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2012.04.24

先手・弓の目白会(5)

「そうそう、女将(おかみ)どのはこの店を継ぐために紀州からくだってみえたそうじゃが、目白不動尊にお参りになったことがあるかの?」
一色源次郎直次(なおつぐ 68歳 1000石)老は、座敷では長老格なものだからご機嫌であった。

「いえ。罰あたりやなあおもうては、首、ちぢめとりますねん」
「それはいかんな。江戸には目黒、目白、目赤、目青、目黄の有名5色不動があってな。一生のうちにひとわたりお参りしておかぬと、いつ厄をつかむかしれぬとのいいつたえがある。花の季節になったら、爺ィめが手引きして進ぜよう」
「うれしい。げんまん」
奈々(なな 19歳)がためらいもなく小指を一色老にからませたので、平蔵(へいぞう 41歳)は安堵した。
松平庄右衛門親遂(ちかつぐ 59歳 930石)も笑いながら、奈々一色老の、
「針、千本」
に和唱していた。

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目白不動堂 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

「第6のお組頭の松平どのが証人じや。きっと約束したぞ。ところで松平どのは着任まだ1ヶ月だからご存じかどうか、目白台地に組屋敷がある先手・弓の長谷川どの第2の組、一色組の第4、松平どのの組の第6の、この3組をご公儀がもっとも頼りにしている理由(わけ)をお耳になさったことがおありかな?」

常遂がしらないと応えてたのにつづき、平蔵も、
「手前も不肖にして聴きおよんだことがありませぬ。ぜひ、お教えください」

直次老が顔の前で掌をふり、
「明和9年(1772)の目黒・行人坂の火付け犯をお挙げになった長谷川うじはご存じとおもっておったが---」
もったいをつけた。

「江戸の半分を焼いたといわれておる行人坂の大火で、そのずっと前の明暦の大火でも、目白台地の3つの組の組屋敷は類焼しておらん。したがって、余燼がくすぶっているときから火元の探索と犯人の捜査に活躍しましたのじゃ」

なるほど、火事があれば火盗改メに任じられている組はもちろん、そうでない先手の与力・同心も動員されるのは道理だが、組屋敷が類焼していては出動どころではあるまい。

一色老の尻馬にのっていうと、類焼すれば復旧までの数ヶ月間は役務にさしつかえようし、公儀の見舞金もかなりのものであろう。

ちゅうすけのつぶやき】一色源次郎老の見解が正しいかどうか、ちゅうすけも史料をあたってみた。
類焼した町々の地図を手元におき、目黒・行人坂の大火後から5年間のうちに火盗改メに任じられた組頭10人の組屋敷を拾ってみると、

類焼とは無縁の組屋敷
目白台( 弓の2、4の組)  3人 

四谷本村(弓の8の組)   1人

本所四ッ目(弓の3の組)  2人

小日向(鉄砲の19の組)  2人

はっきりしない組屋敷
麻布谷町(鉄砲の7と8の組)2人     


ちゅうすけ注】江戸五色不動

目白不動(戦後廃寺。現・金乗院 豊島区高田2-12)
目黒不動(滝泉寺 天台宗 目黒区目黒 3-20-26)
目赤不動(南谷寺 天台宗 文京区本駒込1-22)
目青不動(教学院 天台宗 世田谷区太子堂4-15)
目黄不動(永久寺 天台宗 台東区三ノ輪 2-14- 5)

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