信用は美徳
『鬼平犯科帳』はキャラクターのデパートだ。
社会生活で出会うほとんどのタイプの人物―善人も悪人も、そしてあるときは善人で別のときには悪人になる者も―が描かれている。
「人間学」の教科書ともよばれるゆえん。
そんな中で、人間にとってもっとも大切なのが、信用され信頼されることであることを示唆する。
同心・小柳安五郎は信用という美徳に加えて誠実という美質もかね備えている。
さらに組きっての美男(テレビ化ではこれが隘路に。美男で演技力のある男優は売れっ子になるから撮影スケジュールがとりにくい。そのためにテレビでは安五郎は存在感がほとんど希薄になっていた)。
こんな安五郎に女性が惚れなかったらどうかしている、といいたいところだが、役目で出動中に細君が初産の赤子ともども逝ってしまったことを自責、わき目もふらずに公務に精をだして自分をごまかしている。
同僚の木村忠吾より早く、[1-3 血頭の丹兵衛]から名前がでているが、寛政5年(1793)の[あきれた奴]まで印象がはっきりしない。妻子が逝ったことがあかされるのもこの篇で…。
亡妻と赤子は浅草・安倍川町(現・台東区元浅草3丁目)の竜源寺(架空)に葬られている。
安倍川町の一部は永住町へ変わり、さらに現在の元浅草3丁目となった。
永住町は池波少年が育ったところで、同地には浄土宗・了源寺がある。池波さんにとっては遊び場所のひとつだった。
了源寺の住職は、至近のところにある真言宗・竜福院と、2寺をあわせた命名だろうといたって無欲だが、ぼくの推察は、了源寺をそのまま記さなかったのは池波さん流のテレ隠しだと。
蔵前から安倍川町近辺(近江屋板・部分)
上図の部分拡大。緑点=左から竜福院、了源寺
小柳安五郎の人品が、盗賊 〔鹿留〕の又八との心の交流を通して描かれた[8-2 あきれた奴]は、ぼくのベスト5の1篇だが、この中の鬼平の安五郎評……、
「小柳も今年、30を一つこえたな。男をみがくのはこれからだ」
部下にいってみたい台詞だし、男ならもちろん銘記してしかるべき金言。
男のみがき砂はこの世にはそれこそいくつもある。が、最優先すべきは、約束を守ることだ。人の信用は約束を守りつづけることによって生まれる。
約束した本人は忘れやすくて、相手は絶対にわすれないのも約束だ。だから自分のなにかを犠牲にしても守る。守れない約束は最初からすべきでないし、なにかの事情で守れなくなりそうだったら、早めに率直にあやまる。相手が部下であっても、事態は変わらない。
約束と信頼の大切さを学ぶためにも[あきれた奴]の熟読をおすすめする。
仲よしの同僚・木村忠吾の安五郎評も傑作――
「小柳さんは、寒い日にぬるま湯からあがって燗冷ざましの酒でもよろこんでのむような」
人物なのだそうな。自分にはきびしく、他人への点は甘くしている、ということだが、じつに妙、いいえている。
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コメント
また八の、おたかへ宛てた手紙、
『、、、もしも、いのちあったときは、一ねん、二ねんののちに、かならずかえるゆえ、おたまをそだてて、こころじょうぶにしていておくれ。たのむ、たのむ。
また八
おたかへ』
泣けます。
投稿: ぴーせん | 2006.06.14 19:10
あのころの、また八の識字率は、引用されている程度だったんでしょう。
いや、おたかの識字程度をおもんぱかったのかな。
[血闘]での、おまさが書残した「しぶ江村、西こう寺うらのばけものやしき」も、手習い所へ通った気配のないおまさの、その後の学習程度をしのばせませね。
投稿: ちゅうすけ | 2006.06.15 08:35
しかし、そう言う事を考えさせてくれる池波さんの、細かい考察が、物語の厚みを増しているのでしょうね。
ところで『本門寺暮雪』の中で、平蔵の危難を救った犬(後に『くま』と名付けられる)に煎餅をやるシーン。本門寺の総門の前には煎餅やがあります。池波さんは、この煎餅やを見て、犬に煎餅をやるシーンを思い浮かべたんでしょうかね?
投稿: ぴーせん | 2006.06.15 23:22
本門寺は、池波さんの散歩コースの一つです。
荏原の自宅から、2キロ前後でしょう。
ですから、よく訪れていらしたとおもいます。
[本門寺暮雪]に、総門側の石段は96段と書かれていますね。これも、ご本人が散歩のときに数えたんでしょう。
『江戸名所図会』には、石段の数は書かれていませんから。
投稿: ちゅうすけ | 2006.06.16 07:14