姫始め
賀茂川土手を川下に向かってあるきながら、銕三郎(てつさぶろう 明けて28歳)に、お勝(かつ 明けて32歳)が言った、
「姫始めですよ。それとも、奥方となさるお約束ですか?」
にこだわっていた。
(そうだな。久栄(ひさえ 21歳)の姫始め---を、な)
河原では、子どもたちが凧をあげている。
悠々と空にとまっているのもあれば、くるくるとまわりながら落ちていくのもある。
(しかし、なんだな。姫始めというのは、2様に解釈できるな。おんながその年初めて男のものを迎えることをいっているようでもあるし、男がその年に初めて秘女(ひめ)に接するという意味にもとれる)
銕三郎は、〔孔雀(くじゃく)〕という言葉をおもいだした。
正月用に結いあげた髪をくずさないように、おんなが裾をひろげて上位になるのだと。
〔孔雀〕といえば、お竜(りょう 30歳=当時)が、掛川城下の川が見下ろせる貸し座敷で、裾を割って銕三郎の太股にまたがって秘部をあわせ、
「これが孔雀です」
と教えてくれた。
【参照】2009年1月24日[銕三郎、掛川城下で] (4)
(そういえば、齢上のおなごに、いろいろと教わった)
14歳のときに、お芙沙(ふさ 25歳)。
【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙佐(ふさ)]
19歳のときの芦ノ湯の阿記(23歳)
【参照】20081月1日~[与詩(よし)を迎に] (12) (13) (14)
22歳では、お仲(なか 33歳)。
【参照】2008年8月7日~[〔梅川〕の仲居・お松] (7) (8)
2008年8月14日~[〔橘屋〕のお仲] (1) (2)
そして、23歳のときからのお竜(りょう 29歳)。
【参照】2008年11月17日[宣雄の同僚・先手組頭] (8)
27歳になって、お勝。
【参照】2009年8月5日][お勝、潜入] (2)
齢下といったら、久栄は別として、21歳のときに18歳のお静(しず)。
【参照】2008年6月2日[お静という女〕 (1)
ここ、27歳でのお豊(とよ 24歳)だが、あのしたたかさは齢下といえるのかな。
【参照】2009年7月29日[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (10)
(なぜに、新年早々から、なぜ、性歴なんぞを繰っているのだ、おれは---)
とはいえ、おとこにとっては、大事な功名手柄でもある。
銕三郎は、おもった。
(省みると、どのときも、もののはずみであったような---どうも、おれは、もののはずみに弱い。しかし、もののはずみがなければ、男とおんなのあいだ柄は、前にすすむものではない)
そういえば、銕三郎の誕生だって、父・宣雄(のぶお 26歳=当時)と、知行地の一つ・上総(かずさ)国武射郡(むしゃこおり)寺崎村の村長(むらおさ)・戸村のむすめだった妙(たえ 19歳=当時)のはずみの結実だったともいえる。
妙は、宣雄が家督しても正妻というの公式の座を求めず、陰の奥方として、この22年間、すごしてきた。
銕三郎と久栄とのなれそめも、5年前、府中(甲府)への途中、深大寺へ寄り道し、掏られて困っていた久栄主従に、はずみで、つい声をかけたことからは始まった。
【参照】2008年9月8日[中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう)] (2)
(あのとき、おれは、〔中畑〕のお竜に興をそそられ、府中を訪ねるべく、甲州街道を歩いていたのであ
った)
中畑村の村長・庄左衛門(しょうざえもん 55歳=当時)に、お竜が『孫子』を学んでいたと教えられた。
【参照】2008年9月13日~[中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう)] (7) (8)
(人が身をひそめるとき、お竜は、どうすると言った?)
「木を隠すなら、森へ置く」
お(賀茂が身を隠すとしたら---)
銕三郎は双眸(りょうめ)をほそめて、三条大橋の西側にひろがるのいらかを瞶(みつめ)た。
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