〔湯屋谷(ゆやだに)〕の富右衛門
『鬼平犯科帳』文庫巻14に所載の[さむらい松五郎]で、同心・木村忠吾が盗人の〔網掛(あみかけ)〕の松五郎に間違えられて、〔轆轤首(ろくろくび)〕の藤七一味の逮捕につなげた。
(参照: 〔網掛〕の松五郎の項)
見間違えたのは〔須坂(すざか)〕の峰蔵で、荒っぽいお盗めをする〔轆轤首〕へ口合いをしたのは、高崎の口合人〔赤尾〕の清兵衛だった。
(参照: 〔須坂〕の峰蔵の項)
(参照: 〔赤尾〕の清兵衛の項)
〔さむらい〕松五郎こと〔網掛〕の松五郎は、上方から中国すじを荒らしていた〔湯屋谷(ゆやだに)〕の富右衛門の右腕とか左腕とかいわれていた。
年齢・容姿:どちらも記載がない。
生国:近江(おうみ)国甲賀郡(こうかこうり)信楽村湯屋谷(現・滋賀県甲賀市下朝宮)
三重県上野市にも、京都府綴喜郡宇治田原町にも湯屋谷があり、上方と中国筋がテリトリーという〔湯屋谷〕の富右衛門の出生地としてはすてがたいが、甲賀忍者の取材で数多く訪れたという観点から、かつての信楽村の下朝宮にある谷---湯屋谷を採った。
探索の発端:密偵・伊三次を目黒の威徳寺の木村家の墓域へ葬った同心・忠吾は、墓参の帰り道、門前の〔桐屋〕で名物の目黒飴を買っていて、〔須坂(すざか)〕の峰蔵に肩をたたかれた。
(参照: 伊三次の項)
峰蔵の人違いに乗じてさくりをいれると、いま助(す)けている〔轆轤首〕のところから抜けたいのという。それから〔轆轤首〕一味の盗人宿---目黒の権之助坂・上覚寺の前の茶店〔日吉屋〕の見張りがはじまった。
結末:本物の〔網掛(あみかけ)〕の松五郎は小柳安五郎の手で捕まった。〔轆轤首(ろくろくび)〕の藤七は〔日吉屋〕で捕まった。〔須坂(すざか)〕の峰蔵は鬼平が捕まえた。
つぶやき:ホームページ[『鬼平犯科帳』の彩色『江戸名所図会』]の2005年8月の項、
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/board/index35.html
に学習院〔鬼平〕クラスの新兵衛さんが指摘されているが、目黒の権之助坂の中ほどの寺を、「上覚寺」としている切絵図は尾張屋板、池波さんがいつもかたわらに置いていた近江屋板は「浄覚寺」で、こっちのほうが正しい(もっとも、浄覚寺は、明治期に白金台3丁目の瑞聖寺へ合祀された。ついでにいうと、木村忠吾の菩提寺・威徳寺が合祀されたのも瑞聖寺である)。
池波さんは、なぜ、このときにかぎって執筆時に尾張屋板のほうをひろげたか。近江屋板の目黒地区の絵図が粗略だったからと推察する。寺号を参照する時間もないほど忙しかったのだろうが、気のきいた秘書がいれば防げはず。
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コメント
湯屋というからには、温泉でも湧いているところでしょうね。
池波さんは、倶利加羅峠下の〔坊主の湯〕など、温泉好きだから、きっと、「湯屋谷」という地名に目がいったのでしょうね。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.08.11 11:36
そういわれてみ.と、たしかに、池波さんは、温泉好きかもしれませんね。
『よい匂いのする宿』でしたっけ、そういう文庫もありますからね。
投稿: ちゅうすけ | 2005.08.11 11:57