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2012.04.20

先手・弓の目白会

〔目白会〕というのは、先手・弓の10組のうち、第2と第4、それに第6の組の組屋敷だけが目白台地にかたまっているので、いろんな意味で融通しあう親睦の集いをそれぞれの職制が私的につくっておるもので、来月に寄るのは組頭の会であった。

平蔵(へいぞう 42歳)が参加したのは、年番にあたっていた第6の組頭・新見(しんみ)豊後守正則( まさのり 58歳 700石)が早くに予約しておいた神田和泉橋通りで[土用・丑の日元祖]を自慢にしている〔春木屋〕善兵衛での会であった。

ところが異変がおきた。
---というのは、年番の新見豊後守が10月に急死したのであった。
異例だが幕府には内緒で、発令前の松平庄右衛門親遂(ちかつぐ 59歳 930石)に年番役をふって強行した。
(旧暦)11月中の土用・丑の日には、ふつうでは座が抑えらない店であったからである。

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([土用・丑の日]の元祖を唱える〔春木屋〕蒲焼舗)


土用・丑の日というといまは7月だが、真夏には鰻(うなぎ)だって夏痩せしていよう。冬ごもり直前だから脂がのっていおしいのだというのが平賀源内の売りひろめ言葉であった。

ちゅうすけが江戸の文献を調べたところ、年に4回ある土用・丑の日のうち、11月のその日に、
「庶民、鰻を食す」
とあった。

ただし、あのときはるか前から抑えにかかった年番・新見豊後守のいい分は、庶民は食すが、腹割きなど勝手な語呂あわせで「武士が忌避するのはおかしい---であった。
平蔵は室町・浮世小路の蒲焼〔大坂屋〕が若いころからのなじみで、べつにご幣かつぎもしていなかった。

とにかく、表向きのねらいは顔つなぎの親睦だが、なにやかやと名目をつけては出入り商人の報謝をあてにした呑み食いの集いを頻繁にやることで、 出世の機会のほとんどない与力・同心たちの不満のはけ口にもなると、知恵者がひろめたのであろう。

組頭は、そういう報謝とは無縁ではあつたが---。

先手の組頭の格は1500石(俵)と定められておる。
具体例で説明すると、松平庄右衛門親遂は家禄930石だから、先手組頭になっての足(たし)高は、93石に乗せた570石(俵)である。

第4の組頭の一色源次郎直次(なおつぐ 68歳 1000石)は500石の足高。

今年が年番の平蔵については、これまで何度も紹介しているように家禄が400石だから、1100石の足高---つまり、3人とも表向きは収入は同じだから、家政への気 くばりはあえてするほどのことはない。
それよりも、珍しいものを食べたという、あとあとまでの語り草を手配するのが企画の才であった。

いや、一つだけ条件があった。

先手の組頭には、番方(ばんかた 武官)には自分の歯が少なくなっている高齢者が多いから、硬いものはふさわしくない。
胃袋も小さくなっていようから、量よりも質を考え、酒量もほとほどに。

奈々(なな 20歳)にそう伝え、朝鮮料理でまかなえないかと問うた。
「3人だけならなんとかなるやろけど、あとは、なし---をはっきりいうといて」
「わかった」

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