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2006年9月の記事

2006.09.30

小説の鬼平 史実の長谷川平蔵

(よし。鬼平のホームページを開設しよう)
思い立ったのは、都営地下鉄・五反田駅の無料展示コーナーへ『鬼平犯科帳』の絵解きを掲出していたとき。

通りがかりの中年の男性が立ち止まり、塗り絵した『江戸名所図会(ずえ)』の絵を指して、
「これらの元の絵は売っていますか? 売っていたら、わたしも鬼平ファンなもので、買って塗ってみたい」

聖典『鬼平犯科帳』は文庫版だけでも5年前のそのころ、1,800万部以上も刷られていた(現在は2,400万部前後)。
五反田駅の通行客のようなファンは日本中……いや、ニューヨークやロンドンに駐在中の人の中にもいるにちがいない。

池波さんも執筆にあたって熟視した長谷川雪旦の原画をこの人たちへとどけるには、インターネットで配信、ダウンロードしてもらうにしくはない、とかんがえた。

『鬼平犯科帳』に登場する『名所図会』の元の絵と塗り絵とをセットにしたホームページが、ブログ[『大人の塗絵…『江戸名所図会』]に昇格したのは、この2月である。
塗り絵には、各地の生涯学習センターの受講者たちにも腕をふるってもらっている。

鬼平ファンには、部下のほめ方や叱り方、命令の出し方や報告の受け方などを小説から学ぶという中高年が多く、この人たちはまだパソコンが得意じゃなかろうに、7か月間に3万5,000を超えるアクセスをえた。

そう、鬼平こと長谷川平蔵は、幕臣としての家禄は400石だから、それほど高いほうではない。

しかし40歳そこそこで1,500石格の先手弓組の組頭に栄進、さらに火付盗賊改メを兼務したものだから、同輩たちのねたみがきつかった。

平蔵任命時の先手組頭33人の平均年齢は62歳強――いかに平蔵が大抜擢だったか、この一事でも推察がつく。

その上、着任した組は火盗改メの経験がずば抜けて豊富な弓の2番手だったから、まさに期待の人事だった。

同輩たちとのあつれきの詳細は、このもう一つのホームページ[『鬼平犯科帳』の彩色『江戸名所図会』]の[現代語訳 よしの册子(ぞうし)]で明らかにしている。

長谷川平蔵の蔭にあたる部分に、身につまされる中間管理職も多いとみえ、こちらは6年間で57万アクセスを超えている。

史実の長谷川平蔵と小説の鬼平とのあいだには、それほど大きな差はない。差異があるとすると中村吉右衛門さんが演じているテレビの鬼平版のほうだろう。

テレビでは、強情な盗賊の自白をえるために拷問部屋で痛めつける場面が少なくない。
が、史実の平蔵は「おれは町奉行所のように拷問なんかしない。そんなことをしなくても犯人はすらすらと白状してくる」と豪語している。

また、組下の者たちへ「十手は太刀とおなじだからむやみにふりまわしてはならない」と厳命してもいる。
だから、テレビのラストシーンで手向かう盗賊団を与力・同心たちが十手でびしびし打ちすえるのも史実と異なる。

上記の『鬼平犯科帳』のホームページには、右のような挿話も入れているし、地方読者にも地理がのみこめるように江戸の切絵図を掲げてロケーションを明示している。というのも池波さんが切絵図の道順どおりに人物をうごかしていることを知ってもらいたいからだ。

もっとも、池波さんが愛蔵していた切絵図(近江屋板)は鬼平の時代よりも40年もあとの版だから、たとえば[寒月六間堀]で、南本所の幕臣・小浜某の屋敷の塀に平蔵が身をひそませるが、小浜家が同所へ居をかまえたのは平蔵の死後20年あと……といった矛盾も出たりする。
Photo_211
南本所の〔二ッ目の橋] と二ツ目の通り(池波さん愛用の近江屋板)。
赤○=小浜邸(史実)
緑○=お熊の茶店〔笹や〕 青○=しゃも鍋〔五鉄〕(小説)

そんな揚げ足とりをしてたのしむのも熱烈ファンだからこそ。

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2006.09.29

通勤時にマーケット調査

「通勤に片道1刻(2時間)かかるがその間、市中の見廻りをしていると思えば、ご奉公の励みにもなる」

火盗改メの助役(すけやく)に任じられた長谷川平蔵が、弓の2番手与力・同心にクギをさした。

先手34組の職務は江戸城内の5つの門警備
長谷川組の組屋敷の目白台(日本女子大の近辺)から江戸城へは4キロ弱(四谷坂町の組屋敷は小説でのこと)。片道小1時間。
355_1
目白台には3つの弓組の組屋敷があった。うち、第2番手
(長谷川組=赤○)はもっとも東寄り。

火盗改メの組の者は組頭の屋敷へ詰めるきまりなので、南本所・菊川(墨田区)の長谷川邸へ通う。
片道8キロ(清水門外の役宅も作家の創作)。

電車による今の通勤と違い、往復は自分の足。もっとも、すし詰め地獄はなかった。
弓の2番手には、遠距離通勤の前例があった。
平蔵の前の火盗改メ・横田源太郎の屋敷は築地の門跡裏。隅田川をわたるわたらないの違いこそあれ距離的にはどっこいどっこい。

追い討ちをかけるように平蔵がいった。

「広く町の噂を聞きとるように、永代橋をわたる班、新大橋の班、両国橋の班にわけよう。各班とも行き帰りに違った道をとるようにすれば、いっそう効果があがるな」

通勤の往還マーケット・リサーチにつかえと命じたわけだ。
今ならこういうかも。
片道2時間の通勤車内で新聞や本なんかを読んでないで、居眠りをしているふりして通勤客の会話に耳を澄ませろ。
身動きできないほど混んでいても目は動くはず。
着ているものや持ち物を観察して商品化のヒントを捜せ。
本より世間のほうに大衆の隠れた欲求がころがっている、と。

「火盗改メとして頂戴する役務手当ては、通勤の時間に対して支払われていると断じること」
 火盗改メ手当ては、与力が20人扶持(米価に換算して1日約4万円。月六両弱)、同心は3口(月約7万円)。

「多い? なんたって中央官庁の役人だ、そのへんの中小企業――じゃ、なかった、小藩の藩士なんかとは所遇がちがう。
先手組の与力の年俸は200俵(換算すると約200両。1両=20万円)。
同心はふつうは30俵3人扶持(40両弱)。蔵宿(札差し)に引かれる手数料や前借り分は見ていない。

『鬼平犯科帳』に10両で一家が1年暮らせるとあるのは、裏長屋の話。

与力だと小者に女中、飯炊き女や下男など5,6人は雇っている。同心だって小者と飯炊き女は置いているから家計に余裕があるとはいえなかった。
雇い人の賃金はたいした額ではなくても、米を経済の基本に据えており、その米が高かった。今の約3倍。

通勤距離が長ければ供の小者もそれだけ長く歩き、腹も減る。

一同の心中を見抜いたことを微笑でごまかしながら平蔵がいった。
五ツ(朝八時)までに出勤した者には、握り飯一個とみそ汁をふるまう」
長谷川家が切る自腹と知っている同心や小者たちは感激した。
会社につけをまわす奢りには、部下は心からの感謝はしない。


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2006.09.28

水谷伊勢守と長谷川平蔵

「人間に尻尾がなくなったのは、ふりすぎてちぎれてしまったのです」

長谷川平蔵の機知による幕府の先手組頭の詰め所――江戸城内のツツジの間におきた爆笑とはうらはらに、63歳の水谷(みずのや)伊勢守勝久は、複雑な気持ちをかみしめていた。
(ふりすぎために、人間の尻尾はちぎれたって?)

時は天明6年(1786)の中秋。賄賂取りとして世評がのこる田沼主殿頭(とのものかみ)意次(おきつぐ)は、この初秋に老中職を辞任、三卿のひとり、一橋治済(はるさだ)を中心として旧守家柄派が新内閣を組織すべく暗躍していた。

(あのときの平蔵のあれこそ、尻尾ちぎれの行為そのものではなかったのか)
平蔵の後ろ楯をもって任じてきた伊勢守だが、1年半前に平蔵がとった田沼意次へのご機嫌とりを、いまでも行きすぎと思っている。

150_1天明4年末、平蔵はその月の初めに西丸徒頭(かちかしら)へ登用されたばかりだった。
26日夜9時、八重洲河岸(現・東京駅近く)から出た火の手は、おりからのはげしい西北の風にあおられて広がっていた。

緊急時登城をとりやめと断った平蔵は、菊川(墨田区)の自宅から神田門内の老中・田沼の屋敷へじかに走り、「風の向きがよろしくないから、奥の方々は避難なさったほうがよろしかろう存じます。手前がご案内を……」
浜町の下屋敷までみちびいた。

平蔵は自宅を出るときに家の者へ炊きだしの握り飯を下屋敷へ運ぶようにいいつけ、道すがらに本町 1丁目の菓子舗〔鈴木越後〕方へ寄り、残っていた餅菓子をかきあつめて浜町へ届けよ、と申しつけた。

〔鈴木越後〕はそのころ江戸一番の菓子舗だった。
Photo_213
『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)

この店について、火盗改メとして平蔵の後任者に発令されたライヴァルの森山源五郎が書き残している。
彼が徒頭へ昇進したときの先任の同役全員を招いてのふるまい終日宴会のあと、持たせた手みやげはこの菓子舗のもので、1人前1両近くもしたと。

〔鈴木越後〕の折りにしなかったらあとで悪口をいわれ、いじめられるとも。

1両を、池波正太郎さんは『鬼平犯科帳』執筆の終わりごろには今の20万円に換算している。

さて、平蔵の誘導で無事に浜町の下屋敷へ避難した女性たちは、〔鈴木越後〕の高価な甘味で心を落ちつけた。
 平蔵の前例のない処置を、田沼老中が「気がきいている」と感じたらしいとの記録がある。

この1年半後に平蔵は、番方(武官)としては最高位に近い先手組頭へ異例の抜擢されたのだから、効果があったことは確かだ。

火付盗賊改メとして縦横に腕をふるうには、なにをさておいても、先手組頭の席の入手が先決なのだ。火盗改メは先手組頭の中から選ばれるのだから。

前例にしばられた考え方をするほかの幕臣たちの多くは、平蔵の後ろ楯の水谷伊勢守のように「見え見えの売り込み」とした。それは彼らの平蔵評――「山師」にもなった。

注:この文章は、先般絶版となった拙著『江戸の中間管理職--長谷川平蔵』(文春ネスコ刊 2000.4.28 )の[まえがきに代えて]の一部である。

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2006.09.27

〔吉間(よしま)〕の仁三郎・追記

文庫巻4-4[血闘]で、おまさを密偵と見破った〔吉間(よしま)〕の仁三郎については、すでに、常陸国真壁郡吉間村の出身として取りあげている。

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そのときは現行の町名を明野町としたが、その後、同町が近隣の町村と大合併し、筑西市となったことを知ったので、それも訂正した。

確認のために筑西市のホームページにアクセス、明野図書館館報「花さき山」で、三輪 巴館長のお名前が目にとまった。学識が深く、利用者のためには調べものもいとわない方とお見受けしたので、思いついて、吉間村が明野町へ包括された経緯をお尋ねしてみた。

Photo

ブログの記録は、データが手に入った都度々々、順次つけくわえてこそ、充実し、後続の士の道しるべとなる。

三輪館長は、お忙しいにもかかわらず、データをそろえて送ってきてくださった。

『角川 日本地名大辞典8 茨城県』(昭和58年) もと西に芦間という入江があったという。芦と吉は同音であるためこの地名になったという(杉山私記)。

吉田東伍博士『増補 大日本地名辞書 第6巻 坂東』(昭和61年 冨山房) 今村田村と改む。(略)南北争乱の際に聞こえし、村田城址は、吉間に伝説せらる。

村田村となったのは、明治22年(1889)の市町村制施行の5村1新田の合併による。
明野町の成立は昭和29年(1954)11月3日。

『茨城県の地名 日本歴史地名大系 8』(1998年 平凡社) 元和9年(1623)には藩主水谷氏の検地が行われ、同年2月の水野谷様御代下館領村々村高ならびに名主名前控(中村家文書)に村高1,098.185石とある。寛永16年(1667)の水谷氏転封に伴い天領---(略)。

や、これは凄い発見!

この水谷(みずのや)が転封した先が備中・松山(5万石。高梁市)なら、同藩に仕えていた馬廻役・三原七郎右衛門(100石)が水谷家の改易とともに失職、そのむすめ長谷川平蔵宣雄(鬼平の父親)のである。
また、3,000石の幕臣となっていた後裔の伊勢守勝久は、西丸書院番士として出仕した平蔵宣以番頭(ばんがしら)で、平蔵の引き立て役でもあった。

この、吉間村を領していた水谷(みずのや)家が、長谷川平蔵と関係が深い水谷かどうか、再度探索する必要ががある。

もちろん、〔吉間〕の仁三郎が育ったときには、水谷家は真壁郡を去り、村は旗本・飯塚帯刀、井上越中守、石巻栄吉らがそれぞれ、520石余、507石余、75石余を知行しており、さらに安藤伝蔵支配が93石余、三所神社領5石となっていた。

仁三郎の家がこれらのいずれの支配下にあったかは調べえうるべくもない。

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2006.09.26

町奉行・山村信濃守良旺(たかあきら)

山村十郎右衛門良旺(たかあきら)が、安永2年(1773)6月22日に病卒した長谷川備中守宣雄の後任として、京都西町奉行に着任し、江戸へ帰る長谷川一家のことにあれこれ気を配ったことは、今年7月27日の本稿で述べた。

病卒した長谷川宣雄の享年は55歳。
後任の山村良旺は45歳、よほどの能吏であったのだろう。着任2ケ月後、当然のように従5位上(---寛政譜。下の誤記か)信濃守へ叙爵。

この山村良旺がある内命を与えられていたとするのが、三田村鳶魚(えんぎょ)翁である。
すなわち、禁裏役人が納入商人となれあって不正をはたらき、私腹をこやしている疑いがあるから、真相を究明しろ、というのがそれ。
Photo_209幕府が立て替える禁裏の諸費用が水ぶくれしていたための、私曲摘発だった。
(鳶魚江戸文庫8『敵討の話・幕府のスパイ政治』中公文庫 1997.4.18)

山村奉行の下司のかたちではたらいたのが、江戸から従ってきた徒目付(かちめつけ)中井清太夫で、姪を問題の禁裏役人に嫁入りさせるようなことまでして内偵につとめた。
その経緯は、本稿の主旨ではないから、顛末は上掲書でお読みいただくとして---。

