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2005.12.21

〔馬返(うまがえ)し〕の吉之助

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]で、ノー天気な同心・木村忠吾に酒をおごってくれる、一本眉の男、じつは盗賊の首領〔清洲(きよす)〕の甚五郎のやっている煮売り酒屋〔次郎八〕の亭主が、〔馬返(うまがえ)し〕の吉之助である。もちろん、一味の盗人。帳場にすわって、あれこれと若い者を指図している。
(参照: 〔清洲〕の甚五郎の項)
酒屋の場所は、湯島天神裏門に近い。去年(寛政8年 1795)の夏ごろ開店したが、流行っている。女は置かないで若い者5人がきりまわしているのも珍しい。
452B
湯島天神(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

213

年齢・容姿:40男。おだやかそうな風采。
生国:駿河(するが)国駿東郡(すんとうこおり)水土野(現・静岡県御殿場市水土野)。
「馬返し」と呼ばれた土地は、日光市と富士山の山梨県側、長野県小県郡新張牧(みはりのまき)にもあるが、尾張出身の〔清洲〕の甚五郎との関係から御殿場を採った。

探索の発端と結末:〔清洲〕の甚五郎は、一味よりも一ト足さきに元飯田町の銘茶問屋〔栄寿軒・亀屋〕に押し入り、一家を惨殺した〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵一味を割り出し、その盗人宿---板橋の料理・貸し座敷〔岸屋〕を襲って制裁したので、逮捕も仕置きもない。
(参照: 〔倉渕〕の佐喜蔵の項)

しばらく江戸を去るにあたり、やってきた木村忠吾に酒をおごったうえに、5両の小遣いをわたしてやったが、忠吾は例によっていっかな気づかない。

つぶやき:この篇の事件は、寛政8年だから、史実の長谷川平蔵はその前年に病死しているが、そのことはいまはとわない。

湯島天神裏門に近い〔次郎八〕は、改装しなかった7,8年前の〔しんすけ〕がモデルのような気がする。改装後は、〔次郎八〕の雰囲気が失われた。江戸らしい飲み屋がつぎつぎに消えていく。惜しい。

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コメント

馬返しの吉之助
非常にユウモラスのある名前ですね。 治郎八で
つけで酒を飲む忠吾が贔屓にしている店ですから雰囲気が良いのでしょう。

東海道53次膝栗毛で、旅人に馬子が「帰り馬だから、安いよ」と誘って、

野次さん喜多さんが喜んで利用した記事があります。

投稿: edoaruki | 2005.12.22 19:27

【馬返し】と名前のつくということはやはり土地の名前なのかそれとも性格的な何かはあるのかとか変わった名前だからこそ考えずにはいられません。

辞書でしらべると、
「登山道で、道が険しくなり乗ってきた馬を返す所。富士・日光などに地名として残る。駒(こま)返し。」
現在の地図でしらべると、
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=37.38.13.798&el=140.19.52.104&la=1&fi=1&prem=0&skey=%c7%cf%ca%d6%a4%b7&sc=4

投稿: 豊島のお幾 | 2005.12.23 23:41

>edoarukiさん

「帰り馬」ねえ。ただ、「馬返し」は、豊島のお幾さんの辞書調べにもあるように、馬の「追分」地点ではないでしょうか。
「追分」はもちろん平地であることがほとんどですが。

唐の長安で、故郷へ帰る人、任地へ赴く人を見送り、別れをつげたのが春明門でした。
見送る人は、柳の小枝を折って餞別としたようです。
唐版の「追分」ですね。

投稿: ちゅうすけ | 2005.12.29 14:50

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