〔下津川(しもつがわ)〕の万蔵
『鬼平犯科帳』文庫巻13に載っている[殺しの波紋]に登場して、火盗改メ方与力・富田達三郎を強請(ゆす)る〔犬神(いぬがみ)〕の竹松が、属していた、〔下津川(しもつがわ)〕一味の首領で名は万蔵。
年齢・容姿:どちらも記載がない。
生国:紀伊(きい)国日高郡(ひだかこうり)下津川村(現・和歌山県日高郡印南(いなみ)町美里)
下津川から廻船が出ていた印南港まで約5キロ(1里強)だから、村を捨てて海路で紀伊藩の城下町や大坂へ出ていきやすい。〔下津川〕の万蔵が捕らえられて100年後の明治6年(1873)の戸数24、人口112。
『旧高旧領』には、美作(みまさか)国北条郡下津川村(津山藩領)も載っているが、中国山脈の山中の交通不便な村のようである。これが現在の岡山県勝田郡勝北町下津川にあたるのか、同県苫田(とまた)郡加茂町下津川なのか未調査。地元の鬼平ファンからのご教示をまつ。
探索の発端:寛政7年(1795)初冬の事件である[殺しの波紋]の3年前---とあるから、寛政4年(1792)、「火盗改メ方は、下津川(しもつがわ)の万蔵(まんぞう)という凶悪な盗賊一味の盗人宿を包囲し、万蔵以下一味六名を捕えた」「この捕物は、与力・富田達三郎の探索が実ったもので---」とあるだけで、探索の経緯や盗人宿の所在地の記述はない。
結末:捕縛時にはげしく抵抗した〔下津川」一味は、5名が斬って殪されたが、万蔵の片腕といわれていた〔犬神(いぬがみ)〕の竹松ほか3名が捕物陣を切って破り、逃走した。
万蔵が切って殪された側にいたのか、捕縛されたほうだったのかも記されていない。捕えられていたのなら、押し入った先々での殺戮のかずかずにより、獄門はまぬがれなかったろう。
つぶやき:こうして書き出してみると、池波さんはじつに巧みに省略技法を使っていることがわかる。この篇のばあい、〔犬神〕の竹松と、富田達三郎に斬り殪された弟・長吉にライトがあたれば物語は進展するわけで、〔下津川〕の万蔵がことは詳述を要しない。
人物造形で、この人物は淡彩で塗る、この女は濃く描く---を選ぶのは、池波さんの頭の中で一瞬にして決まるのであろう。そうして決るめた彩色を、読み返し時に、色重ね・加筆することもあるのだろうか。
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コメント
『鬼平犯科帳』における描写や説明での、彩色の濃淡ですが、淡でいいますと、盗賊に押し入られる被害店側が、概してそうですね。
属性がほとんど解説されていません。
主人夫婦、店の者あわせて15人が惨殺された。
この程度です。
当然といえば当然です。このシリーズは、鬼平を中心とする火盗改メ方と、盗賊一味やその首領との葛藤が中心ですからね。
商店の仔細は必要ないわけです。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.05.15 09:27
>文くばり丈太さん
ご指摘のとおりですね。
『鬼平犯科帳』は、簡単にいうと、盗(と)られる被害店側、盗(と)る盗賊団の側、捕る火盗改メ方の3者の知恵比べのはずですが、池波さんは、先頭の商店側の記述を減らすことで、筋書きを簡明にし、読み手に理解しやすいように工夫なさっているのですね。
そこが、司馬遼太郎さんのファンには、ちょっとものたりないように感じられるのかもしれません。ぼくの畏友だった故・向井 敏くんなど、ある対談で「淡雪みたいに、読後の印象が消えてしまう」と極言しています。
これ、池波さんの簡明さを求める苦心を見ていない発言です。
投稿: ちゅうすけ | 2005.05.15 10:00