じつは、この探索事件のことは、平岩弓枝さんも『御宿かわせみ』の第3話[卯の花匂う](『小説サンデー毎日』1973年6月号 のち文春文庫『御宿かわせみ』に収録)で触れている。
とはいえ、同文庫の新装版では削られている。主役や準主役に子どもたちが生まれ、年代あわせが困難になったためだろうと推察しているが。

いいたかったのは、禁裏役人の私曲にともなう御所経費の増大は、山村良旺が着任前から始まっていたろうし、敏腕をふるっていた前任者の長谷川宣雄が病死するなどとは、だれにも予想できることではないから、とうぜん、長谷川宣雄にも密命が伝えられていたろう推理。

とすると、奉行所の与力・同心へはもらすことができなかった宣雄は、息子の銕三郎へひそかに探索方を命じていたのではないか、ということ。このとき、銕三郎は27,8歳、仕事をさせられる年齢であった。

もちろん、山村信濃守でもなかなか成果があがらなかったほどの奥の深い事件だから、銕三郎の調査は難渋、ほとんどなにもつかめなかったとはおもう。
しかし、いろいろと探索の手だてを考えるのちの平蔵を想像してみるだけでも愉しいではないか。

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2006.09.23

平蔵の町奉行ねらい

老中首座・松平定信……というより学問友だちで腹心の水野左内為長が、主人のために「よかれ」と諸方へはなった隠密――職制下の徒目付(かちめつけ)とか小人目付(こびとめつけ)とその手先たちの質がさほどよくはなかった一証左。

Photo_208寛政元年(1789)9月7日、池田筑後守長恵( 900石)が、在任2年で京都町奉行から呼びもどされ南町奉行に任じられた。
炎上した御所の再建を議するべく京へのぼった定信を支えた、適切なその仕事ぶりを認められた人事だった。
雄藩の岡山藩(31万5千石)池田家の支族の出であることももちろん、選考のときに考慮された。長谷川平蔵よりも1歳年長だった。

平蔵町奉行を待望していたのに、筑後どのになられて、がっくり、と友人にもらしている」

こう、水野為長注進した隠密がいた。
おいおい、といいたくなるような報告だ。

寛政元年9月といえば、先手組頭の平蔵火盗改メ・本役を兼帯してまだ1年しかたっていない時期。どうやったって先手組頭からいきなり町奉行へ行けるはずはない。遠国奉行が関の山だ。能吏といわれた平蔵の父・宣雄ですら、火盗改メから京都西町奉行への栄転だった。

「ちかごろの町奉行のやり方は見ていて歯がゆい」と平蔵がだれかにもらしたことがあるのを、池田筑後にからませて平蔵発言として捏造(ねつぞう)した者がいたにちがいない。
ウラもとらないで老中への報告書にそのまま書きあげたのは軽率にすぎる。

いったいに水野為長の隠密は人物評を書きすぎる。人物論は書き手の器量次第でふくらみもするし縮みもするものだ。小人目付の手先ごときに平蔵のようなスケールの大きな男の心の中がのぞけるはずがない。

そうはいっても、組織の中にだって小人目付の手先みたいに目線の低い隠密もいるし爪をといでいる捏造屋もいる。要注意。誤解をうけかねないような発言をうかつにしないことだ。

厳につつしむべきは、社内の人間の人物論。あなたが口にした人物評は渓流のヤマメよりも早く社内を走り、思わぬ波紋をひろげていく。

もっともその後、平蔵が町奉行を熱望するようになったことも否定できない。

だいたい、火盗改メの本役は1,2年でお役ご免になるのがふつうだ。それを7年もやった理由の一つは、長期間やれば、その苦労に報いるために「従五位下なんとかの守」の授爵があり、町奉行への道も夢ではない、と平蔵が甘く観測していたようでもある。

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2006.09.22

松平左金吾と連名で

火盗改メ時代の長谷川平蔵の実記録はないものかと、乏しい書架を眺めていて、最上段に『市中取締類集』(東京大学史料編纂所)が8冊あるのに気づいた。
脚立に乗らないと取りだせない高さなので、これまで、横着をきめこんでいた。

写真でご覧のように、1,2の函が赤茶けている。奥付を確かめた。
Photo_205

    初版        復刻       定価
1.  1959.03.30              1,000
2.   1960.03.30              1,000

3.   1961.03.30    1999.09.30   12,000
4.   1962.03.30    1999.09.30   12,000
5.   1965.03.25    1999.10.20   12,000
6.   1966.03.30     1999.10.20   12,000
7.   1967.03.30    1999.10.20   12,000
8.   1969.03.25    1999.10.20   12,000

わかった。1,2は、卒業して勤めたS電機時代に、H堂のKさん経由で、無理して購入したもの。
2が刊行された時点で転職し、H堂との縁がきれた。

30余年後、収入も、まあ、安定したので、12倍に値上がりしていた復刻本を補充したのだ。
復刻は、もとができているから、1回に4冊ずつ。買うほうは大出費。

手にとって目次を確認していて、3.で長谷川平蔵の名が目に入った。
開くと、なんと、松平左金吾定寅との連名の伺書で、これまで、どの平蔵本でも目にしたことのないもの。
日付は天明8年11月19日---平蔵が火盗改メの本役、左金吾が平蔵の監視役を買って出て助役になって翌月。
Photo_206

内容は、『よしの冊子(ぞうし)』で、老中・定信方の隠密が、さも、左金吾の提案らしく報告しているもの。
「なんだ、平蔵の発議だったんではないか」

要するに---、

捕らえた盗賊を翌日、火盗改メの役宅に連行すべく、町内の自身番所にとどめておくと、食事をさせたり警備の人数をふやしたりと物入りも多くて難儀だし、万一出火でもあったらあれこれ手続きが大変だから、夜、どんなに遅くなってもかまうことはないから、役宅へ連行するようにしたい。
ただし、真夜中だと町方にとっても難儀ということもあろう、そのときは、その旨を願いでて、翌朝連行してくればいい。

これに関連したことは、この9月19日[平蔵の練達の人あしらい]に書いていたはず。

また、HP[『鬼平犯科帳』の彩色『江戸名所図絵』]の[現代語訳 よしの冊子]の第6回にも紹介している。

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2006.09.21

左馬、鬼平と再会す

きのうの[岸井左馬之助の年譜]によると、左馬が下総(しも
うさ)の臼井(現・佐倉市)から、同郷の剣客・高杉銀平をた
よってきたのは17歳のときという。

左馬の父は、藩主・堀田家(10万石)から郷士を称することを
許されていた。いや、それは、堀田家の前、大給松平家( 6万
石)が領主だったときもそうだった。

大給松平家は、左馬が生まれた延享3年(1746)に山形へ国替
えとなり、あとにきたのが堀田家というわけ。

左馬は、岸井家の次男か三男であったろう。そうでないと幼年
時代に小百姓のせがれ・鎌太郎などと印旛沼へ泳ぎへ行くはず
がない([3-6 駿州・宇津谷峠])。
Photo_203
印旛沼岸の臼井=赤○ 佐倉=青○

岸井家は郷士であるとともに、臼井宿の庄屋でもあり、印旛沼
から諸川に通じた積荷船問屋も兼ね、格式も高かった。

Photo_204

左馬が、経済的になに不自由なく本所・押上の日蓮宗の春慶寺に寄宿し、剣の道に専念できたのは、裕福な実家からの送金も十分だったからである(1-2 本所桜屋敷])。

大川べりの築地から、本所・三ッ目菊川へ越してきた長谷川家の嫡男・銕三郎が、高杉道場へ入門したのは明和元年(1764)で19歳、左馬も同年齢だった。

門弟の数がそれほど多くないは高杉道場で銕三郎と同年齢だったのは、左馬だけだったように推測する。そうでなければ、2人がライヴァルにならないで、あたかも同期の者のように、たちまち打とけなかったろう。

いや、それには、年期よりも実力……と考えがちな銕三郎と、
なにごとも善意に解釈する左馬の性質のよさが、うまくかみあ
ったものとおもえる。

19歳の2人の青年が、隣屋敷のむすめ・ふさの初々しさに魅了
され、「手をだしたら、斬る」などと牽制しあったのも、青春
の愚かしくも純な潔癖感がいわせたことであった。

ふさは本町の呉服問屋へ嫁入りし、銕三郎は嫁を迎え、父の赴
任にしたがって京都へ移住、残された左馬は、恩師・銀平を看
取ってその遺骨を生地の臼井へ葬るために帰郷する。
このことは、京都の銕三郎へも知らされた。

やがて、父の逝去で江戸へ帰ってきて平蔵を襲名した銕三郎は
十数年間、左馬が臼井へ引っこんだままとおもいこんでいた。
この間文通をしなかった平蔵も平蔵だが、左馬も呑気すぎた。

平蔵にかぎっていえば、書院番への出仕前のひまな時分、恩師
・高杉銀平の墓参りに臼井へ出かけてもおかしくはないのだが。
それはそれとして、高杉銀平と岸井左馬之助が臼井出身なのが
気になる。池波さんの周辺……たとえば『オール讀物』の編集
部に臼井出身者がいたのだろうか。

左馬が春慶寺に寄宿を決めたわけは↓
[岸井左馬之助と春慶寺]を参照

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2006.09.20

岸井左馬之助年譜

岸井左馬之助の年譜

 小肥りの平蔵とくらべ、背の高い、がっしりとした体躯。
            [1-2 本所・桜屋敷]p60 新p63

延享3年(1746)生 佐倉に近い臼井の郷士の出
            [1-2本所・桜屋敷]p60 新p63
宝暦2年(1752)  印旛沼で溺れかける
 ( 7歳)     [3-5 駿州・宇津谷峠]p223新p233

宝暦12年(1762)  高杉道場へ入門 春慶寺に寄宿
 (17歳)     [3-5 駿州・宇津谷峠]p218 新p229

安永2年(1773)  師・高杉銀平死去
 (28歳)           [6-3剣客]p80 新p85

天明4年(1784)  再び江戸へ
 (39歳)

天明8年(1788)  桜屋敷で鬼平と再会
 (43歳)       [1-2本所・桜屋敷]p54 新p57
寛政元年(1789)  托鉢坊主に変装
 (44歳)       [1-4浅草・御河岸]p153 新162
     夏から秋 三国峠で五郎蔵に
                [4-7 敵]p241新p253
          亡父は佐倉の郷士
                [4-4敵]p237 新p249
     10月   井関録之助と同門
              [5-2乞食坊主]p57 新p60
     冬   〔鶴や〕で平蔵と
            [1-6暗剣白梅香]p203 新p214
寛政2年(1790)  平蔵がむかし話を
 (45歳)       [1-8むかしの女]p262 新p277
     冬   〔土壇場〕の勘兵衛を平蔵とやっつける
               [5-5兇賊]p205 新p215
寛政3年(1791)  松尾喜兵衛の噂を
(46歳)           [6-3剣客]p80 新装p85
     初夏   平蔵が病気見舞い
                [2-1蛇の眼]p7 新p7
     夏-翌年 托鉢僧となって探索
            [2-4妖盗葵小僧]p153 新p162
     秋    平蔵を見舞う
            [6-5大川の隠居]p180 新p189
     秋    和泉守国貞を所望
           [7-1雨乞い庄右衛門]p24 新p25
寛政4年(1792)秋 〔鶴や〕へ平蔵と呑みに行くと
 (47歳)       [2-6お雪の乳房]p246 新p259
寛政5年(1793)春 辻の札まで見送った後を追って京都へ
(48歳)         [3-2盗法秘伝]p42 新装p44
     晩春   大和平野で助太刀
               [3-4兇剣]p197 新p207
          宇津谷峠で肩を貸す
          [3-5 駿州・宇津谷峠]p214 新p224
     夏    坪井道場を紹介する
              [4-1霧の七郎]p36 新p38
     夏    明神の次郎吉と出会う
           [8-3明神の次郎吉]p95 新p100
     秋    〔嶋や〕へ呼び出し
             [4-2五年目の客]p45 新p47
     秋    府中へ
         [8-6あきらめきれずに]p241 新p254
     12月   平蔵の話し相手
               [9-3泥亀]p122 新p128
寛政6年(1794)正月 かつての遊び仲間
            [9-4本門寺暮雪]p133 新p144
     晩春    新居・金杉町裏の借家 
              [9-6白い粉]p209 新p218
     〃     左馬之助・お鈴の祝言
               [9-7狐雨]p208 新p217
     秋     新居 
           [11-2土蜘蛛の金五郎]p74 新p77
寛政7年(1795)2月 松浦道場で代稽古
           [12-2高杉道場三羽烏]p65 新p69
寛政8年(1796)晩春 渋谷で野崎勘兵衛を
           [14-1あごひげ三十両]p11 新p11
        夏から翌春
           滝野川の現場に
             [14-4浮世の顔]p146 新p156
        夏  手助けで藤代へ
               [15 雲竜剣]p28 新p29
           同門:井関録之助
                [17 鬼火]p96 新p99
           高杉道場で竜虎と
           [19-3おかね新五郎]p112 新p123
           友五郎への評言
             [19-5雪の果て]p206新p212
           同門:井上惣助
                [20-3顔]p97 新p101
           同門:横川甚助
              [20-6助太刀]p222 新p 230

同門の交友といっても、長谷川平蔵と岸井左馬之助のそれと、『剣客商売』の秋山小兵衛と嶋岡礼蔵との微妙な差異、むしろ心友といえる藤枝梅安と彦次郎との関係に近いことなどは、明日、言及する予定。

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2006.09.19

平蔵の練達の人あしらい

(どこへ寄稿したものか、メモしていないが、とりあえず)。

平蔵の練達の人あしらい

火付盗賊改メ・長谷川平蔵のことは文庫『鬼平犯科帳』や中村吉右衛門丈演じるところのテレビで多くの人に知られている。

平蔵は実在した人物だから、その練達の人あしらいぶり、透徹した眼力なども若干ながら伝わっている。

その1。火盗改メに任命されるや、逮捕者は夜中でも役宅へ連行してきてよろしいと町々へ触れた。平蔵の役宅には盗賊用の堅牢をもうけられている。自身番に留めおくと町(ちょう)役人の不寝(ねず)の番とか犯人の食事などで費用がかさんでいたため、町方は大助かりだとよろこんだ。

じっさいに役宅へ連れて行くと、早速に同心が応対に出てきて受けとり、煙草や茶をふるまって休息してゆくようにいい、遠路歩いて腹もすいたであろうと蕎麦の出前をとってくれる。これを報告した松平定信側の隠密はこう書いている。

「冷や飯にお茶漬けを出されてもうれしがらないが、さっと蕎麦屋へ人をやり出前をとってくれると、町人はご馳走になった気になり、恐れ入りもし、ありがたがる。平蔵の人の気の呑みこみぐあいには舌をまく」

