先手・弓の目白会(3)
「一色さま、松平さま。申しあげるのが遅くなりましたが、今宵、席を設けましたところは、いま、一色さまのお口からでました田沼侯にかかわりのある者の内室であった女性(にょしょう)が女将をやっていた茶寮です」
いまは、亡じた女将の縁者が取り仕切っているが、との平蔵(へいぞう 42歳)の前触(さきぶ)れに意外にも、松平庄右衛門(親遂 ちかつぐ 59歳)が応じた。
「田沼侯にかかわりのあるが茶寮と申されると---一橋の北の---そう、〔貴志〕とか申した---」
その〔貴志〕が深川へ移り、〔季四〕と店名を改めてやっているが、今宵は店で出しているふだん料理ではなく、朝鮮の宮廷料理のほんの一部を特別にたのんでおいたと告げると、
「朝鮮国の宮廷料理とは---初めて口にする」
大よろこびであった。
食材が手に入らないので、これは今宵かぎりの献立であり、2度と所望できないことも強調した。
屋根船が2舟着きに寄せると、奈々(なな 20歳)が〔黒舟〕のお琴(きん 43歳)と出迎えた。
奈々は平蔵に指示されたとおり、まるで孫の嫁でもあるかのように一色源次郎直次(なおつぐ 69歳 1000石)につきっきり、下船のときは手をとってささえながら足元に気をくばり、大地をふんでからも掌と腰にそえた手をはなさない。
組頭とすると、おもいもかけない好遇に苦笑するどころか、奈々の手を握りしめんばかりの勇みぶりであった。
奈々も、しつらえられた座敷の上座につけるまで、差しそえた手を引かないで孫嫁孝行をやめなかった。
(いや、おんなが男をその気にさせるのは、こりゃあ、天性のものらしい)
平蔵も内心、舌をまいていた。
出された朝鮮料理については、体調がすぐれないので、過去の記事で手抜きさせていただく。
この3ヶ月間、料理はおろか水も酒も、一箸一滴、喉を通していない。
(これから先も、同じ日々がつづく)
【参照】2011年10月21日~[奈々の凄み] (1) (2) (3) (4)
「長谷川うじが並みの武士でないことは、以前の西丸の徒(かち)の頭衆のうわさで承知はしていたが、唐・天竺(から・てんじく)の料理にまで通じておるとは夢にもおもわなかった」
「一色どの。唐・天竺ではございませぬ。朝鮮の宮廷料理の一部です」
「いや、唐・天竺は朝鮮とは地つづきでござろう?」
「それはそうですが、天竺と朝鮮は江戸と薩摩までの隔たりの10倍ではきかぬほど離れております」
「それよ。朝鮮から天竺までは、江戸・薩摩藩の10倍以上もあるということを、幕府の武士たちでしっておるのが何人いることか」
「江戸と薩摩のあいだはまもなく肌1枚分もなくなることは、みな存じておりますが---」
「なに? 肌1枚分も? ああ、そのことか。そうであった、あは、ははは」
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