宣雄・西丸書院番士時代の若年寄
書院番は、若年寄の支配下にある。
それは、本城も西丸も同じ組織になっている。
もっとも、長谷川平蔵宣雄(のぶお 30歳)が書院番士として西丸に出仕した、寛延元年(1748)閏10月9日には、2人の主がいたかも。
世子・家治(いえはる 幼名・竹千代 12歳 大納言)と、引退したとはいえ大御所・吉宗(よしむね 65歳)である(あるいは、竹千代は二の丸にいて、宝暦元年(1751)6月20日の吉宗の歿後、西丸へ移ったかも。このあたり未調査)。
(『徳川実紀』の宝暦元年6月26日の項に、「(将軍・家重は)大納言(竹千代)とともに、西城へならせ給い、(有徳院殿=吉宗の)霊柩を拝させ給ふ---と記している)
で、家治側の勤仕の者たちを束ねている若年寄を見るために、『柳営補任』を開いて、一瞬、ぎょっ---とした。
(青〇=西丸の若年寄 緑〇本城の若年寄 黄色〇=大御所担当の若年寄)
板倉伊予守勝清(かつきよ 43歳 安中藩主 3万石)
戸田淡路守氏房(うじふさ 45歳 大垣新田藩主 1万石)
・堀田加賀守正陳(まさのぶ 40歳 宮川藩主 1万3千石)
・加納遠江守久通(ひさみち 76歳 八田藩主 1万石)
・堀 式部少輔直旧(なおひさ 34歳 椎谷藩主 1万石)
三浦志摩守義理(よしさと 53歳 西尾藩主 2万3千石 )
秋元摂津守凉朝(すけとも 32歳 川越藩主 7万石)
実は前年秋に西丸・老中
小出信濃守英持(ふさよし 43歳 園部藩主 2万石)
・小堀和泉守政峯(まさみね 59歳 小室藩主 1万余石)
( ・ 大御所・吉宗付 年齢は寛延元年。ただし、堀 式部少輔は享年)
が並んでおり、堀 式部少輔の任免の年月日が、図版でごらんのように、
同日大御番ヨリ、大御所様附
同五辰六月十九日卒
とある。
年の数字の下の十二支にくわしくなくて、つい、数字だけで判断してしまう。
2つの同---も、咄嗟には、どの年号なのかわからない。
堀 式部少輔の前の行---加納遠江守のは、
延享二丑九月朔日御側より、大御所様附
同四卯九月十五年寄候ニ付、付番御免
寛延元辰八月十九日卒
この「延享二丑九月朔日御側より、大御所様附」は、吉宗(62歳)が将軍職を世子・家重(いえしげ 35歳)に譲って、大御所になった月日である。
堀 式部少輔の、同---を、その寛延元年と読んでしまった。
あちこち調べまくって、「延享二丑九月朔日御側より、大御所様附」と読むべきだと気づいた。
調べまくったのは、大御所付とか、西丸の若年寄は、リストに載っていないことが多いから、手間だったのである。
『実紀』の延享2年(1745)9月1日の項に、
大御所はただちに西城へ御遜退あり---
とあり、吉宗が紀州から江戸城へ入ったときに采配をふるい、その後も側衆として将軍をささえた生き残りの加納遠江守久通が、大御所付きの若年寄としてしたがったのは当然である。
もう一人の腹心の重臣・有馬兵庫頭氏倫(うじのり)は、吉宗が隠居した延享2年(1745)からいえば10年前、宣雄が書院番士として出仕がきまった寛延元年からみると13年前の享保20年(1735)に歿していた。享年68歳。
【参照】吉宗の紀州藩の赤坂の中屋敷から江戸城へ登場してそのまま将軍になった経緯は、
2007年8月212日~[徳川将軍政治権力の研究] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
(10) (11)
(吉宗が西丸へ遜退した延享2年の翌年---つまり延享3年(1746)には、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以=鬼平)が誕生しているから、このあたりの年号は記憶しておいて損(?)はない)
個人的な興味をいうと、隠居所での若年寄に、加納久通が優先して指名されているのと、他の2人---堀 式部少輔直旧と小堀和泉守政峯の選抜理由の推測だが、いまは触れない。
(小堀政峯の任命月日の「同」は、堀 式部少輔直旧が卒した延享5年---この年の7月12日に寛延元年と改元---の6月19日か、小出信濃守英持が発令された7月1日かである。ちなみに、小出英持は、発令日に伊勢守を信濃守と改称している。また、英智は『寛政譜』が英持と指示しているのに従った)
【ちゅうすけの断り言】『鬼平犯科帳』巻16[白根の万左衛門]で、鬼平が麹町2丁目の2000石の旗本・小出内蔵助と、ここの小出信濃守との関連の推理も、後日。
さらに、寛延元年8月19日の『実紀』の、
大御所方の少老(若年寄)加納遠江守久通卒去す
も、いまは素通りしておく。
さて、全員を『寛政譜』であたり、2日がかりで、西丸の老中が秋元凉朝、若年寄が戸田(右近将監改め)淡路守氏房、三浦義理とわかったときには、くたびれ果てて、しばらく、活字をみるのがいやになっていた。
したがって、3人については、日を改めて紹介する。
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