天明期の天災(長雨や浅間山噴火の火山灰による農作物の被害)、定信の緊縮令から発した不景気で、盗賊も横行していた。あまりにも多く捕まえすぎた平蔵の役宅では、入牢中の犯人たちに食わせるために大釜で飯を炊くしまつだった。

その2。平蔵は「十手は腰のものと同じとかんがえ、みだりに抜かないように」と組の者へ申しつけてもいた。テレビで盗賊どもをバッシバッシと打ちすえているのは史実無視の視聴率かせぎとみていい。火盗改メの特技ともいえる拷問もほとんどやらなかった。

同心が召し捕った重罪の盗賊をあやまって逃がし、1か月の内に再逮捕できなかったら辞職ものだと噂されていた。ところが20日ほどのちに、
「逃げまわっていても町奉行所の者の手にかかるやもしれない。どうせ捕まるなら慈悲深い長谷川さまの手にかかりたい。逃げるときに縛られていた縄をなくさないように大切にあつかい、こうして持参しました」
こういってその盗賊が自首してきた。

その3。関東一円を荒らしまわっていた巨盗・神稲(しんとう)小僧を武州・大宮宿で捕縛したときも「その形(なり)で牢へ入ったのでは、神稲小僧とまで呼ばれたおぬしのプライドが保てまい」と平蔵は自腹を切って3両(いまの48万円に相当)もする派手な衣装を買いあたえた。

「長谷川平蔵どのは勤役中、賞罰正しく、慈悲心深く、頓知の捌(さば)き多く……」と書いているものの本もある。平蔵の深い慈悲心はひろく知れわたっていた。いや、平蔵が知れわたらせていたのだ。

新聞もテレビもなかった時代のことゆえ、情報は口づてが中心。そこで平蔵は、定信側の隠密を逆利用したり自分の手の密偵たちにいいつけて、神稲小僧への温情や自首した盗賊、十手の使用制限の件が悪人たちの耳へとどくように計り、役宅での出前蕎麦のふるまいなどのことが町役人の口から広まるように仕組んだ。

なんのために? 賊の中に平蔵の慈悲心に心をうたれて動揺する者をだすため。平蔵は10人の賊のうち半分は根っからの悪人だが、あとの5人は改心する見込みがあると信じていた。

噂で盗賊が自首してくれば、これほど手間がはぶけ費用も節約できることはない。長谷川組の検挙率が平蔵の前後の火盗改メよりも抜群に高かったのをみても、平蔵の目論見はけっこう成功していたといっていい。

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2006.09.18

2006年9月18日のハイライト

文庫巻8-6[あきらめきれずに]をアップ。

少年の純真な心情を保ちつづけている岸井左馬之助に伴侶ができる、読み手が心待ちしていた篇。

---というわけで、江戸から8里(32km)の府中と、関戸へ出かけて取材。まあ、いまは電車だから、座ったまま到着。
関戸へはバスで20分。

多摩市の関戸文化センターは、丘の上に建てられていた。そこから関戸金毘羅権現まで、徒歩5分。

府中では、六所明神社(大国魂神社)の宝物殿で、くらやみ祭りに渡御する大御輿などを拝観。隣の善明寺の美しい前庭。
さらに八幡から武蔵野に特有なはけづたいの東郷寺は、近代の建築だが、グランプリ映画『羅生門』の撮影に使われた門扉が圧巻。

各篇の項目詳細の紹介は、1/3の8巻をが終わったところで小休止。
あすからは、内容を改めて---。

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文庫 第8巻-6

[8-6 あきらめきれずに]寛政5年(1793)秋
               『オール讀物』1972年08月号

◆高杉道場 本所出村p244 新p257        図会0605
◆武州多摩郡布田の五ヶ宿p245 新p258
300
布多天神社
図会0300
◆甲府p245 新p250
◆府中の町 布田から 1里23丁p247 新p261
◆府中は番場、本町、新宿よりなるp251 新p264
◆六所明神社(大国魂神社 府中宮町3-1 )p251 新p264
                        図会0311
◆善明寺(府中市本町)p251 新p264  図会0310
◆相州街道p254 新p268
◆多摩丘陵p255 新p268
◆多摩川の岸p255 新p268
325
多摩川猟鮎
図会0323
◆染屋村p265 新p279
◆八幡宿p267 新p281              図会0309 
◆府中・問屋場 p267 新装p281
◆多摩川べりの地蔵堂p268 新p282
★造り酒屋〔吉野屋〕忠兵衛 府中本宿p270 新p284
◆関戸の村 p272 新装p286
331
図会0331
◆関戸天守台の金比羅権現(多摩市関戸)p273 新p287
◆関戸天守台(多摩市関戸)           図会0332
◆下谷金杉下町裏p280 新p295
△粟田口国綱 2尺 2寸余p277 新p
△高杉銀平直伝と小野田治平からの居合術p245 新p258
△役宅の内庭の頬白が鳴いている。野鳥p243 新p257
△府中、六所明神社境内 鵙が鳴いた。野鳥p254 新p267
○妻女:久栄p241 新p254
◎剣友:岸井左馬之助p241 新p254
@剣客:高杉銀平p244 新p257
@小野田治平 60を越えている。武州多摩郡布田の郷士の三男。
  不伝流居合術p244 新p257
○お静 小野田治平の娘。27歳p247 新p260
§@浅井(あさい)高之助 遠州浪人。36歳p247
   新p260
@伊橋勘右衛門 東軍新当流道場p247 新p260
○問屋場年寄:藤左衛門p269 新p284
○吉兵衛 問屋場で人足指p271 新p285
○宅之助 問屋場で馬指p271 新p285
○染屋村百姓:万七p271 新p285

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2006.09.17

9月17日のハイライト 

文庫巻8-5 [白と黒]をアップ。

きのうにつづいて、『江戸買物独案内』にまつわるエピソード。

引用した菓子舗〔船橋屋〕は、鬼平のほんのすこしあと、江戸の名店だった。
 船橋を わたってきたと とうじいい
この川柳の「とうじ」は、酒仕込みの杜氏にかけた「菓子杜氏」---つまり菓子職人で、「鮒橋屋で働いていました」と職歴を自慢している。

この店が有名になったのは、将軍・家斉(いえなり)の愛妾・お千代の義父で、向島に別邸をもつ中野播磨守(石翁)への手土産に指定されたためとの説もある。
店は、鬼平熱愛倶楽部の白浜さんによると、地下鉄・木場駅前に現存していると。

文庫巻10-1[犬神の権三]で、密偵おまさと権三の情婦おしげが入った上野広小路の〔船橋屋〕は、別のしる粉屋らしい。
Photo_202

しる粉屋のこの品書きから、池波さんは、2品を篇中へとりこんだ。

亀戸に現存する葛餅の〔船橋屋〕は、上記2店とは関係のないと、七代目当主・渡辺孝至氏が証言。

別件
この篇に登場した〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎について、鬼平佐嶋与力へ「密偵につかえるとおもう」から考えておくように伝えている。しかし、結果は不明。

同様に、密偵に取り立てられたはずなのに、その後の物語でまったく活躍していないのは、
[3-4 兇剣]     鯨の源吉 p203 新213
[4-2 密通]    〔矢掛〕の仁七 p123 新p128
[8-5 白と黒]   〔飜筋斗〕の亀太郎 p240 新p253
[20-2二度あることは]眼鏡師の市兵衛 p95 新p99
[21-1泣き男]    按摩:辰の市とお峰 p42 新p44
[21-3討入り市兵衛]
            鞘師の長三郎と万七 p169 新p174

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文庫 第8巻-5

[8-5 白と黒]寛政5年(1793)晩夏
                『オー讀物』1972年07月号

★薬種問屋〔長崎屋〕伊兵衛 深川海辺大工町p206 新p217
                      独案内 242丁
Photo_198

★菓子舗〔船橋屋〕伊織 深川佐賀町p206 新p217
                      独案内 209丁
Photo_199

◆王子権現(北・王子本町 1- 1-12)p210 新p221 図会0489
◆料理屋〔二文字屋〕 飛鳥山p210 新装p22
  独案内 9丁
Photo_200
屋号のみ借用。ということは、実在した料理屋。

◆料理茶屋〔山吹屋〕 王子権現p213 新p224
◆居酒屋〔かね井〕 巣鴨子育稲荷前p214 新p223
Photo_201
巣鴨(部分 近江屋板) 右端の板橋道から稲荷横丁を西へ
2丁ほど入ると子育稲荷(現存)。さらに西へ行くと三沢家。

◆稲荷横丁p214 新p226
◆高輪台町p215 新p227
◆高輪台町 国昌寺(廃絶)p216 新p228
◆白金 細川越中守(斉茲。54万石)中屋敷p216 新p228
◆堀左京亮下屋敷p216 新p229
◆西善寺(架空) 巣鴨子育稲荷のあたりp222 新p234
◆旗本:阿部久太郎(1000石)屋敷 巣鴨追分p227 新p240
◆本所小梅 西尾隠岐守(忠移。遠江横須賀藩 3万5000石)
 下屋敷p235 新p248
△かる鴨をねぎとともに焼く 瓜もみ…佐嶋好物 料理p219
 新p231
△白粥に煎卵の昼飯 料理p227 新p240
△門内外に虫の声 虫238 新p251 p
○妻女:久栄p207 新p218
◎与力:佐嶋忠介p219 新p221 虚無僧に変装p221 新p233
◎同心:木村忠吾(ちゅうご)p204 新p215
◎同心:山田市太郎p221 新p233
 小柳安五郎と親しいp49 新p
◎同心:小柳(こやなぎ)安五郎p221 新p233
◎同心:沢田(さわだ)小平次p238 新p251
◎密偵:〔相模〕の彦十p221 新p233
◎密偵:おまさ(まさ)p221 新p233
◎密偵:〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵p221 新p233
@岸井左馬之助p233 新p246
○三沢仙右衛門 50男。平蔵の 4,5歳年長。p210 新p222
○初造 三沢家の長男p213 新p225
○〔座頭〕富の市 60に近いp210 新p223
§〔山吹屋〕お勝(かつ)p213 新p224
§〔翻筋斗(もんどり)〕の亀太郎 27歳。〔門原〕の重兵衛
 の配下p215 新p227
§〔門原(もんばら)〕の重兵衛 寛政 4年に平蔵が逮捕
  p219 新p227
§お今(いま) 下女泥。色黒で痩せた。30女p236 新p244
§お仙(せん) 下女泥。色白で太め。20前後p237 新p244
§〔湯舟(ゆぶね)〕の松蔵p237 新p250

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2006.09.16

9月16日のハイライト 

文庫巻8-4[流星]をアップ。

この篇では、『江戸買物独案内』から4件図版を引用した。

池波さんがこの史料机脇に置いていたのは、盗賊が狙う店をきめるのが第一だったとおもう。
その町に、その業種の店があったことがはっきりし、リアリティが生まれる。

盗賊に入られて、彼らが畜生ばたらきをする一味だったら、皆殺しにするだろう。だから、町名はそのままでも、屋号はほかから借りてくることになる。

盗賊に襲われる話でないときは、実名のまま借用していい。

池波さん『江戸買物独案内』重宝していたことを明かしたのは、たぶん、ぼくが最初だったとおもう。
150『オール讀物』平成元年(988)7月臨時号「鬼平犯科帳の世界」に、鬼平に登場する商店を並べた[江戸ショッビング案内]を寄稿したときである(のち、同題の文春文庫に収録)。
池波さんの生前のことだから、「ずいぶん、出すぎたことをする奴」とおもわれたことだったろう。

しかしその後鬼平について語るばあいに、『江戸買物独案内』欠かせない史料と認められた。

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文庫 第8巻-4

[8-4 流星]寛政5年(1793)7月
               オール讀物1972年06月号

◆研師〔笹屋〕弥右衛門 京・油小路二条下ルp131 新p138
◆竹田街道p132 新p139
◆伏見p132 新p139
◆淀川p132 新p139
◆河内国茨木郡枚方p133 新p139
◆艾問屋〔山家屋〕仙右衛門 心斎橋北詰p134 新p141
◆菓子屋〔加賀屋〕仁助 四谷門外。紹鴎まんじゅう。夫・一
 之助が好物p139 新p146          独案内 197丁
Photo_197
茶席の受けに出る〔紹鴎まんじゅう〕
                     図会巻3p310
◆市谷七軒町p139  新p146
◆内藤町 三光院稲荷(花園神社 新・新宿 5-17- 3)p140
 新装p147
★味噌問屋〔佐野倉〕半兵衛 浅草北馬道p143 新装p151
                      独案内 431丁

__1
町名と屋号が図版どおり
                       図会0513

★扇問屋〔太田屋〕武兵衛 本郷二丁目p143  新p151
                      独案内 390丁
Photo_194
これも町名も屋号も一致

◆思案橋 船宿〔加賀屋〕p146 新p154
◆王子稲荷(北・岸町 1-12-26)前p153 新p162  図会0492
◆本所松坂町 1丁目 紙問屋〔越前屋〕卯兵衛p154 新p162
                       独案内80丁
Photo_195
Photo_196

