〔枝場(えだば)〕の甚蔵
『鬼平犯科帳』文庫巻7の[雨乞い庄右衛門]、つまり題名にもなっている首領〔雨乞(あまご)い〕庄右衛門(58歳)は、巨盗〔夜兎〕角右衛門に仕込まれた本格派である。
(参照: 〔雨乞い〕庄右衛門の項)
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)
駿河の山奥の温泉湯治場「梅ヶ島」で療養しながらも、次の盗め先と狙いを定めている深川・熊井町の油問屋〔山崎屋〕へ、1年半前から下男(飯炊き)として〔枝場(えだば)〕の甚蔵を住み込ませている。
年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:いろいろと地理書をあさったが、記載がなかった。「枝葉」のような軽い男のもじりかともおもい、『旧高旧領』を検索したが、やはりなかった。
庄右衛門の地縁で考えると、甲斐国か駿河国の富士川ぞいのどこかの村とおもえるのだが。
もっとも庄右衛門の湯治中に手配されているので、それをした参謀格の〔鷺田(さぎた)〕の半兵衛(60近い)の地縁でいうと、美濃国のどこかもありうる。
(参照: 〔鷺田〕の半兵衛の項)
いちおう、駿河(するが)国駿東郡(すんとうこおり)水土野村(現・静岡県御殿場市水土野)としておく。
探索の発端:〔枝場〕の甚蔵の探索ではなく、庄右衛門である。
自分でも快癒とおもうほどに回復したので、妾のお照の待つ江戸で一仕事すべく、東海道をくだっているとき、平塚宿で配下に殺されかかったのを岸井左馬之助に助けられた。
六郷の渡し舟で心臓発作をおこし、左馬之助の手の中で絶命した。そのいまわのきわに、妾・お照(20代の半ばすぎ)の住いを告げたのが、探索の発端となった。
(参照: 女賊お照の項)
:結末:捕縛された〔勘行(かんぎよう)〕の定七らが、責められて、引き込みの甚蔵の所在を白状におよんだはず。
(参照: 〔勘行〕の定七の項 )
つぶやき:「狙いを定めている深川・熊井町の油問屋〔山崎屋〕」とさりげなく書かれているが、2重の意味で、池波さんの凄さを感じる。
その1.熊井町のそばに「油堀」という名の堀がある。油屋があったための命名という。
その2.徳川期の前、油の特権を有していたのが、山崎の八幡宮であったと、司馬遼太郎さんの『国盗り物語』(新潮文庫)で知った。なんとも符号する屋号であることよ。
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