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2005.12.23

〔梅原(うめはら)〕の伝七

『鬼平犯科帳』文庫巻2に収められている[お雪の乳房]で、表向きは芝・横新町で煙草屋をひらいている盗賊の頭領〔鈴鹿(すずか)〕の又兵衛の右腕、〔梅原(うめはら)〕の伝七も世間への顔は煙草きざみ職人で、又兵衛に仕えて10年余になる。住まいは金杉通りの寿運寺(戦災で廃寺)裏。
(参照: 〔鈴鹿〕の又兵衛の項)

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年齢・容姿:どちらも記述されていないが、中年で中肉中背と推察。小男の又兵衛としては、大男は一味に入れたがらなかったろうから。
生国:美濃(みの)国郡上郡(ぐんじょうこおり)梅原村(現・岐阜県郡上郡美並村梅原)。
ものの本に、昭和29年(1954)に所帯数22戸とある。鬼平のころはもっと貧村だったのかも。
池波さんが甲賀忍者で親しんでいた近江国の、蒲生郡梅原新田はいまは別の名になっている。
〔鈴鹿〕の又兵衛との地縁でいうと、おなじく美濃・山県郡梅原(現・高富町)、紀伊国名草梅原村(現・和歌山市)も候補だが、又兵衛の義弟で三河の額田郡鴨田村(現・岡崎市)出の〔鴨田(かもだ)〕の善吉も考慮にい入れると、長良川左岸の台地に位置する美並村梅原がもっとも有力と見た。
(参照: 〔鴨田〕の善吉の項)

探索の発端:〔小房〕の粂八が、偶然に〔鴨田〕の善吉を見かけたことから、見張りがはじまり、芝・横新町で煙草屋〔しころや〕の又兵衛へ糸がたぐられ、つづいて〔梅原〕の伝七もみつけられた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
密偵になる前、粂八が〔野槌(のづち)〕の弥平の下にいたとき、〔鈴鹿〕一味から借りられてきていた〔梅原〕の伝七を見知っていたからである。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
伝七が、芝・松本町の明樽問屋〔大国屋〕の飯炊き女おろくと連絡(つなぎ)をつけたところから、〔鈴鹿〕一味の狙い先も知れた。

結末:〔大国屋」で待ち構えていた鬼平が名乗りをあげると、又兵衛一味は抵抗もせずに縛についたが、処刑は死罪であったろう。

つぶやき:〔小房〕の粂八が鬼平にいう。「なあに、私はもう死んだつもりでおりますよ。何人も、この手でにかけて殺した人のうらみが、つもりつもっているこの躰でござんす。いつ死んでも悔はございません」
一方、巻12[密偵たちの宴]では、集まった密偵たち6名(粂八も入っている)は、「いずれも本格派であった」とある。

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