◆料亭〔井筒〕 橋場p154 新p169        図会0555
◆船宿〔鶴や〕 深川石島町p155 新p163
◆化粧品屋〔坂本屋〕 南伝馬町 3丁目。名代:仙女香p158
 新p167
◆川越 回船問屋〔柏屋〕 友五郎が以前船頭p161 新p170
◆法光寺(現在はない) 四谷組屋敷の西p164 新p172
◆植木屋〔植半〕半兵衛 染井村p165 新p173
◆一ッ橋御門外火除地p167 新p176
★本明寺 巣鴨庚申塚近く173 新p182
 (本妙寺 巣鴨 5-35- 6はあるが、本明寺はない)
◆食売旅籠〔嶋屋〕 板橋中宿p176 新p186    図会0411
◆巣鴨庚申塚(豊・巣鴨 4-35 )p179 新p189   図会0409
◆平尾町と中宿の境p181 新p191
△粟田口国綱 2尺 2寸余 亡父ゆずりp184 新p194
△染井村の隠れ家で蝉の声 虫p168 新p177
△板橋宿 蜩の声 虫p181 新p191
 ?千石の資格? p190 新p201
○妻女:久栄p139 新p148
◎与力:三浦助右衛門 内務p140 新p148
○又二郎 三浦与力の次男。惨殺されるp140 新p147
◎与力:佐嶋忠介p141 新p148
◎同心:原田一之助 30歳p139 新p144
○きよ 原田同心の妻女。殺害されるp137 新p144
○お千代 原田同心の子。 5歳p139 新p146
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p138 新p145
◎同心:小柳(こやなぎ)安五郎p138 新p145
◎同心:酒井祐助 p163 新装p172
◎同心:山田市太郎 p187 新装p146
◎密偵:〔小房(こぶさ)〕の粂八p147 新p155
◎密偵:伊三次(いさじ)p174 新p166
◎密偵:おまさ(まさ)p175 新p166
◎密偵:〔相模〕の彦十p175 新p166
    密偵たち14人p174 新p166
○弁吉:船宿〔鶴や〕の船頭p162 新p171
◎為右衛門 盗賊改方門番。惨殺されるp173 新p182
○旗本:中沢左京(架空)の家来p140 新p147
○若年寄:京極備前守高久(65歳)p142 新p149
○先手弓頭:山本伊予守(茂孫。43歳。1000石)組屋敷の警備
 ?組屋敷は牛込山伏町p143 新p150
○先手弓組同心:木下与平治 25歳。念流。惨殺されるp163
 新装p171
○井坂文右衛門 川越藩の町奉行p196 新p196
○〔浜崎(はまざき)〕の友五郎 〔加賀屋〕船頭。60歳超
 p146 新p155
○松平伊豆守信綱 川越藩主p161 新p169
○町医:藤田伯安 川越上松江町p169 新p178
○表御番医:井上立泉p169 新p179
§@沖(おき)源蔵 40すぎ。研師〔笹屋〕に寄宿p131 新p138
§@杉浦(すぎうら)要次郎 30すぎ。枚方のくらわんか舟の船頭
  ・村五郎
 方に寄宿p132 新p139
§〔生駒(いこま)〕の仙右衛門 62歳p135 新p143
§〔掻掘(かいぼり)〕のおけいp137 新p144
§甚蔵 〔生駒〕の配下p137 新p144
§勝太郎 〔生駒〕の配下p137 新p144
§〔津村(つむら)〕の喜平 〔生駒〕の配下p167 新p177
§〔鹿山(しかやま)〕の市之助p137 新p144
§〔飯富(いいとみ)〕の勘八p147 新p155
§〔藪原(やぶはら)〕の伊助 小太り。40男p149 新p157
§植木屋〔植半〕半兵衛。染井村。〔鹿山〕の配下p165
 新装p174
§梅四郎 〔植半〕の息子のていで実は〔鹿山〕の配下p168
 新装p174
§茂次 〔鹿山〕の配下p168 新p174

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2006.09.15

9月15日のゴメンナサイ

PCに不都合が生じ、一部にハイパーリンク指定が不能に。

復旧したら、実行の予定。それまでご猶予を。

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文庫 第8巻-3

文庫巻8 -3 [明神の次郎吉] 寛政5年(1793)夏
               『オール讀物』1972年05月号

◆信州小田井宿 江戸へ44里14丁(40里14丁)p90 新p95
◆信州追分 小田井宿から1里半ほどp90 新p95
◆前田原p91 新p96
◆笠取峠p91 新p96
◆押上村 岸井左馬之助が寄宿先:春慶寺p95 新p100
◆春慶寺(日蓮宗 墨・業平 2-14-9 )p95 新p100
◆高杉道場 本所p98新装p           図会0605
◆軍鶏なべ屋〔五鉄〕 本所二ツ目。竪川ぞい南側の窓p103
 新p104                    見取り図
△鯉の塩焼。鯉の洗いとか味噌煮とかいうけれど、じつは塩焼
 がいちばんうまい。料理p104 新p111
△軍鶏の臓物の鍋。初夏のころ出まわる新牛冒蒡のササガキと
 いっ しょに、出汁で煮ながら食べる。熱いのを汗をぬぐい
 ぬぐい食べるのは、夏の快味p104 新p110
◆横川p102 新p107
◆竪川p103 新p108               図会0578
◆妙音寺 信州小田井宿p105 新p110
◆〔相模〕の彦十の住まい 本所四ッ目裏長屋p106 新p112
◆茶店〔生熊屋〕 千駄ヶ谷八幡宮門前p113 新p119
◆三番町通りp120 新p127
◆千駄ヶ谷八幡宮(渋・千駄ヶ谷 1- 1-24)p121 新p128
                        図会0297
◆茶店〔よしのや〕千駄ヶ谷八幡宮表門の鞍懸松と道をへだて
 たp121 新p128
☆薬種問屋〔橋本屋〕勘左衛門 四谷伝馬町一丁目p121
 新p127              独案内237, 251丁
Photo_191
Photo_192
売薬広告から町名と屋号を合成 『江戸買物独案内』

◆玉川上水べりの水車小屋p121 新p128
◆内藤駿河守(頼以。信濃高遠藩 3万3000石)中屋敷。内藤新
 宿p122 新p129
◆南寺町p123 新p130
◆鮫ヶ橋谷町p123 新p130            図会0291
◆宗清寺(あるのは宗福寺)p123 新p130
◆永井信濃守(直温。大和新庄藩 1万石。大番頭)下屋敷p123  新p130
◆石切横丁p124 新p131
◆天王横丁p124 新p131
△横川に蛍 虫p102 新p107
△すだれ売り 物売りp119 新p126
△三番町通りの武家屋敷に蝉の声 虫p120 新p127
△役宅の庭で蝉が 虫p130 新p137
○亡父:宣雄p98 新p103
○妻女:久栄p110 新p116
◎同心:小柳(こやなぎ)安五郎 31歳p90 新p95
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p115 新p121
◎同心:酒井祐助p116 新p123
◎密偵:おまさ(まさ)p103 新p108
◎密偵:〔相模〕の彦十p106 新p112
◎密偵:伊三次(いさじ)p115 新p121
◎密偵:〔小房(こぶさ)〕の粂八p116 新p122
◎密偵:〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵p116 新p122
◎密偵:〔舟形(ふながた)〕の宗平p116 新p122
◎剣友:岸井左馬之助 50歳に近い。生家:臼井の郷士で庄屋。 天明4年(39歳)再び江戸へp95 新p100
◎南町奉行:池田筑後守(長恵 900石)p126 新p133
◎与力:大山清左衛門 南町奉行所p126 新p134
○僧:宗円p95 新p100
△藤四郎吉光 短刀p95 新p100
@高杉銀平 剣客p97 新p102
○三次郎夫妻p99 新p104
§〔鹿留(しかどめ)〕の又八 42歳p90 新p95
§〔雨畑(あまはた)〕の紋三郎p90 新p95
§〔明神(みょうじん)〕の次郎吉 30男p92 新p97
§〔諏訪(すわ)〕の文蔵 次郎吉の父親p93 新p98
§〔櫛山(くしやま)〕の武兵衛 次郎吉の頭p93 新p98
§百姓・久兵衛 千駄ヶ谷p113 新p119
§〔室留(むろどめ)〕の倉八p119 新p126

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2006.09.14

9月14日のハイライト 

文庫巻8-2[あきれた奴]をアップ。

中学生の教科書へ載せるなら---「この篇」と、ぼくがおもっている秀作。太宰治[走れ メロス]を連想させる、男と男の信義を描く。

それはおいて、3人の盗賊の首領にそれぞれ仕込まれた、3人の配下人と成りが、どのように異なってくるかが判然とわかる。師を選ぶことの貴重さ、師から得るものの意味---が読み手に伝わる。

叔父の〔八町山〕と、甥の〔雨畑〕出生地の距(へだた)りは、どちらも山あいの村だが、道なりに計って5里ばかり(約20km)。歩行がもっぱらだった当時でも、嫁入り・婿取りの縁が生じえた距離といえる。
Photo_190
右上の町=山梨県鰍沢町 
赤○上=同町十合(八町山)、赤○下=早川町雨畑

池波さんはそこまで計算して「通り名(呼び名)」をふっている。

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文庫 第8巻-2

[8-2  あきれた奴]寛政5年(1793)梅雨から12月
               『オール讀物』1972年04月号

◆竜源寺 浅草阿部川町p48 新p50
◆四谷組屋敷 坂町p49新p51
◆坪井主水道場 市谷佐内坂p46 新p52
◆本所亀沢町 小柳安五郎の亡妻の実家・井上家p51 新p53
◆両国橋p51 新p54              図会0030
◆軍鶏なべ屋〔五鉄〕 本所二ッ目。おまさが二階に三つある
 部屋の奥の小部屋で寝泊まりしている。
 表は油障子。幅1間の通路の両側にそれぞれ10畳敷きの入れ
 こみp53 新p56               見取り図
◆清水御門 江戸36門の一つp56 新p58
◆茶飯売り 清水門外p56 新p59
 *餡かけ豆腐、けんちん汁
★谷中古門前町 正林寺p60 新p62
 (ただし、正林寺はない。玉林寺は現:台・谷中 1- 7-15)
◆浅草六軒町 仏具屋〔伊勢屋〕佐太郎p61 新p64
◆下谷三ノ輪裏 おたかの父親・数珠師の住まいp62
 新p65
Photo_189
広重[蓑輪金杉三河しま](『名所江戸百景』)

◆浅草橋p75 新p79
◆品川台町 煙草屋p83 新p88
◆誓教寺(浄土宗 台・元浅草 4- 6- 9)p84 新p88
◆東海道 御油宿p87 新p91
○妻女:久栄p51 新p53
○長男:辰蔵p50 新p52
◎与力:佐嶋忠介p50 新p52
◎与力:天野甚蔵p75 新p79
◎同心:小柳(こやなぎ)安五郎 31歳。妻みつと赤子は一昨
 年初産で死去。組屋敷から役宅内長屋。おっとりした人柄
 p48 新装p50
 木村忠吾評「小柳さんは、寒い日にぬるま湯からあがって燗
 冷ざましの酒でもよろこんでのむような…人」p49 新p52
 鬼平評「小柳も今年、30を一つこえたな。男をみがくのはこ
 れからだ」p51 新p53
○亡妻:みつp49 新p51
○下女:お杉p57 新p59
◎同心:山田市太郎 4人の子持ちp49 新p51
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p49 新p52
◎同心:金子半助p59 新p62
◎同心:沢田(さわだ)小平次p68 新p72
 *鬼平の着任後、与力2名、同心7名が殉職p50 新p52
◎密偵:おまさ(まさ)p54 新p56
○三次郎 〔五鉄〕亭主p53 新p56
@坪井主水 道場主p50 新p50
@井上友之助 小柳安五郎の亡妻の実家。50俵2人扶持。本所
 亀沢町p51 新p53
§〔日影(ひかげ)〕の長右衛門p48 新p50
§〔鹿留(しかどめ)〕の又八 42歳。浅草六軒町の裏道で数
 珠師。元〔簑火〕の喜之助配下p59 新p63
○おたか 又八の女房。26歳p61 新p64
○おたま 又八夫婦の娘p64 新p67
§〔八町山(はっちょうやま)〕の清五郎 〔夜兎〕の角右衛
 門の元配下。品川台町で煙草屋。p66 新p69
§〔簑火(みのひ)〕の喜之助p82 新p87
§〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門p83 新p87
§〔生駒(いこま)〕の仙右衛門p85 新p89
§〔雨畑(あまばた)〕の紋三郎 〔生駒〕の元配下p82
  新p86
○おきね 御油の旅籠〔岡田屋〕の飯盛り女。紋三郎のなじみ
 p87 新p91

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2006.09.13

9月13日のハイライト 

文庫巻8-1[用心棒]をアップ。

『江戸買物独案内』(文政7年 1824刊)から2件引用したが、どちらもドンピシャリ。

味噌問屋〔佐野倉〕
のほうは、鬼平の奮闘で未遂におわらせた---ということは、店の者の殺傷もなかったし、金子の損害も受けなかったんだから、池波さんとしては、実在の屋号にしても、まあ、問題はおきまい、とふんだのかも。
とはいえ、盗賊に狙われるわけだから、「縁起でもない」といわれたときのために、店主の名前と町名を変えて、逃げ道は確保してある。

鰻の〔山口〕のほうは、単に食事をしただけなのだから、仮に現在まで続いている老舗であっても、宣伝にこそなれ、苦情のくる心配はなさそう。

池波さんの気くばりをかいま見るチャンスである。

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文庫 第8巻-1

より深く楽しむ
『鬼平犯科帳』細見

--項目リストの記号--
◆町・商店・橋・川・寺社など
★襲われた被害店
☆未遂店
△メモ(花・鳥・虫・刀剣など)
◎火盗改メ方
○人物
§盗賊
@剣客

[8-1 用心棒]寛政5年(1793)2月
             『オール讀物』1972年03月号

◆茶屋〔笹や〕お熊 本所・林町。弥勒寺門前p7 新p7
◆弥勒寺(墨・立川 1- 4-13)p7 新p 7     図会0580
580
弥勒寺 山門向いがお熊の茶店〔笹や〕。その右隣〔植半]
二ッ目通りの先方---五間堀に架かるのが弥勒寺橋

◆弥勒寺橋p22 新p23
◆小笠原佐渡守(肥前唐津藩 6万石)下屋敷 南森下町p9
 新p9
 *ただし寛政5年時に藩主は水野左近将監忠鼎(ただかね)
 文化14年に遠江浜松へ移封。陸奥棚倉から小笠原家が。
☆深川佐賀町 味噌問屋〔佐野倉〕勘兵衛p11 新p11
                     独案内431丁
Photo_186

◆熊井町p16 新p16
◆永代橋p16 新p16              図会0050
◆蛤町p16 新p16
◆蓬莱橋(江東・富岡 1-20- 3)p16 新p16
◆洲崎弁天(江東・木場 6-13-13)p16 新p16  図会0574
◆洲崎弁天の鳥居内を北へ 茶屋〔槌屋〕p16 新p17
◆富岡八幡宮(江東・富岡 1-20- 3)p16 新p16 図会0570
◆茶屋〔みなとや〕 富岡八幡北門ぎわ。豆腐の田楽がうまい
 p26 新p28
△木の芽の香りがする味噌の豆腐田楽。料理p27 新p27
◆平井新田p18 新p19
◆菓子屋〔越後屋〕 深川仲町。京菓子p19 新p20
                      独案内 210丁
Photo_187

