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2008.03.10

ちゅうすけのひとり言(9)

長谷川平蔵宣雄(のぶお)が天明2年(1765)4月11日に先手・弓のお頭(かしら)に発令されたときの、鉄砲(つつ)の20組の組頭を、弓組につづいて、氏名、天明2年現在の年齢、天明2年4月11日までの在任年数をリストにしてみる。

こういうリストこそ、ブログのタイトル---[『鬼平犯科帳』Who's Who]にふさわしいし、父・宣雄を理解するためには、必須の史料とおもうから、煩瑣をいとわず、2日間をあてた。
『鬼平犯科帳』にとどまらず、徳川幕府の官僚制度などを理解する資となるからである。
無味乾燥な名前の羅列---とおもう人には無価値だが、一人々々の人生ドラマを読み取ることができる人には、宝の山のはず。

11番手 
 寺嶋又四郎尚包(なおかね)  77歳   8年  300俵 

12番手
 織田権大夫正幸(まさゆき)  79歳   10年  500石

13番手
 井出助次郎正興(まさおき)  76歳     6年  300俵

14番手
 雨宮権左衛門正方(まさかた) 58歳   10年  100石

15番手
 永井内膳尚伊(なおただ)    68歳   5年   500石

16番手
 鈴木市左衛門之房(ゆきふさ)  70歳   12年  450石

17番手
 諏訪左源太頼珍(よりよし)    59歳   3年  200石

18番手
 有馬一学純意(すみもと)     67歳   1年  1000石

19番手
 阿部十郎左衛門正氏(まさうじ) 87歳   11年  200俵

20番手
 酒井善左衛門忠高(ただたか)  54歳   5年 1000俵

21番手
 浅井小右衛門元武(もとたけ)   56歳   0年  540石

22番手
 竹中彦八郎元昶(もとあきら)   58歳   2年 1000石
 
23番手
 曲渕隼人景忠(かげただ)     60歳   6年  400石

24番手
 奥村甲斐守正守(まさふさ)    60歳   9年  600石

25番手
 古郡孫大夫年庸(としつね)    82歳   11年  320石

26番手
 本多采女紀品(のりただ)      53歳   4年 2000石

27番手
 松前主馬一広(かずひろ)      43歳   13年  400俵

28番手
 市岡左兵衛正軌(まさのり)     72歳   10年  500石

29番手
 仙石監物政啓(まさひろ)      62歳    4年 2700石

30番手
 福王忠左衛門信近(のぶちか)   73歳    12年  200俵

最年長は、87歳。平均は65.7歳。 
弓組は56.8歳だったから、こちらは、平均で9歳老けている。
家禄の平均はどちらも計算していないが、一見、こちらが少禄とはおもえない。
先手組頭の老齢化は、栄進の先がつかえていて、幕府にとっても頭痛のタネだったのではなかろうか。

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コメント

それにしても長寿ですね。
この頃は人生50年だと思っていましたが平均でも65,7歳働けたのでしょうか。
鉄砲組とはどのような仕事だったのでしょう
不思議です。

投稿: みやこのお豊 | 2008.03.12 01:00

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