〔瀬音(せのと)〕の小兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻5に収録の[女賊(おんなぞく)]に登場した元お頭。
引退前は、上方から三河、遠江、江戸へかけて、同業の仲間うちでは知られた大泥棒だった。
年齢・容姿:60すぎ。小柄で痩せこけてはいるが、皺をとれば、まるで生まれたばかりの赤ん坊のような顔。
生国:近江(おうみ)国甲賀郡(こうかごおり)瀬音(せのおと)の里(現・滋賀県甲賀市瀬音)
探索の発端:養子に出した息子・幸太郎が、女賊〔猿塚(さるつか)〕のお千代に取り込まれていると知った元盗人の首領〔瀬音(せのと)〕の小兵衛は、死に水をとってもらうつもりで金をあずけていた東海道・岡部宿の小間物屋〔川口屋〕の寡婦おすみから、作り話で20両を引き出し、江戸へ。
(参照: 〔猿塚〕のお千代の項)
浅草寺の境内で女密偵おまさに出会い、事情を打ち明けて助力をもとめた。
(参照: 女密偵おまさの項)
〔猿塚〕のお千代一味を捕えられるとかんがえたおまさは、事情を鬼平に報告、ひそかに探索に入った。
お千代と幸太郎の逢引きの場所、池之端の出会茶屋を見張っていて、ついに〔猿塚〕の本拠をさぐりだした。お千代は金杉水道町は牛天神下の菓子舗〔井筒屋〕へ後妻というふれこみで入り込み、老齢の父親が死ぬと、そこを盗みばたらきの根城にしていたのだ。
結末:幸太郎が手代をつとめている橘町の乾物問屋〔大坂屋〕の間どりなどの仔細を聞きだすためのお千代の色じかけだったが、一味が火盗改メのお縄にかかる前に、〔猿塚〕のお千代は自裁していた。
つぶやき:池波忍者ものの舞台---甲賀の地図を見ていて、土山町に「瀬音」という里を発見。さっそく町役場(現・土山地区役場)へ電話を入れたら----、
「地元では、(せのおと)とか(せおと)と呼んでいますが---」
池波さんが、甲賀忍者ものの取材で、何度もこのあたりを取材したことはまぎれもないこと。とうぜん、「瀬音」の里名も目にしたろう。
しかし、この里名が、明治中期に「音羽野」と「一之瀬」という二つの部落が合併して生まれた村名だったことまでご存じだったかどうか。
2004年10月1日に、土山町、水口町、甲賀町、甲南町、信楽町が合併して甲賀市となったので、いまは甲賀市瀬音。
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コメント
(せのおと)より(せのと)の方が感じがいいですね。
投稿: てんぽうりん | 2004.12.24 16:21
てんぽうりん さん
お説のとおり、地元の読み方どおりの「瀬音(せのおと)」より、池波流の(せのと)のほうが、なんとなく「通り名」という感じが強いですね。
池波さんの造語力の現れの一端かともおもいます。
投稿: ちゅうすけ | 2004.12.24 17:36
遅ればせながらブログ『盗人探索日録』拝見しました。
鬼平犯科帳を盗っ人別に整理分類して解説するなど、西尾先生以外だれにも出来ないことですね。情熱と情報の凄さにあらためて感服しています。
それに加えてフィールド調査の手法が実に丁寧で抜かりのないことも見事ですね。
たとえば、「瀬音(せのと)の小兵衛」の瀬音村が明治中期に二つの部落の合併で出来た合成された名前であること、かつ地元の呼び方は「せのおと」か「せおと」であること。
もうひとつ『馬伏(まぶせ)の茂兵衛』も地元では「まむし」と呼んでいることなどなど。フィールド調査なしには到底分からない事実ですね。
『おいおい、あんまりアラを探すなよ!』と天国で池波先生が苦笑していることでしょうが、読者の我々には面白い限りですね。
今後も期待しております。
投稿: 森下の友之助 | 2004.12.29 11:17
>友之助さん
ご丁寧な、そして、大変にはげみになるコメント、ありがとうございました。
フィールド調査の手法にもお目をとめてくださり、光栄至極です。
自分でいうのもなんですが、『鬼平犯科帳』の盗人たちの生国から、池波さんの取材歴を洗い出すというアプローチは、これまで前例がありません。
もっとも、池波さんご担当だった編集者のみなさんも定年の方々が多く、インターネットをおのぞきにならないので、認めてはくださらないのですが。
まあ、読み手の方によろこんでいただければいいわけですから。
今後とも、ご叱正のほどを。
投稿: ちゅうすけ | 2004.12.29 11:32