◆高橋p22 新p23
◆仲町 鰻屋〔山口〕p22 新p23       独案内27丁
Photo_188

◆三十三間堂(現存しない)p60 新p27      図会0573
 p26 新装p27
◆堀川p28 新p280
◆表茅場町p29 新p30
◆八丁堀p29 新p30
◆弾正橋p29 新p30              図会0047
◆京橋p29 新p30
◆大根河岸p30 新p31
◆大根河岸 料理屋〔万七〕。名物:兎の吸い物p30 新p31
△兎の吸物:葱と生姜をあしらったもの 料理p30 新p31
◆船宿〔鶴や〕粂八 深川石島町p33 新p34
◆坪井主水道場 市谷佐内坂p46 新p48
△河内守国助 2尺 3寸 5分p40 新p41
△紅と白の躑躅が盛り 花p45 新p46
○妻女:久栄p25 新p26
◎与力:佐嶋忠介p34 新p35
◎同心:小柳(こやなぎ)安五郎p44 新p46
◎密偵:〔小房(こぶさ)〕の粂八p33 新p35
◎御用聞き:〔仙台堀〕の政七p44 新p46
○お熊 茶屋〔笹や〕の女あるじp7 新p7
@坪井主水 道場主p46 新p48
○@高木軍兵衛 36歳。味噌問屋〔佐野倉〕の用心棒p8
 新p8
○父:高木喜左衛門p13 新13p
○〔佐野倉〕勘兵衛 当主p35 新p37
○由太郎夫婦 〔佐野倉〕の若旦那p36 新p37
○長助 50男。〔佐野倉〕の番頭。p13 新装p13
@市口瀬兵衛老人。p12 新装p12
§〔馬越(まごし)〕の仁兵衛 p19 新装p19

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2006.09.12

9月12日のノン・ハイライト 

文庫巻7-7[盗賊婚礼]をアップ

まっとうな本格派の盗賊と、畜生ばたらきの盗賊が対立する物語。
その悪役側に、まっとうな盗賊がいて、身を挺して奸計を暴く。
〔長嶋ながしま〕の久五郎という。
なんとなく肩入れしたくなって、出生地とおもえる三重県の長島(桑名市に合併)まで、2度、出かけたリポートは久五郎の項へ。

一方で、探索漏れにまたも気づいた。 〔傘山〕の弥太郎とその引き込み女・お粂、ニ代目〔鳴海(なるみ)〕の繁蔵の情婦のお梅が、そう。
これも、ゆるりと補追する予定。

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文庫 第7巻-7

[7-7 盗賊婚礼]寛政5年(1793)2月
               『オール讀物』1972年01月号

★薬種問屋〔山城屋〕文蔵 小石川指ヶ谷 2丁目p250 新p262
◆下総葛飾郡八幡宿。煮売り屋・由松p251 p250 新p263
◆三沢仙右衛門 巣鴨村。58歳p253 新p265
◆円通寺(臨済宗 文・本駒込 2-19- 8)駒込片町 三沢家の
 菩提寺p253 新p266
◆追分 駕籠屋〔増源〕p253 新p266
◆岩ふじ街道(「正」岩ぶち)p253 新p266
◆神明原p254 新p266
476
神明宮への参道両側の芝生が神明原。手前は岩渕街道

◆駒込神明宮(現:天祖神社 文・本駒込 3-40- 1)p253
 新装p266                  図会0476
◆料理屋〔瓢箪屋〕勘助 田舎風店構え。駒込富士前町p254
 新装p267
△芹の味噌椀。わけぎと木くらげの白味噌あえ。鱒の味醂漬け焼 き、嫁菜そえp255 新p267
◆名古屋城下上本町 宿屋〔鍵屋〕p264 新p277
◆小石川白山権現 裏門前茶屋〔ふじや〕p267 新p280
◆白山権現(白山神社 文・白山 5-31-26)p267 新p280
                        図会0405
◆正福院(心福院の誤記? 文・白山 3- 1-23)指ヶ谷p269
 新p282
◆日本橋馬喰町 料理屋〔琴吹屋〕p274 新p287
◆日本橋馬喰町 旅籠〔近江屋〕源右衛門p276 新p289
◆甲州上野原p275 新p288
○亡父:宣雄p253 新p266
○妻女:久栄p250 新p262
◎与力:佐嶋忠介p251 新p263
◎同心:山田市太郎p251 新p263
○三沢仙右衛門 巣鴨村。58歳p253 新p265
○三沢初蔵 仙右衛門の跡継ぎp253 新p265
○お園 三沢家。鬼平の生母p253 新p265
§〔傘山(かさやま)〕の弥太郎 白山権現裏門前茶屋〔ふじ
 や〕の主。
 亡父は茶屋〔古屋〕弥兵衛として大往生p258 新p270
§米六おとよ老夫婦。茶屋〔ふじや〕の店の者p267 新p280
§勘助 料理屋〔瓢箪(ひょうたん)屋〕の店主。60がらみ。
 〔傘山〕の右腕p255 新p267
§喜代次 〔瓢箪屋〕の料理人p257 新p270
§お粂(くめ) 〔山城屋〕の女中。引きこみp251 新p263
§〔鳴海(なるみ)〕の繁蔵 本格派の盗賊p260新p273
§二代目〔鳴海(なるみ〕の繁蔵 畜生ばたらきの盗賊p261
 新p273
§お糸 〔鳴海〕の繁蔵の娘p260 新p273
§〔長嶋(ながしま)〕の久五郎 繁蔵配下p262 新p274
§お梅 お糸の代役p277 新p288

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2006.09.11

9月11日のハイライト 

文庫巻7-6[寒月六間堀]をアップ。

公許の出ない逆敵討ちの物語。
敵討ち---いうなれば、討ち手を変えた復讐劇である。
身内を殺されたら、その下手人を殺してやりたいと思うのは人情であろう。
が、そこにはルールが設けられていて、目上のものが目下の仇を討ってはいけなかった。
つまり、兄が弟の親が子の仇を討つことは、公には許されていなかった。

そのことはおいて、鬼平が身を寄せて隠した小浜某の屋敷
図会05922景目左上の武家屋敷が、そう。
武者窓つきの長屋門はあるが、ふつうの塀はない。
『江戸名所図会』のこの絵が描かれた時代には小浜家の居宅だったが、鬼平の時代には別の幕臣が住んでいた。このことは項目参照。

聖典によく登場する一ッ目の弁財天

『江戸名所図会』に掲載されている一ッ目弁財天は、大川に面して鎮座していたが、現在は江島杉山神社(墨田区千歳 1- 8- 2)に合祀されて、大川から2丁ほど遠ざかった。

もちろん、神社側は池を掘ってはいるが、江戸・明治のころの威容はもとめられない。

蛇足だが、弁財天の裸形の本尊像を拝観したことがある。
興味のおありの方は↓
〔雨乞(あまご)い〕の庄右衛門
をおしまいまでスロー・ダウン。

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文庫 第7巻-6

[7-6 寒月六間堀]寛政5年(1793)01月
                 オール讀物1972年01月号

◆軍鶏鍋屋〔五鉄〕 二ッ目之橋北詰。密偵〔相模〕の彦十と
 おまさp214,226 新p224            見取り図
◆二ッ目橋p216 新p226             図会0592
◆林町p215 新p
◆弥勒寺(新義真言宗 墨・立川 1- 4-13)p217 新p226
                        図会0580
◆弥勒寺橋 五間堀にかかるp218 新p228
◆植木屋〔植半〕 弥勒寺門前p218 新p229
△小粒 2分以下の小金貨を小粒という。 2分,1分,2朱。
◆小浜某(弾正。寄合。6000石。居屋敷:北八丁堀。下屋敷:
 南本所小名木川端・北本所の四ッ橋通り。天保13年に2000石
 減知され、居屋敷を本所林町へ移す。切絵図は安政の印刻)。
 林町 1丁目の角p221 新p232
◆山城橋p222 新p233
◆両国橋 p224 新装p235            図会0030
◆米沢町1と 2丁目の間から薬研堀p224 新p235
◆村松町 逆でこp225 新p235
◆大身旗本:西尾内記 2000石(架空)p224 新p235
◆深川・南森下町と常盤町1p230 新p241
◆料理屋〔鳥万〕 薬研堀p232 新p243
◆薬研堀不動尊(中・東日本橋 2- 6- 8)p232 新p243
                        図会0029
◆南森下町の旗本屋敷p230 新p241
◆常盤町p230 新p241
◆西平野町 松井四郎兵衛p233 新p244
◆久永善十郎 土方勘解由(150 石)の用人。本郷弓町p235
 新p246
◆料亭〔巴屋〕 御蔵前片町 巴屋忠兵衛p235 新p247
                      独案内 4,5丁
Photo_185
本店は浅草並木町店 小説に登場は下段左の蔵前店

◆弁財天(江島杉山神社に合祀 墨・千歳 1- 8- 2)p240
 新装p251                   図会0587
581c
橋=一ッ目の橋 その向うが竹河岸 中央に一ッ目弁財天社

◆一ッ目橋p222 新p233
◆竪川ぞいの道p222 新p233
◆竹河岸p222 新p233
◆御籾蔵p240 新p252
◆猿子橋p240 新p252
◆六間堀p247 新p253
△餠網や 物売りp216 新p227
△河内守国助  2尺 3寸 5分([6-3 剣客] 2尺 4寸余)p243  新p255
 ?「三人の子もちでござる」p343 新p253
○妻女:久栄p213 新p223
○継母:波津p214 新p224
◎同心:酒井祐助p237  新p259
◎密偵:〔相模〕の彦十p214 新p224
◎密偵:おまさ(まさ) p214 新p224
○〔五鉄〕三次郎 p214 新装p224
○三次郎の女房:おしげ p226 新p237
○お熊 弥勒寺門前の茶屋〔笹や〕の女主人。70歳を越えた。
 亡夫・伊三郎p217 新p227
@市口瀬兵衛清定71歳。p228 新p239
@山下藤四郎 52歳。浜口の息子の仇。変名:松井四郎兵衛。
 西平野町。金貸業。p228新p241
○〔逆でこ〕仙次郎見世物 小屋の呼びこみ。30歳を越えた
 p225 新装p236
○〔小梅〕の三右衛門 両国の香具師の元締p226 新p236
○弥吉 薬研堀の〔鳥万〕の板前p232 新p243

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2006.09.10

9月10日のノン・ハイライト 

文庫巻7-5[泥鰌の和助始末]をアップ

ノン・ハイライトは、ジョークではない
[泥鰌の和助始末]をアップしてみて、鰻屋〔喜田川〕惣七〔不破(ふわ)〕の惣七という「呼び名(通り名)」のほうで登録していたこと、〔茨木〕の弥之助の個人プロフィールをぬかっていたことが明らかになった。

400数十人の盗賊を紹介して、このありさま。
いまさらのように、池波さん『鬼平犯科帳』に書き込んだ盗賊の多さ感嘆

ま、きょうのところはご容赦いただき、これから、ゆっくりと、未紹介のプロフィールを、折りを見ながら順次、追補していきたい。

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文庫 第7巻-5

[7-5 泥鰌の和助始末]寛政4年(1792)秋から正月て
               『オール讀物』1971年12月号

◆音羽の岡場所p141 新p151
◆蕎麦屋〔亀玉庵〕 浅草奥山p148 新p155   独案内32丁
                      亀屋と東玉庵
Photo_182
〔亀屋〕と〔東玉庵〕を合成して浅草奥山へ

◆浅草寺(聖観音宗 台・浅草 2- 3- 1)     図会0505
◆茶漬屋〔弁多津〕 浅草奥山p151 新p159
◆浅草田圃p152 新p159
320_1
広重[浅草田圃酉の町詣](『名所江戸百景』)  

◆下谷通り新町 松岡重兵衛の住まいp157 新p165
◆坪井道場 市ヶ谷左内坂p159 新p166
◆鰻屋〔喜田川〕惣七 市ヶ谷田町。去春開業p159 新p167
△蕎麦にしろ鰻にしろ、近年は、調理法に贅沢な変化があらわ
 れてきはじめた。辰蔵が子供のころは、鰻なども丸焼きにし
 たやつへ山椒味噌をぬったり豆油をつけたりして食べさせた
 もので、江戸市中でもごく下等な食物とされていたものだ。
 とても市中の目ぬきの場所に店をかまえて商売ができる代物
 ではなかった。
 それが近年、鰻を丸のままでなく、背開きにして食べよいよ
 うに切ったのへ串を打ち、これを蒸銅壺にならべて蒸し、あ
 ぶらをぬいてやわらかくしたのを今度はタレをつけて焼きあ
 げるという、手のこんだ料理になった。これをよい器へもっ
 て小ぎれいに食べさせる。
 「鰻というものがこんなにおいしいものとは知らなかった」
 いったん口にすると、後をひいてたまらなくなる。客がたち
 まち増え、したがって鰻屋の格もあがり、江戸市中にたちま
 ち、鰻屋が増えたのだ。p161 新p169
◆市ヶ谷御門p159 新p167
◆市ヶ谷八幡(新・市谷八幡15)境内p162 新p170 図会0338
◆浅草阿部川町 新堀川沿い。〔泥鰌〕の和助の住まいp163
 新p171
◆櫛屋 「木曾・お六くしどころ」の看板。和助の表向き商売
 店は16歳になるお妙がp163 新p171
◆正行寺 阿部川町(戦災で葛・四つ木 5-15-21)p163
 新p171
◆甲州野田尻 旅籠〔島や〕常三郎p164 新p171
◆浅草元鳥越 善右衛門店p165 新p173
◆大工の棟梁〔大喜〕喜兵衛 浅草元鳥越p165 新p173
★紙問屋〔小津屋〕源兵衛 南新堀。雁皮紙。豆州熱海 今井
 半太夫製p167 新装p174        独案内75,7883丁
◆南新堀p169 新p174
◆赤坂p169新p177
◆日本橋p169新p177
◆車坂p169 新p177
◆公春院(浄土宗 荒・南千住 1-32- 9)p169 新p177
 (下谷にはない)Photo_183
松岡重兵衛の住まいと公春院・下谷通り新町

◆軍鶏なべ屋〔五鉄〕 本所二ッ目。おまさが二階の奥の小部
 屋で寝泊まりp170 新p178
◆深川蛤町p172 新p180
★料理屋〔亀宗〕 浅草田原町1p172 新p182
◆大工の棟梁〔大虎〕p173 新p182
◆中ノ郷p174 新p182
◆駒形堂p174 新p182              図会0516
◆両国橋p176 新p184
◆道具屋〔加賀屋〕 三ノ輪。大家p178 新p186
◆永久寺(天台宗 台・三ノ輪 2-14- 5 目黄不動)前p178
 新p186
◆御成道p184 新p193
◆新吉原の西側p185 新p193
◆料亭〔伊勢屋〕 川魚料理。上野山下p185 新p193
                 独案内10,11,13,18,26丁
△鯉の洗いに葛そうめんをそえたものに、卵の黄身を月に見た
 ててあしらう。p185 新p193
◆東本願寺p185 新p193             図会0526
◆三味線堀p185 新p193
◆三味線堀・新堀川にかかる転軫橋p185 新p193
◆浅草六軒町 お妙の実家。p185 新p194
◆麻布広尾 p190 新p199
◆毘沙門堂 天現寺境内(臨済宗大徳寺派 港・南麻布 4- 2-
 35)p190 新p199               図会0218
◆光林寺(臨済宗妙心寺派 港・南麻布 4-11-25)p192
 新p201
◆目黒碑文谷村p197 新p206
◆本所五ッ目の竪川べりp203 新p213
◆越前堀p203 新p213
◆日本橋川p203 新p213
◆豊海橋p204 新p213
◆竹下侯(出羽久保田藩。20万5800石)下屋敷(十間川南亀戸
  2丁目)東側p207 新p217
◆長勝寺(切絵図誤植:[正]最勝寺)中ノ郷。松岡重兵衛の
 墓所(天台宗 江戸・平井 1-25-32へ昭 4年)p211 新p221
                        図会0610
△浅草田圃の上を白鷺が一羽 野鳥p150 新p157
△稲雀がさえずっていた 野鳥p152 新p158
△「庭の菊の香が、まだ鼻先に残っているように気がしていたの に……」p182 新p191
△大森村の名産:麦わら細工の鳩p162 新p170   図会0132
Photo_184
〔泥鰌〕の和助が合図に見せた麦藁細工の鳩(部分拡大)

