〔橘屋〕のお仲
とのい(宿直)の日がきまりました。
女中がしらのおえい(栄)さんが気をきかせてくださって、はなれば
かり、5の日をあててくださいました。
こんどの25日、夜、五ッ半(午後9時)に、一ノ鳥居でおまちしています。
いさいは、そのときに。
〔橘屋〕の女中となったお仲(なか 33歳)からの町飛脚便をもらった銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの平蔵)は、母・妙(たえ 42歳)に、当日は外泊になると告げておいた。
【ちゅうすけ注】町飛脚とは、江戸府内を配達区域としている飛脚便。もちろん、京、大坂にもあった。
夫・平蔵宣雄(のぷお 49歳 先手・弓組の組頭)から、阿記(あき 25歳=享年)を失った痛手もあろうから、しばらくは大目にみてやるように言われていた妙は、どこに泊まるのかだけ訊いた。
「〔橘屋〕になるとおもいます」
「雑司ヶ谷の?」
「さようです」
「それでは、着るものを改めないといけませんね」
「店が閉まってからですから---」
「朝、帰るときの人目があります。いいえ、銕三郎のためではありません。貧相な客を泊めたとおもわれては、〔橘屋〕さんの品格にさしさわります」
母と、そういうやりとりがあったことを、宿直の部屋にあてられた離れの1室で、お仲に話すと、
「いいお母上ですこと。じつは、あたしのほうでも---」
女中頭・お栄(えい 35歳)の言葉を再現した。
「長谷川さまの若となら、わたしたちの寮でより、離れ部屋でのほうが、悦(よろこ)び声も漏らせるでしょう。でも、出事(でごと 性交)の匂いをのこさないこと。お客さま用の離れですからね。蚊やりとあわせて、香を炷(た)きこめなさい」
(それで、香の匂いがつよいのか。そういえば、芙沙(ふさ 25歳=当時)の家でも香が匂っていた。おんなを高ぶらせるのも、この香りなのかな)
【参照】2007年7月17日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(ふさ)]
「男を堪能したことのある30代のおんなが、10日も出事を欠くと、気分の揺れがお客さまのあつかいにでがちだから、うちでは、情人(いろ)とのことは大目にみているのです。つぎに逢う瀬まで、こめかみに梅干を貼らなくてもいいように、たっぷり、悦(よろこ)ばせていただいてきなさい、って」
「なんだ、バレていたのだな」
「最初の日。ほら、お雪(ゆき 22歳)さんという若い女中(こ)が、『お客さまが情人(いろ)になってしまえば、いいってこと---』とかなんとか言ったでしょう。あのとき、あたしがあなたのほうをちらっと見たので、お栄さんは合点したんですって」
「おんな同士の勘は、そういうふうに働くのか」
酒と肴が用意されていた。
肴は、蕨(わらび)の煮付け。
銕三郎に盃をもたせてすすめ、自分も受ける。
「む。これは---」
うなる。
「あく抜きしておいて、鯵(あじ)を煮た汁(つゆ)で煮ているのです。お味がよく滲みていますでしょ?」
「これほど美味しい蕨は初めてだ」
「板長さんが、夜は長いからって、特別に手くばりしてくださいました。蕨は、このあたりで採れたものですが。働いているおんなの気持ちを、こんなに察してくださるお店は初めて。〔中村屋〕さんへは、もう戻りたくありません」
「お絹(きぬ 12歳)のこともあるな」
「今夜は、お絹のことは忘れさせて」
「お仲って名にも慣れたかな?」
「留(とめ)って名が捨てられて、ホッとしています。貧しい羽前(うぜん)の5人目の子でしたから、もう、留まれってことで、つけられたんです。まあ、捨(すて)でなかっただけ、助かりました」
名を変えただけで、変身といえるほどではないが、これまでの自分との縁が切れ、新しい自分になれたとおもえるのも快感のようでもあった。
「そうだったのか。富(とめ)ではあまりに欲どおしいから、留の字をあてたのかとおもっていた」
「お幸せなお方」
風呂敷から絵草子をとりだし、銕三郎の横にぴたり寄りそい、開く。
春本であった。
「お栄さんが貸してくださったのです。しっかり、睦んできなさいって---」
(『栄泉あぶな絵・青すだれ』)
「着物の下、どんなふうになっているのでしょうね?」
「想像もつかない」
「女中頭のお栄さん、こんなことも言ってくれました。長谷川さまの若は、まもなくお嫁をお迎えになるころだ。おんなのからだのツボというツボと、その耕し方を伝授してあげるのが、まだ汁っけたっぷりの30代後家のつとめなんだから---師範しながら、自分の悦(えつ)も深めなさい、って」
「手ほどき、よろしゅうに---」
「嫁取りは、いつですか?」
「来年秋あたりの、初目見(おめみえ)後かなあ」
「じゃあ、師範は1年かけて---」
【ちゅうすけ注】銕三郎の初目見は、明和5年(1768)12月5日で、久栄(小説の名)との婚儀はその前の中秋。
本を変える。
(北斎『多満佳津羅』)
「2人きりなのだから、着たままでなくてもいい」
「着ているから、それをめくったり、ひん剥(む)いたりで、高まるのでしょ?」
「そうかもな。本は、ゆっくり愉しむとして、拙の願いごとを先に聞いてほしい」
「はい。あたしのお願いごとは、そのあとで---」
「ここは紀州さまのご本陣だから、紀州藩の方々のほか、吉宗(よしむね)公にしたがって柳営に入り、直臣に取りたてられた方々も見えるであろうが、その中でも主だった方たちの名を手びかえおいてくれまいか。これは、べつに、とくにというのではないが---」
「お客さまのことは、外に洩らしてはならない決まりなんですよ」
「だから、密かに、それも、できたら---でいい」
「あなたのお役に立つのなら、こころがけます」
【参照】2008年8月4日[〔梅川〕の女中・お松] (4)
「大事なのは、これから頼むほう。盗賊一味がくることはあるまいが、まさかに、それらしいのがきたら、人相、風体(ふうてい)を覚えておいてほしい」
「それは、あたしたち親子の敵でもありますから、かならず---。では、こんどは、あたしのお願いごとの番です」
春本を開いて、
「この絵のようになさってみてくださいな」
(北斎『させもが露』[好色の後家])
「この本、なん丁あるのかね」(丁は2ページ)
「型は、おもて48手、その裏---」
「ひゃぁ、一刀流の組み太刀の型より多い---」
「この道は、それだけ多岐で、奥が深いってことです。覚悟して、師範をお受けなさいませ。ほっ、ほほほ」
【参照】[〔橘屋〕のお仲] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
そのお仲とは、2年ほどなじんだろうか、ある日、ふと消えた。
客に退(ひ)かされたときいたが、探す術(すべ)はなかった。
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