明和2年(1765)の銕三郎(その8)
「なにか、おもしろい話でもありましたかな」
そう言いながら席についたのは、本多采女紀品(のりただ 52歳 先手・鉄砲(つつ)の16番手組頭)だった。
佐野与八郎政親(まさちか 34歳 使番)とつれだっていた。
平蔵宣雄(のぶお 47歳)への祝辞をすますと、銕三郎(てつさぶろう 20歳)の酌をうける。
「いや。お祝いの場にふさわしからぬ話題になりましてな。先手も、宣(せん 宣雄)どののような若手にどんどん入れ替えないと---。弓は、10組のうち、70歳をこえた組頭が3人もおいででな」
と長谷川太郎兵衛正直(まさなお 56歳 火盗改メ・本役)
「なに。鉄砲のほうはもっと老けております。大きな声でいえないが、20組のうち、8人の組頭が70歳をこえておられましてな。率からいうと弓の倍以上です。いざ、戦(いくさ)となったときがおもいやられますよ」
(弓も加えての通し番手。鉄砲組だけだと10を差し引く。年齢は明和2年(1765) 次の数字は先手組頭になってから明和2年までの在職年数)
11番手
寺嶋又四郎尚包(なおかね) 77歳 8年 300俵
12番手
織田権大夫正幸(まさゆき) 79歳 10年 500石
13番手
井出助次郎正興(まさおき) 76歳 6年 300俵
16番手
鈴木市左衛門之房(ゆきふさ) 70歳 12年 450石
19番手
阿部十郎左衛門正氏(まさうじ) 87歳 11年 200俵
25番手
古郡孫大夫年庸(としつね) 82歳 11年 320石
28番手
市岡左兵衛正軌(まさのり) 72歳 10年 500石
30番手
福王忠左衛門信近(のぶちか) 73歳 12年 200俵
佐野政親が口をはさんだ。
「仕事に精通しているからといって、親が長くお勤めをつづけますと、わが家のように、継嗣の父に先立たれ、孫のそれがしが家督するような変則がふえます」
与八郎は、11歳の時に、祖父から家督している。
(寺嶋又四郎尚包の個人譜)
(織田権大夫正幸の個人譜)
(井出助次郎正興の個人譜)
(鈴木市左衛門之房の個人譜)
(阿部十郎左衛門正氏の個人譜)
(古郡孫大夫年庸の個人譜)
(市岡左兵衛正軌の個人譜)
(福王忠左衛門信近の個人譜)
【ちゅうすけ注】8名の個人譜を読んでいて、「父に先立つ」も目についたが、それよりも、古郡孫大夫年庸のところで、「大発見!」と叫びたいような記述を見つけた。
「新墾田十が一現米三百二十石余の地を年庸にたまひ---」がそれである。詳しくは。明日。
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