○継母:波津p173 新p181
○妻女:久栄p144 新p151
○長男:辰蔵 20歳p144 新p151
○用人:松浦与助 49歳p144 新p151
◎与力:佐嶋忠介p183 新p191
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p146 新p153
◎同心:酒井祐助p191 新p200
◎同心:小柳(こやなぎ)安五郎p201 新p210
◎同心:沢田(さわだ)小平次p201 新p210
◎密偵:おまさ(まさ)p170 新p178
◎密偵:〔相模〕の彦十p170 新p178
◎密偵:〔小房(こぶさ)〕の粂八p183 新p191
◎密偵:伊三次(いさじ)p183 新p191
◎密偵:〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵p193 新p202
◎密偵:〔舟形(ふながた)〕の宗平 60すぎp193 新p202
◎密偵:紋次p200 新p210
◎密偵:勘四郎p201 新p210
@高杉銀平 鬼平の師p147 新p154
@道場主:坪井主水 辰蔵の剣術の師p146 新p154
@岸井左馬之助p147 新p155
○阿部弥太郎 辰蔵の悪友。高田四家町。旗本・阿部亀七郎の
 次男。23歳p144 新p182
○〔五鉄〕の三次郎p170 新p178
○木村織部 阿部弥太郎の叔父。麻布広尾。p190 新p198
○井坂正右衛門 碑文谷村の肝煎名主p201 新p211
○下目黒・年寄:五左衛門p197 新p207
§@松(まつおか)松岡重兵衛 50歳前後。
 下谷通り新町に居住p157 新p154
§〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛 三代目が30歳で病死p156
 新p163
§〔泥鰌(どじょう)〕の和助 60歳前後。〔地蔵〕の元配下
 阿部川町に住む。亡妻おせき。亡子磯太郎。p152 新p160
§和助の亡父:留次郎 大工p154 新p161
○お妙 16歳。和助の櫛屋の小女p163 新p171
§鰻屋〔喜田川(きたがわ)〕惣七p162 新p170
○大工孫吉 女房おひろ。甲州野田尻から江戸へp164 新p172
§〔茨木(いばらぎ)〕の弥之助p156 新p164
§〔鶴(たづがね)〕の忠助p172 新p180
§〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門p187 新p196
§〔不破(ふわ)〕の惣七 45,6歳。〔夜兎〕元配下p162
 新p170
§おかね 〔不破〕の女房p192 新p199
§〔狐火(きつねび)〕の勇五郎p192 新p201
§@塚田(つかだ)要次郎 浪人たちの頭分p206 新p216

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2006.09.09

9月9日のハイライト 

文庫巻7-4[掻掘のおけい]をアップ。

〔掻掘(かいぼり)〕とは、また、すざましい「通り名(呼び名)」をつけられたものである。
男の精をとことん掻(か)いだす女---ともとれる。

ちょっと趣向を変えて、〔一本うどん〕を紹介する。

数年前、ある雑誌『鬼平犯科帳』食べ物の特集を企画し、相談を受けた。
鬼平各クラスでのアンケートで、「食べてみたい鬼平の料理」のトップは「しゃも鍋」、2番が「一本うどん」

で、特集にはぜひとも「一本うどん」を入れたいとおもい、手打ちうどんの〔高田屋〕のご主人に相談をもちかけた。
快く引き受けてくださった。

で、出来たのが写真の極太うどんである
ただ、〔高田屋〕さんのいわく。「これは商売になりません。茹でるのに30分かかります。客は待ってくれません。
予約制にして、あらかじめご来店の時刻を聞いておき、その25分前から茹ではじめるんなら、やっていけます」

そういうことだと、小説にある〔豊島屋〕は、どう折り合いをつけているかとおもう。江戸の客はのんびりしていたのか、それともゆったりと商売していたのか。

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文庫 第7巻-4

[7-4 掻掘のおけい]寛政4年(1792)年晩夏
               『オール讀物』1971年11月号

◆海福寺 深川蛤町p110 新装p115        図会0577
◆うどん屋〔豊島屋〕 海福寺門前。名物:1本うどんp110
 新装p115
Photo_180
〔高田屋〕さん(文京区本郷2丁目)が1本うどんを復元

△5寸四方の蒸籠ふうの入れものへ、親指ほどの太さの1本う
 どんが白蛇のようにとぐろを巻いて盛られているのを、冬は
 あたため、夏は冷やし、箸でちぎりながら、好みによって柚
 子や摺胡麻、ねぎをあしらった濃目の汁をつけて食べる。
 p110 新装p115
◆煙草屋 〔舟形〕の宗平と〔大滝〕の五郎蔵。相生町 5丁目
 p111 新p116
◆富岡八幡宮(江・富岡1-20-3) 五郎蔵が参詣。p112
 新p117                   図会0570
◆一色町p112 新p117
◆平野町p112 新p117
◆富岡橋 一色町から平野町へかかるp112 新p117
★上州高崎在 大庄屋:萩原忠兵衛。〔大滝〕の五郎蔵一味が
 忍び入るp113 新p119
◆蕎麦屋〔翁庵〕 上野広小路p118 新p123 独案内33丁
Photo_181
所在のみ参考

△蕎麦を手(た)ぐるp118 新p123        図会0456

◆深川大島町の飛び地p118 新p124
◆三蔵橋p124 新p130
◆松平下総守(阿部正識 武蔵忍藩10万石)抱屋敷p125
 新p131
◆北新堀の大川端すじp127 新p133        図会0043
◆霊巌島p127 新p133
◆新川 一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋p127 新p133   図会0048
◆霊巌島町 蕎麦〔常陸屋〕。酒問屋や藍玉問屋の間。二階に
 小座敷が三つばかりp127 新p133
◆富島町 鰻屋〔大国屋〕p127 新p133
◆砂村新田 漁師・岩五郎p131 新p138
◆十万坪の埋立地p132 新p138
◆小名木川p132 新p139
320
広重[深川十万坪](『名所江戸百景』)

図会0586
◆千田新田p132 新p139
◆舟宿〔鶴や〕 扇橋p132 新p139
◆松平肥後守下屋敷前の河岸p133 新p140
◆仙台堀から万年橋p134 新p140
◆御船蔵p135 新p142
☆日本橋富沢町 紅・白粉問屋〔玉屋〕茂兵衛 53歳。白粉
 「白菊」は江戸城内大奥の侍女たちに好まれている高級品だ
 し、美玄香・紅椿などの香料や口紅も江戸で評判 玉屋と福田
 屋のもの。p135 新装p142        独案内 41,42丁
◆浜町河岸p136 新p143
◆小間物屋〔浅野屋〕宇助の未亡人p136 新p143
◆栄橋 浜町堀にかかるp139 新p146
△矢竹 植物p132 新p138
◎与力:佐嶋忠介p134 新p140
◎同心:沢田(さわだ)小平次p132 新p139
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p141 新p148
◎密偵:〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵 50過ぎの大男p111
 新p116
◎密偵:〔舟形(ふながた)〕の宗平 煙草屋。相生町 5。元
 〔初鹿野〕の音松の「盗人宿」番人。73歳。p111 新p116
◎密偵:〔小房(こぶさ)〕の粂八 p111 新p116
◎密偵:〔相模〕の彦十p111 新p116
◎密偵:伊三次(いさじ)p132 新p139
§〔蓑火(みのひ)〕の喜之助p112 新p117
§〔蛙(かわず)〕の市兵衛p112 新p117
○市兵衛の女房・おなみp112 新p117
§〔砂井(すない)〕の鶴吉 〔蛙〕の一人息子p111 新p116
§〔掻掘(かいぼり)〕のおけい 40歳を越えている。たらし
 こみ専門の女賊p115 新p120
§〔初鹿野(はじかの)〕の音松p116 新p122
§〔生駒(いこま)〕の仙右衛門 おけいの後ろ楯p117
 新p122
§甚蔵 〔生駒〕の配下p130 新p137
§勝太郎 〔生駒〕の配下p130 新p137
§〔黒坂(くろさか)〕の伝右衛門 駿河の盗賊p117 新p123
§〔和尚(おしょう)〕の半平p126 新p129
§〔黒灰(くろはい)〕の宗六 〔和尚〕の配下。にがみのき
 いた30男 p128 新p134
§漁師:岩五郎 砂村新田。〔和尚〕の従兄で盗人宿主p132
 新装p138

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2006.09.08

9月8日のハイライト 

文庫巻7-3[はさみ撃ち]をアップ

40歳も年下の女房が喜悦する不倫のあえぎを、隣室から古希(数えの70歳)をすぎた〔猿皮〕の小兵衛が微笑をうかべながら耳をすましている異様さ---引退した70代の盗人の、池波さんの理想の姿かもしれない。

いや、文庫巻11[穴]〔帯川〕の源助慰みごとも似たようなもので、読み手を憧れさせる。

それはさておき、小兵衛の本郷1丁目薬舗〔万屋〕(上の赤○)と、女房のおもんが〔針ヶ谷〕の友蔵に不倫をもちかけられた、湯島天神下の茶屋〔桐や〕(下の赤○)との距離と道筋を確認してみよう。
Photo_179

実測で12,3丁ばかり---おもんの足でも小半刻(30分)とかかるまい。男の誘いにのるには、よほどの決心が要る距離。
が、やがて男をわが寝間へ引きいれるのだから、30女の燃えようには目を見はる---とおもわせるのは池波さんのサーヴィス。

「ふ---盗人(ぬすっと)をやめた盗人の家へ現役(いまばたらき)の盗人が入(へえ)って来やがった---」このセリフが書きたかったのであろう。

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文庫 第7巻-3

[7-3 はさみ撃ち]寛政4年(1792)初春
               『オール讀物』1971年10月号

☆薬種屋〔万屋〕小兵衛 本郷 1丁目。名代:黒竜丸p77
 新p81              独案内 245丁 黒竜丹
Photo_176
池波さんの製薬のヒントの素

◆湯島天神(文・湯島 3-30- 1)p78 新p82 図会0452
◆茶屋〔桐や〕 湯島天神男坂下p78 新p82
◆両国橋p81 新p85              図会0030
◆煙草屋〔壺屋〕 本所相生町5p85 新p89
◆柳原土手p88 新p93             図会0026
026

★博多 廻船問屋〔筑後屋〕仙右衛門p90 新p95
◆薬種屋〔肥前屋〕 〔猿皮〕の博多の盗人宿p91 新p95
◆京・三条大橋に近い宿屋〔若狭屋〕与兵衛p91 新p96
◆蕎麦屋〔東月庵〕 上野広小路p95 新p101   図会0456
◆池之端仲町 小間物屋〔尾形屋〕七之助p97 新p102
◆醤油問屋〔十野寺屋〕 本郷 1丁目p98 新p104
                      独案内 443丁
Photo_178
〔小野寺屋〕を〔十野寺(とのでら)屋〕へ池波流の改装術

◎与力:佐嶋忠介p107 新p113
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p89 新p93
◎同心:小柳(こやまなぎ)安五郎p89 新p93
◎同心:山田市太郎 p89 新装p93
◎密偵:〔舟形(ふながた)〕の宗平 〔初鹿野〕の音松の盗
 人宿」の元番人。73歳(新p103 )p81 新p85
◎密偵:〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵 宗平と義理の親子の
 縁を結ぶp84 新p89
○§〔万屋〕小兵衛 70歳はすぎた。元〔猿皮(さるかわ)〕
 の小兵衛p77 新p81
○おもん 小兵衛の女房。31歳。宿屋〔若狭屋〕の遠縁p75
 新p79
○§弥治郎 〔万屋〕の老番頭。元〔猿皮〕の盗人宿・博多の
 薬種屋〔肥前屋〕の番人。67歳p77 新p81
§〔針ヶ谷(はりがや)〕の友蔵 32歳。貸本屋。女だまし専
 門の引きこみ。〔夜兎〕の角右衛門の元配下p76 新p80
§〔大亀(おおがめ)〕の七之助 p79 新p83
§〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門・先代p81 新p85
§〔墓火(はかび)〕の秀五郎p81 新p85
§〔初鹿野(はじかの)〕の音松p85 新p89

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2006.09.07

9月7日のハイライト 

文庫巻7-2[隠居金七百両]をアップ

この篇の読みどころは、雑司ヶ谷鬼子母神から姿見橋へいたる道筋であろうか。

家々が建てこんで、すっかり今日化されているが、宿坂急勾配が鬼平のころをしのばせる。

377_1とりわけ、宿坂下のあたり---金乗院を描いた『江戸名所図会』 [宿坂関旧跡]を見ておくと、探索ウォーキングがより鬼平の往時に近づく。

金乗院は、『鬼平犯科帳』に登場する目白不動堂が空襲で焼失後本尊だった目白不動像遷座させ、祀っている。
目白坂とか目白台の地名は、この不動像にちなむ。
江戸にはほかに、目黒、目赤、目黄、目青の4不動像をそれぞれ祀る寺があり、現存している。

