ちゅうすけのひとり言(9)
長谷川平蔵宣雄(のぶお)が天明2年(1765)4月11日に先手・弓のお頭(かしら)に発令されたときの、鉄砲(つつ)の20組の組頭を、弓組につづいて、氏名、天明2年現在の年齢、天明2年4月11日までの在任年数をリストにしてみる。
こういうリストこそ、ブログのタイトル---[『鬼平犯科帳』Who's Who]にふさわしいし、父・宣雄を理解するためには、必須の史料とおもうから、煩瑣をいとわず、2日間をあてた。
『鬼平犯科帳』にとどまらず、徳川幕府の官僚制度などを理解する資となるからである。
無味乾燥な名前の羅列---とおもう人には無価値だが、一人々々の人生ドラマを読み取ることができる人には、宝の山のはず。
11番手
寺嶋又四郎尚包(なおかね) 77歳 8年 300俵
12番手
織田権大夫正幸(まさゆき) 79歳 10年 500石
13番手
井出助次郎正興(まさおき) 76歳 6年 300俵
14番手
雨宮権左衛門正方(まさかた) 58歳 10年 100石
15番手
永井内膳尚伊(なおただ) 68歳 5年 500石
16番手
鈴木市左衛門之房(ゆきふさ) 70歳 12年 450石
17番手
諏訪左源太頼珍(よりよし) 59歳 3年 200石
18番手
有馬一学純意(すみもと) 67歳 1年 1000石
19番手
阿部十郎左衛門正氏(まさうじ) 87歳 11年 200俵
20番手
酒井善左衛門忠高(ただたか) 54歳 5年 1000俵
21番手
浅井小右衛門元武(もとたけ) 56歳 0年 540石
22番手
竹中彦八郎元昶(もとあきら) 58歳 2年 1000石
23番手
曲渕隼人景忠(かげただ) 60歳 6年 400石
24番手
奥村甲斐守正守(まさふさ) 60歳 9年 600石
25番手
古郡孫大夫年庸(としつね) 82歳 11年 320石
26番手
本多采女紀品(のりただ) 53歳 4年 2000石
27番手
松前主馬一広(かずひろ) 43歳 13年 400俵
28番手
市岡左兵衛正軌(まさのり) 72歳 10年 500石
29番手
仙石監物政啓(まさひろ) 62歳 4年 2700石
30番手
福王忠左衛門信近(のぶちか) 73歳 12年 200俵
最年長は、87歳。平均は65.7歳。
弓組は56.8歳だったから、こちらは、平均で9歳老けている。
家禄の平均はどちらも計算していないが、一見、こちらが少禄とはおもえない。
先手組頭の老齢化は、栄進の先がつかえていて、幕府にとっても頭痛のタネだったのではなかろうか。
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コメント
それにしても長寿ですね。
この頃は人生50年だと思っていましたが平均でも65,7歳働けたのでしょうか。
鉄砲組とはどのような仕事だったのでしょう
不思議です。
投稿: みやこのお豊 | 2008.03.12 01:00