« 先手・弓の目白会(3) | トップページ | 先手・弓の目白会(5) »

2012.04.23

先手・弓の目白会(4)

「江戸と薩摩のあいだはまもなく肌1枚分もなくなる」
平蔵(へいぞう 42歳)が、わざとしもじものたとえでいったのは、つい半年前まで西丸に勤仕していたこころやすだてからであった。

だれとのこころやすだて? 若君として西丸の主(ぬし)であった家斉(いえなり 14歳=天明6年)と茂姫 (しげひめ 14歳=同上)である。

ちゅうすけ注】一橋家が薩摩藩の金銭的援助を期待しての婚約といわれていたが、治済(はるさだ)の息・豊千代(とよちよ のちの家斉)が将軍家の継嗣養子となったため、茂姫はあらためて近衛経熙卿の養女・寔子(ただこ)ということで格式をあげた。
いったい、どの段階で寔子と記せばいいのか、浅学にして判断がつかないのはご容赦。

一橋と薩摩の藩主・重豪(しげひで 41歳 72万8700余石)のむすめ・茂姫の婚約が成り、姫は天明元年(1781)にはやばやと一橋家へ居を移していた。
ときに豊千代・茂姫はともに10歳であったから、このだんかいでの同衾はありえまい。
(双方ともに安永2年(1773)の生まれだが、姫のほうが5ヶ月姉)

家斉寔子が本丸へ居を替えたのは天明6年の11月――ともに14歳のときのようだが、式はあげていなかった。
江戸と薩摩のあいだは、まだ、400余里(1600km)へだたっていたと見る。

九節板(クジョルバン)の実を不器用に包みはじめたころあいに、平蔵がなにげない口調で
一色さま。女将がお口にかなったかどうか、気にいたしております」

_360
(クレープ包み クジョルパン(九節板)〔松の実〕製)

「もちろん、この九節板をはじめ、初めての料理ばかりじゃ。初ものを食(しょく)せば寿命が3年は延びると世にいう。されば、今宵の6品はすべて初もの――3年に乗ずることの6倍で18年長生きさせてもろうた。女将、お礼をいわせてくだされ。ひき換え、お上のこたびの印旛沼干拓の中止、金銀の山掘りもやめ、蝦夷地の開発も見あわせでは、新しいことはなにもやらないも同然」

奈々(なな 19歳)が微笑んで、一色老の碗にマッコリを少なめによそい、すすめた。


Photo
_360

(先手・弓の4番手の組頭・一色源次郎直次の個人譜)


|

« 先手・弓の目白会(3) | トップページ | 先手・弓の目白会(5) »

018先手組頭」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 先手・弓の目白会(3) | トップページ | 先手・弓の目白会(5) »