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文庫 第7巻-2

[7-2 隠居金七百両]寛政4年(1792)の正月から翌5年
                『オール讀物』71年09月号

◆高田四家町p41 新p44
Photo_175
赤○=上から四家町 砂利場村 南蔵院 姿見橋

◆音羽 9丁目の岡場所p42 新p44
◆鬼子母神(日蓮宗 豊・雑司ケ谷 3-15-20)p44 新p46
                            図会0398
◆境内茶店〔笹や〕 一の鳥居の手前右側p44 新p46
◆姿見橋p46 新装p48             図会0375
◆高田の馬場p46 新p49            図会0371
◆砂利場村p47 新p49             図会0376
南蔵院(中央)前の道を上へ2丁ものぼると砂利場村
◆南蔵院(真言宗豊山派 豊・高田 1-19-16)p47 新装p50
◆下雑司ヶ谷p48 新p51
◆茶店〔あめや屋〕 鬼子母神参道p51 新p53
◆うどん屋〔かめや〕利兵衛 関の宿。85歳卒p54 新p57
◆穴八幡神社(高田八幡 新・西早稲田 2- 1-11)p55 
 新p58                    図会0368
◆放生寺(新・西早稲田 2- 1-14)p55 新p58
◆放生寺門前町 薬種屋〔京屋〕清左衛門p55 新p58
◆相生町 5丁目 煙草屋。〔大滝〕の五郎蔵p62 新p65
◆京・南禅寺門前茶店〔近江や〕p68 新p71
◆鬼子母神境内 茶屋〔ひたちや〕 一の鳥居の手前右。
 元〔笹や〕p72 新p74                 
○亡父:宣雄p62 新p65
○妻女:久栄p41 新p43
  △[もっとおやりなされませ」p71 新p74
○長男:辰蔵 20歳。ひょろりとした長身。p41 新p43
○長女:初子 19歳。去年、旗本:河野吉十郎へ嫁ぐp42
 新p44
○次女:清p42 新p43
○用人・松浦与助 49歳p43 新p45
○阿部弥太郎 辰蔵の悪友。高田四家町。旗本:阿部亀七郎の
 次男 23歳。p41 新p43
@坪井主水 市ヶ谷に念流の道場p42 新p44
○三沢仙右衛門 亡母:お園の実家p43 新p45
◎与力:佐嶋忠介p72 新p75
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p69 新p72
◎密偵:〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵 相生町 5丁目煙草屋
 p62 新p65
○§〔堀切(ほりきり)〕の次郎助 鬼子母神境内〔笹や〕主
 58歳。〔白峰〕の太四郎の元配下p53 新p55
○おきん 東海道・関の宿、うどん屋〔かめや〕小女。お順の
 母親。27歳没p55 新p57
○お順 鬼子母神境内の茶屋〔笹や〕小女。次郎助・おきんの
 一人むすめp44 新p46
§〔白峰(しらみね)〕の太四郎 72歳p53 新p55
§〔白峰〕の妾:おせい 〔奈良山〕の与市の妹p58 新p61
§〔有馬(ありま)〕の久造 〔白峰〕の後継者p58 新p61
§〔薬師(やくし)〕の半平 〔白峰〕配下p59 新p62
§〔奈良山(ならやま)〕の与市 〔白峰〕元配下p56
  新p59
§孫吉 〔奈良山〕の弟分p67 新p71
§〔生駒(いこま)〕の仙右衛門 大坂の首領p56 新p59
§〔淀(よど)〕の勘兵衛 上方の首領p62 新p65
§〔井尻(いじり)〕の直七 〔淀〕の配下。p62 新装p65

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2006.09.06

9月6日のハイライト 

文庫巻7-1[雨乞い庄右衛門]をアップ

〔雨乞(あまご)い〕庄右衛門の(あまご)をクリックして、あらわれた項目をさらえば、この篇への理解が早く深まろう。

130池波さんJR静岡駅からバスで4時間(道路が整備されたいまは2時間弱)かけて、安倍川の源流へ10里(40キロ)遡った温泉場---梅ヶ島を訪ね、さらに安部峠を7里も歩いて身延へ抜けたのは、未完エッセイ集第1冊『おおげさがきらい』(講談社 2003.2.15)によると、1956年前後、池波さんが32,3歳のことであったらしい。

そのときの体験が、15年後庄右衛門湯治場となってよみがえった。
作家と体験---といった研究データの一つとして記しておく。

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文庫 第7巻-1

より深く楽しむ
『鬼平犯科帳』細見

--項目リストの記号--
◆町・商店・橋・川・寺社など
★襲われた被害店
☆未遂店
△メモ(花・鳥・虫・刀剣など)
◎火盗改メ方
○人物
§盗賊
@剣客

[7-1 雨乞い庄右衛門]寛政3年(1791)秋
               『オール讀物』1971年08月号
_7

◆深川小松町 眼鏡師:半兵衛p10 新p10
◆浅草阿部川町 お照p10 新p10
Photo_169
浅草下谷の阿部川町と称念寺 池波少年期の住まい近く

◆称念寺(真宗高田派 台・元浅草 3-18- 2)p10 新p10
◆南新堀 1丁目 瀬戸物問屋〔豊島屋〕九右衛門の家作p10
 新装p10
Photo_172
町名と屋号を合成

◆由井宿 旅籠〔府中屋〕利助p13 新p13
◆温泉場:梅ケ島p13 新p14
Photo_173
駿府から10里、安部峠南麓の温泉場:梅ヶ島=青○

◆安部峠 p14 新p14
◆横根村 甲斐国富士川辺。庄右衛門の生地p14 新p14
◆吉原宿 桶屋:次郎八p14 新p14
★蝋燭問屋〔宮本屋〕利助 浜松町。〔雨乞い〕一味が襲うp15
  新p15
◆下ノ郷 藤枝に近い盗人宿p15 新p16
Photo_174
庄右衛門の最初の隠れ家:下ノ郷=赤○

☆深川熊井町 油問屋〔山崎屋〕金兵衛p17 新p19
                独案内375,366,367,372丁
◆箱根の関所の裏道p20 新p20
◆小田原・宮ノ前宿 旅籠〔伊豆屋〕又六p20 新p21
◆小田原・宮ノ前宿 旅籠〔万年屋〕p20 新p21
◆押切川p21 新p22
◆梅沢の茶店p21 新p22
◆平塚宿 旅籠〔大和屋〕九兵衛p21 新p22
◆神奈川宿 旅籠〔鼈甲屋〕p29 新p30   図会0160
◆川崎宿p30 新p31              図会0142
◆六郷川の渡しp30 新装p31         図会0136
◆船宿〔鶴や〕粂八。深川石島町p34 新p35
◆永代橋p35 新p36            図会0050
◆油堀p35 新p37
△和泉守国貞 2尺 3寸 5分。鬼平の愛蔵を岸井左馬之助が懇望
 p40 新p41
○妻女:久栄p32 新p41
◎@岸井左馬之助p24 新p25
@鳥飼喜十郎 小田原城下で道場p25 新p26
◎与力:佐嶋忠介p34 新p34
◎同心:酒井祐助p33 新p35
◎同心:竹内(たけうち)孫四郎p34 新p35
◎同心:沢田(さわだ)小平次p34 新p34
◎密偵:伊三次(いさじ)p32 新p33
◎密偵:〔小房(こぶさ)〕の粂八p34 新p35
○由次郎 〔鶴や〕の船頭p35 新装p37
§〔雨乞(あまご)い〕の庄右衛門 58歳。 6尺に近い大男
 p12 新p12
§お照(てる) 〔雨乞い〕庄右衛門の情婦p7 新p7
§伊太郎 〔雨乞い〕庄右衛門の配下p7 新p7
§〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門 〔雨乞い〕が元配下に
 p14 新p15
§眼鏡師・半兵衛 じつは〔雨乞い〕庄右衛門の片腕、〔鷺田
さぎた)〕の半兵衛。 60歳近いp10 新p10
§〔枝場(えだば)〕の甚造 〔雨乞い〕の配下p19 新p19
§〔勘行(かんぎょう)〕の定七 〔雨乞い〕に謀反。30男
 p11 新装p11
§〔駒沢(こまざわ)〕の市之助 〔雨乞い〕に謀反。30男
 p16 新装p17
§文五郎(ぶんごろう) 〔雨乞い〕に謀反p37 新p38
§与平(よへえ) 〔雨乞い〕に謀反p37 新p38
§円造(えんぞう) 〔雨乞い〕に謀反p37 新p38

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2006.09.05

9月5日のハイライト 

文庫巻6-7[のっそり医者]をアップ。

この篇は、一人の男再生の物語である。
早川民之助時代を、荻原宗順となってつぐない、この世でふたたび生きるために、重畳の艱難に耐えきる。

それは、長谷川銕三郎として重ねた恥さらしを、平蔵宣以が身を粉にして帳消しにしようとしているのと同じ次元のことかもしれない。
が、そのことには、いま触れない。

これまでもほとんどの篇で紹介しきた『江戸買物独案内』だが、この篇では、池波さんは、実町名実屋号で引いている。
もちろん、ほとんどの読み手は、そのことに気づかないで読みすすむ。
が、こうして史料を目にすると、池波さんの周到ぶりにあらためて驚こう。

読み手に、無意識のうちにリアリティを感じさせる、池波小説現実感一要素がこれ、といっておこう。
小説の神は、細部宿りたまう

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文庫 第6巻-7

[6-7 のっそり医者]寛政3年(1791)初秋
               『オール讀物』1971年07月号
鬼平=46歳

★深川熊井町 蕎麦屋〔東玉庵〕清太郎p246 新p257
(飯田町 蕎麦屋〔東玉庵〕が本店p215 新p225 )
◆小網町 町医:萩原宗順 歯みがき問屋の持家。 2丁目と
  3丁目の境の路地を入ったところp250 新p258
                        図会0040
                       独案内14丁
Photo_168
屋号は明記していないが、池波さんは多分ここのつもり

Photo_170
日本橋川ぞい 小網町2,3丁目

★蛎殻町 安藤長門守(陸奥磐城平 5万石)中屋敷p252
 新p264
◆稲荷堀(いなりぼり→とうかんぼり)p252 新p264
◆小石川の上屋敷p252 新p264
 ※呉服橋内(安永)、西丸下(文久),小石川大塚(明治)
◆菓子屋〔翁屋〕 宗順の好物の胡麻せんべい。照降町p256
 新p268                  独案内 198丁
Photo_171

せんべいに胡麻をふったところが池波さんらしい工夫

◆行徳河岸 船宿〔吉野や〕p258 新p269
◆箱崎橋p273 新装p270             図会0042
◆海辺大工町p262 新p274
◆伊勢崎町 裏長屋。ぼてふり魚屋・新七p262 新p274
◆仙台堀p263 新p275
◆松平陸奥守下(*蔵)屋敷p263  新p275
◆今川町の町屋p263 新p275
◆上ノ橋p263 新p275
◆永代橋p263 新p275              図会0050
◆深川入船町 平野橋の側の材木置場p265 新p277 図会0576
◆材木問屋〔山城屋〕重右衛門の持家p265 新p277
◆浅草蔵前通(浅草茅町) 本多家中屋敷p268 新p280
                        図会0521
◆武州・大宮 旅籠〔山城屋〕p277 新p290
△水売り 物売りp262 新p274
 「ええ、冷や水ゥ……白玉水ゥ。ひゃっこい、ひゃっこい」
○妻女:久栄p248 新p258
◎与力:加藤半十郎 去年あとを継ぐ。24歳p247 新p258
◎与力:佐嶋忠介p278 新p290
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p246 新p257
◎同心:沢田(さわだ)小平次 虚無僧に変装。p259
  新装p271
◎密偵:伊三次(いさじ) 水売りに変装p262 新p273
◎密偵:〔小房(こぶさ)〕の粂八p271 新p277
○およし 蕎麦屋〔東玉庵〕の小女。島崎町の叩き大工の子。
 15歳p246 新p257
○町医:萩原宗順 60歳。 6尺ゆたか。実は早川民之助p246
 新p258
○医師:青木玄瑞 大和芝村。萩原宗順の師。p279 新p291
○西村弥五兵衛 安藤長門守(陸奥磐城平 5万石)の中屋敷
 52歳 p252 新p254
○ぼてふり魚屋・新七。萩原宗順の患者。伊勢崎町の裏長屋
 p262 新p274
○今井宗兵衛 古河・本多忠敞の家臣p268 新p280
○松井文左衛門 §@土田万蔵の叔父p268 新p280
§〔狐火(きつねび)〕の勇五郎p253 新p265
§〔網切(あみきり)〕の甚五郎)p266 新p278
§〔落合(おちあい)〕の儀十 〔網切〕の元配下p266
 新装p278
§@土田(つちだ)万蔵 古河・本多忠敞の家臣だった伊平が
 父親p267 新p279

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2006.09.04

9月4日のハイライト 

文庫巻6-6[盗賊人相書]をアップ。

池波さんに対するすさまじいほどの執着心をかいまのぞけるのは、〔東玉庵〕の広告で「雪みぞれ」を見ただけで、「大根おろしにもみ(ヽヽ--傍点)海苔をあしらった蕎麦」と想像したところ。

まあ、大根おろしまでは、たいていの読み手が連想する。いや、食に関心の薄い読者は読みとばすかもしれない。
もみ(ヽヽ)海苔は、どこからの発想だろう?
香りに鋭敏な「ネ(鼻)」の持ち主でないと、添えないかもしれない。

メグレ警視ものの作家---ジョルジュ・シムノンは、匂いの描写が巧みなので「ネ」の作家と呼ばれた。
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池波さん「食通」と呼ぶ人は多い。しかし。 「ネ」の作家と喝破した人はいない。

「食」は、香りと色と感触でなりたっている。

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文庫 第6巻-6

[6-6 盗賊人相書]寛政3年(1791)盛夏
                 オール讀物1971年06月号

◆深川北森下町 絵師・石田竹仙p214 新p224
★蕎麦屋〔東玉庵〕清太郎 熊井町。磯浪そば。永代橋の近く
 p214 新p224               独案内p35丁
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この広告から、池波さんは支店をつくった

△磯浪そば…大根おろしにもみ海苔を。料理p215 新p225
◆〔翁蕎麦〕 深川熊井町。大きな蕎麦屋p215 新p225
                       独案内p32丁
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〔翁蕎麦〕店は熊井町の南端、〔東玉庵〕支店は同町東端

◆深川今川町 御用聞き〔仙台堀〕の政七p218 新p228
◆弥勒寺(新義真言宗 墨:立川 1- 4-13)p218 新p228
                        図会0580
◆心行寺(浄土宗 江東・深川 2-16- 7)p218 新p228
◆弥勒橋南詰p219 新p229  *「正」弥勒寺橋  図会0580
◆五間堀 p219 新p229             図会0580
◆菓子屋〔井筒屋〕亀次郎 本所松井町 2。名代:雪みぞれ
 p219 新p229               独案内 201丁
Photo_167
Photo_166
名代〔雪みぞれ〕と屋号〔井筒屋〕は別々の広告から合成

