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2012.04.28

先手・弓の6番手と革たんぽ棒(2)

「いや、秘策といったのは、革たんぽつき樫棒のことではござらぬ」
平蔵(へいぞう 42歳)が、弓の6番手の筆頭与力・小津時之輔(ときのすけ 48歳 220石)の言葉を訂正しながら訊いた。

「こちらの組が火盗を最後におやりになったのは---?」
組頭の松平庄右衛門親遂(ちかつぐ 60歳 930石)と小津筆頭がぼそぼそと指おり数えたり訂正したりのやりとりを交わし、
「八代前の坂部左大夫明之 あきゆき 享年78歳=安永7年 800石)どのが明暦9年(1759)年まで足かけ10ヶ月ほどお勤めになったのが最後です」

「その明暦9年に、小津筆頭どのは---?」
「20歳でした。父が与力筆頭並だったので、与力見習いというかたちで皆さんの足手まといをしておりました」
「そうしますと、引き継ぎのときには---」

「書類送りの人足でした」
苦笑ぎみの返事に、
「いや、われは28歳でしたが同じでしたよ。う、ふふふふ」
平蔵が自嘲 ぎみに慰めたので、小津は48歳という年齢でありながら救われたように安堵のため息をころした。

それを見定めてから、
「筆頭がそういうことでしたら、ほかの与力、同心の衆もほとんと経験がないと推察します。つまり、火盗改メは捕り物用具のさす股、突(つ)く棒、打ち込みなどは次の組へ順送りにまわしていくので、火盗改メでない先手組は、そういう用具を備えていないということです」

「あ、なるほど……」
初めて気がついたように、松平組頭が合点した。
先手の 各組頭や与力たちが、騒動鎮圧に動員されることすら予測もしていないこともこれでわかった。

「革たんぽつき樫棒は、さす股や突く棒を持たない先手組の捕り物用具ということですな」
小津筆頭があらためて納得した。
「家に重代伝わっている本物の鑓(やり)や長刀(なぎなた)をひっさげて市中を走りまわるわけにはいきませぬ。そんな合戦いでたちでくりだしたら、天秤棒(てんびんぼう)や物干し竿竹の、暴徒たちを逆に興奮させるだけです」

平蔵につづけて脇屋清助(きよよし 59歳)筆頭が、
「うちの組頭は、大小の腰のものはどうするかも考えておくようにと組の者たちに謎をなげかけておられます」
「いや、火盗改メがふだん相手にしている盗賊たちではなく、ふつうの町の者たちが興奮しているだけの暴徒ですからな、あつかい方がむつかしい」
平蔵の補足に、齢かさの松平組頭は、そこまで深慮をすすめていたかと、うなうなずいた。

参照】2006年4月26火[長谷川平蔵の裏読み

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