常をきたしていた九兵衛は、甚五郎の尾行に気のせいている鬼平に、あっという間に片をつけられる。
逃げこんだのは、4年前からささやかな道場をかまえている旧師・林久米蔵の許であったが、常軌を逸していた九兵衛は、通行人にも斬りかかった末、鬼平に取りおささえられたのち、牢死。

つぶやき:池波さんが書きたかったのは、九兵衛の狂気を呼んだのが、間接的には50石の低俸給の家の3男に生まれた封建社会での閉塞状況と不運---ということではなかったろうか。
それは、百万言をついやしても救いようのない現実であろう。しかしだからこそ、作家がつむぎだした百万言が光り、共感を呼ぶのである。

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