◆島崎町 叩き大工のむすめ:およしp221 新p232
                        図会0576
576cn
絵の右上端あたりが島崎町

◆本所相生町の小さな煙草屋 〔舟形〕の宗平p222 新p232
◆赤坂相良下 旗本・杉田万次郎p226 新p236
◆本所二ッ目の駕籠屋p226 新p237
◆両国橋p226 新p237              図会0030
◆人形町p226 新p237
◆日本橋p226 新p237              図会0004
◆通り 3丁目p226 新p237
◆京橋竹河岸p227 新p237              広重
◆竹河岸 居酒屋〔山市〕 一杯酒屋p227 新p238
★長谷川町 呉服屋〔田原屋〕七兵衛p241 新p252
△水売りの声 物売りp220 新p230
△蝙蝠が飛び交っている 動物p228 新p238
△役宅の庭で虫がしきりに鳴く 昆虫p243 新p255
○妻女:久栄p238 新p250
○役宅の用人:三井甚左衛門老人p239 新p250
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p214 新p224
◎同心:酒井祐助p216 新p226
◎同心:竹内(たけうち)孫四郎p216 新p226
◎密偵:〔小房(こぶさ)〕の粂八p221 新p232
◎密偵:〔相模〕の彦十p221 新p232
◎密偵:〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵 6尺余。めっきり白い
 ものがp222 新p232
◎密偵:〔舟形(ふながた)〕の宗平p222 新p232
◎御用聞き〔仙台堀〕の政七 深川今川町p218 新p228
◎岸井左馬之助p222 新p232
○絵師:石田竹仙(ちくせん) 北森下町に居住。34,5歳。
 馬面。伊勢国松坂出身。実は石田幸三郎p214 新p224
○おのう 石田竹仙妻。菓子屋〔井筒屋〕亀次郎の三女。31歳
 びっこp219 新p229
○竹垣正信 御絵師:墨川宗信の内弟子p217 新p227
○〔東玉庵〕清太郎 飯田町の本店に奉公していたのを見込ま
 れて深川熊井町支店の責任者に。p215 新p226
○おしの 〔東玉庵〕清太郎の女房。飯田町の本店に奉公して
 いたp215 新p226
○留吉 〔東玉庵〕の使用人p216 新p226
○万次郎 〔東玉庵〕の使用人p216 新p226
○おやま 〔東玉庵〕の使用人p216 新p226
○およし 蕎麦屋〔東玉庵〕の小女p214 新p224
§〔狐火(きつねび)〕の勇五郎p214 新p224
§遠州無宿の熊次郎(くまじろう)p215 新p233

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2006.09.03

9月 3日のハイライト

文庫巻6-5[大川の隠居]をアップ

いつの、どの人気投票でも、第1位をしめるのがこの篇である。

『鬼平犯科帳』は、長谷川平蔵率いる火盗改メと、兇悪な首領のもとに集まったベテラン盗賊一味との知恵くらべ、腕くらべの物語のはず。

それか、この篇は、なんともユーモラスな事件で、血は一滴も流れず、女も犯されない。

ある〔鬼平〕クラスの80歳の女性がいった。
孫に読ませたい1篇です。中学の教科書に入るといいのに」

それはそれとして、タイトルに「大川(隅田川)」とあるとおり、雪旦の大川ぞいの関連絵が9景もあった。
その風情は、クリックで拡大絵にして楽しんでいただきたい。

なお、巨鯉のモデルとなった鯉塚の存在は、〔浜崎(はまざき)〕の友蔵をクリックでご案内。

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文庫 第6巻-5

[6-5 大川の隠居]寛政3年(1791)初秋
               『オール讀物』1971年05月号

△銀煙管 煙管師・後藤兵左衛門作。亡父愛用p183 新p192
 ※初登場          『商人買物独案内』上p211
Photo_156
*替え家紋〔釘抜〕を彫刻紋
*「ほかのでは、煙草の味もないようにおもえる」宣雄

Photo_157
江戸での『買物独案内』の大成功につづき、京都版を刊行
》池波さんが、江戸版とともに愛用した史料の一つ。

△印籠 蒔絵三重づくり。替え家紋の〔釘抜〕p199 新p209
◆日本橋南詰p186 新p196            図会0004
◆江戸橋p186 新p196              図会0036
◆小網町p186 新p196              図会0040
◆堀江六軒町 船宿〔加賀や〕 思案橋たもとp186
◆思案橋p186 新p196
◆行徳河岸p189 新p199
◆新大橋 p189 新p199             図会0035
◆三つ俣p189 新p199
◆両国橋 p189 新装p199            図会0030
◆本所尾上町 釣具師・吉川勘吉p189 新p199
◆船宿〔鶴や〕 亭主・粂八。深川石島町p190 新p200
◆吾妻橋(大川橋)p208 新p218         図会0611
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◆三めぐりの土手 p208 新装p218        図会0612
◆長命寺(天台宗 墨・向島 5- 4- 4)名代:さくら餅p208
 新装p218                   図会0613
◆寺島村 名物・言問だんごp208 新p218     図会0620
620

◆船宿〔嶋や〕 浅草・今戸橋近くp210 新p221  図会0566
△虫の鳴く声 昆虫p179 新p188
△役宅の庭にすだく虫の声。昆虫p203 新p213
△秋の蝿 昆虫p185 新p194
△大鯉 5尺、目方10貫。7,80年。魚介p209新p220
△みごとな夕焼け 気象p189 新199
△白粥の半熟玉子・梅干し。料理p182 新p191
○妻女:久栄p179 新p188
○亡父:宣雄p180 新p192
○井上立泉・表御番医師 亡父の親友p180 新p189
@剣友:岸井左馬之助p180 新p189
◎与力:佐嶋忠介p201 新p212
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p180 新p189
◎密偵:〔小房〕(こぶさ)の粂八p190 新p200
○§船頭:友五郎 船宿〔加賀や〕。元〔浜崎(はまざき)〕の
  友蔵。68歳p189 新p198
○釣具師・吉川勘吉 岸井左馬之助の母方縁者p189 新p199
§〔飯富(いいとみ)〕の勘八 真の盗賊。62歳で死去p192
 新装p202

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2006.09.02

9月2日のハイライト

文庫巻6-4[狐火]をアップ

本篇は、おまさのために鬼平の許を去って京都へ行ってしまう、鬼平ファンにとってはショッキングな事態となる物語だから、ほんらいなら、おまさの心情の経緯を追うのが本筋かもしれない。

しかし、ここで、注目してほしいのは、池波さん の類い稀な造語力
盗賊用語とうぞくようご)については別項をたてて紹介しているので、きょうは、家伝薬のネーミング

〔延寿不問丸〕なる秘薬は、存在しなかった。

それを、池波さん は、『江戸買物独案内』2個の広告から、部分を抽出・合体させて創りだしてしまった。
「延寿」にしても、「不問丸」にしても、先人が頭をひねって考案した、効き目のありがたそうな薬名である。
それを2個つなげたのだから、効き目は2倍(?)か。いや、読み手はそう信じるだろう。

江戸期の売薬のネーミングの秀逸さについては、稿を改めて解説しよう。

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文庫 第6巻-4

[6-4 狐火]寛政3(1791)年夏
                  『オール讀物』1971年04月号

◆新宿の渡し口 武蔵国葛飾郡p111 新装p118  図会0641
641cn
下総から武蔵への渡し口=にい宿

◆下総佐倉の在p111 新p118
◆松戸p111 新p118                  図会0644
◆亀有の川岸p115 新p122
◆軍鶏鍋屋〔五鉄〕 本所二ッ目。おまさが二階奥の小部屋で
 寝泊まりp116 新p123            見取り図
◆本所四ッ目の裏長屋 彦十の住まいp116 新p123
★薬種屋〔山田屋〕孫兵衛。市ケ谷田町 3丁目。延寿不問丸
 p118新p125             独案内223,292 丁
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Photo_155
2つや3つのものを組み合わせて新造語や新店をつくるのは池波さんが
得意中の得意としているところ。
「延寿」「不問丸」を組み合わせて家伝高貴薬をつくってしまった例。

◆牛込御門p120 新p128
◆市ヶ谷御門p120 新p128
◆料理茶屋〔万屋〕 市ヶ八幡境内。鬼平なじみの店。p122
 新装p130                  図会0338
△川海老の塩焼き、穂紫蘇の吸物 料理p122 新p130
◆入江町p132 新p139
◆〔盗賊酒場〕 〔鶴〕の忠助の店。四ッ目p132 新p139
◆仏具屋〔今津屋〕又太郎。京・油小路花屋町p142 新p150
◆旅籠〔和泉屋〕 石町p142 新p151
◆木母寺(天台宗 墨:堤通 2-16- 1)p149 新p157
                        図会0621
◆船宿〔嶋屋〕 浅草今戸p154 新p162      図会0566
△鷭(ばん)のつけ焼に茄子の田楽弁当 料理p154 新p162
△鷭 野鳥p154 新p162
◆深川平井新田p157 新p166
◆水茶屋〔井筒や〕 芝愛宕神社門前p137 新p166 図会0063
◆諏訪明神(明治期に白髭神社に合祀)p161 新p170
△久栄手づくりの白玉 料理p130 新p138
△粟田口国綱 2尺 2寸 9分 刀剣p169 新p177
△新宿の源七の茶店。蛙が鳴いていた。爬虫類p150 新p158
△役宅の居間の軒下に巣から燕が一羽、矢のように……野鳥
 p178 新装pp187
☆提灯問屋〔伊勢屋〕善兵衛 浅草諏訪町p174 新p183
○妻女:久栄p130 新p138
○継母:波津p131 新p139
○亡父:宣雄p131 新p139
○将軍:家治p160 新p169
○若年寄:水野豊後守(忠友 駿州沼津藩 3万石。明和 5年11
 月15日側衆(34歳)より。安永 6年に御側御用人)p132
 新p140
◎与力:佐嶋忠介p129 新p136
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p118 新p125
◎密偵:おまさ(まさ) 33歳p111 新p118
§〔鶴(たづがね)〕の忠助 おまさの亡父p114 新p121
○おかね おまさの叔母 病死p111 新p118
◎密偵:〔相模〕の彦十 四ッ目裏長屋に住むp116 新p123
◎密偵:〔小房(こぶさ)〕の粂八p145 新p153
○〔ところてん屋〕の半助 市ヶ谷田町 1丁目の濠端で葭津張り の店p129 新p137
§〔狐火(きつねび)〕の勇五郎  4年前病死p114 新p121
§お静 〔狐火〕の妾。15年前に死亡p113 新p120
○漁師:金兵衛 お静の父親p157 新p166
§〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七 〔狐火〕の元配下。茶店の
 主。 故郷は駿河p114 新p121
○お久 新宿の茶店の娘p114 新p120
§又太郎 二代目(にだいめ)〔狐火〕の勇五郎 32歳p115
 新p122
§お吉 〔狐火〕の勇五郎の妾。又太郎の母親。38歳で病死
 p124 新p132
§文吉(ぶんきち) 〔狐火〕の勇五郎の息子p124 新p128
§お勢 〔狐火〕の勇五郎の亡妻。文吉の母親p124 新p132
§お千(せん) 文吉の女。巡礼姿で引きこみp130 新p137
§〔竹森(たけもり)〕の彦造 文吉の手下。39歳。p144
 新p153
§〔岡津(おかつ)〕の与平 文吉の配下p162 新p171
§〔乙畑(おつばた)〕の源八p136 新p144
§@河合(かわい)伝内 因州浪人p171 新p179

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2006.09.01

2006年9月1日のハイライト

文庫巻6-3[剣客]をアップ

沢田小平次が剣の冴えを見せる好篇である。

いっぽう、木村忠吾は、釣りも趣味の一つにしているらしい。
釣りといえば、鬼平はやらないが、亡夫・宣雄はけっこう嗜んで、竹(さお)などにも凝った。

そういえば、シリーズを通じて、釣具屋はときどき登場するものの、釣りのシーンからはじまる物語はない。〔小房〕の粂八あたりは船宿の亭主なんだから、客の釣りにつきあってもよさそうなものだが。

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文庫 第6巻-3

[6-3 剣客]寛政3年(1791)春
               『オール讀物』1971年03月号

◆深川・清澄町p77 新p82
◆松平陸奥守下(*蔵)屋敷p77 新p82
◆料理屋〔桐屋〕 田楽 万年橋脇p78 新p83
◆霊雲院(清住町から戦災後、北多摩郡村山町へ)p79
  新8                       図会0578
578
左手から大川へそそぎこむ小名木川。河口に万年橋。

☆藍玉問屋〔大坂屋〕新助 深川・清澄町p79 新p84
                       独案内p382 丁
Photo_152

◆猿江の御材木蔵p80 新p85
◆千住大橋p82 新p87             図会0547
◆山王権現 千住大橋の南詰p82 新p87     図会0547
◆小千住p82 新p88
◆小千住 足袋屋〔大黒屋〕万之助p82 新p88
◆入舟町 剣客・石坂太四郎の住まいp85 新p91
◆深川八幡の境内 p86 新装p92        図会0570
◆重願寺(浄土宗 江:猿江 1-11-15)松尾喜兵衛弔葬p90
 新装p95
Photo_153
深川・猿江 重願寺、御材木蔵

◆万年橋p91 新p97
◆軍鶏鍋や〔五鉄〕三次郎 本所二ッ目p91 新p97
◆清澄町 蕎麦屋〔三崎屋〕 藍玉問屋〔大坂屋〕の左隣p92
 新装p99
◆上ノ橋 仙台堀にかかるp95 新p101
◆深川・石島町 船宿〔鶴や〕p96 新p102
◎与力:佐嶋忠介p104  新p110
◎同心:木村忠吾(うさちゅう)p77 新p82
 頭巾に十徳、どこぞの学者か茶人のような装束。釣りには年
 期が入っているp96 新p103
◎同心:沢田(さわだ)小平次p101 新p108
 △河内守国助  2尺 4寸余。亡師ゆずり銘刀。
◎同心:酒井祐助p95 新p102
◎同心:竹内(たけうち)孫四郎p95 新p102
◎密偵:おまさ(まさ) 30歳をこしたp88 新p96
◎密偵:〔相模〕の彦十p88 新p96
○政吉 〔鶴や〕の船頭p96 新p103
@松尾喜兵衛 沢田同心の剣の師p80 新p85
@高杉銀平 鬼平の剣の師。67歳で死去p80 新p85
@岸井左馬之助 鬼平の剣友p80 新p85
○阿部駿河守(上総佐貫藩 1万6000石)下屋敷)p102
 新p109
§@石坂太四郎 剣客p83 新p89
§留吉 足袋職人p82 新p88
§〔滝尻(たきじり)〕の定七 30男。〔野見〕の配下p83
 新p88
§〔野見(のみ)〕の勝平 おまさが引きこみとして働たp92
 新装p98
§〔殿貝(とのがい)〕の市兵衛(新装版) 〔野見〕の引き
 こみ。飯炊。大男p107 新装p114

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